イスラーム勢力の西進
751年タラス河畔の戦いでアッバース朝が唐朝を大破し、イスラーム勢力は、ソグド人の本拠地たるアム川・シル川中間地帯を含め、パミール以西のオアシス地帯の西半を完全に勢力圏におさめることとなった。これによりユーラシアの東西を結ぶ通商ネットワークの主役は、ソグド人からムスリム商人へと、しだいに移り変わっていった。
イスラーム勢力の西進
8世紀以降、オアシス地帯には西方からイスラーム勢力が進出するようになった。
751年タラス河畔の戦いでアッバース朝が唐朝を大破し、イスラーム勢力は、ソグド人の本拠地たるアム川・シル川中間地帯を含め、パミール以西のオアシス地帯の西半を完全に勢力圏におさめることとなった。これによりユーラシアの東西を結ぶ通商ネットワークの主役は、ソグド人からムスリム商人へと、しだいに移り変わっていった。
9世紀後半になると、イラン系イスラーム王朝のサーマーン朝がアム川・シル川中間地帯(首都はブハラ)に成立し、やがてイラン東部(ホラーサーン地方)にも進出した。中央アジアに成立した最初のイスラーム王朝である。
サマーン朝の下で中央アジアのイスラーム化は急速に進行し、なかでも周辺のトルコ系民族のイスラームへの改宗は、その後の内陸アジアの歴史に重大な結果をもたらした。トルコ系遊牧民の子弟を奴隷として購入し、これを精強な軍人(マムルーク)として育成する方式もサマーン朝に始まるもので、やがてこれがアッバース朝をはじめイスラーム諸王朝に波及して、その後のイスラーム世界の軍事・政治に多大の影響をおよぼすことになった。