- 1328年:フィリップ6世(フランス王)即位。ヴァロワ朝の成立。エドワード3世(イングランド王)フランスの王位継承権主張。
- 1377年:フィリップ6世 ギエンヌ公領没収の宣言。
- 1339年:エドワード3世 北フランスに侵入(百年戦争開始)。
- 1340年:スロイス沖の海戦 イングランド軍の大勝。
- 1341年:クレシーの戦い イングランド軍の大勝。
- 1342年:エドワード3世 カレー占領。
- 1356年:ポワティエの戦い エドワード黒太子の指揮するイングランド軍の勝利。ジャン2世(フランス王)を捕虜にする。
- 1358年:フランス国内でジャックリーの乱
- 1360年:ブレティニー・カレー条約
ヴァロワ朝の成立と前期百年戦争
1328年フランスのカペー王家が断絶すると、ヴァロワ家のフィリップ6世(フランス王)が即位し、ヴァロワ朝が成立した。大陸におけるイギリス勢力の一掃をはかる国王は、折からイギリスとスコットランドが抗争中であることを利用し、1377年ギエンヌ公領の没収を宣言した。
これに対し、エドワード3世(イングランド王)は、同年自己のフランス王位継承権を主張し、1339年には北フランスに侵入して戦端を開いた(百年戦争 1339〜1453)。その後、間歇的ながらも、1世紀以上にわたり戦争は展開されることになる。
この戦争の背景には、ヨーロッパ有数の毛織物業地帯フランドルの支配をめぐる両国間の積年の対立と、これを契機にアンジュー帝国の再現をもくろむイギリス王家の野心があった。
百年戦争は、常にフランスを戦場に戦われた。初期の戦いでは、まずフランドルのスロイス沖の海戦でイギリス軍は大勝し、フランス軍は英仏海峡の制海権を失った。
続くクレシーの戦いでも、エドワード3世率いるイギリスの長弓(ロングボウ)隊は数において勝るフランスの重装騎士と弩(クロスボウ)隊を撃破し、翌年海港都市カレーを占領した。
また南フランスでは、エドワード黒太子の指揮するイギリス軍がポワティエの戦いでフランス軍を破り、国王ジャン2世(フランス王)を捕虜にするなど、常に戦闘はイギリスの優勢のうちに推移した。
この間、フランスは黒死病(ペスト)の大流行に見舞われ、1358年にはパリ市民の反抗とジャックリーの乱が勃発した。しかし、王太子シャルルはこれらの騒乱を鎮圧すると、イギリス軍の攻勢によく耐え、結局ブレティニー・カレー条約(1360)を結んで、エドワードの手からフランス王位を守り抜いた。彼はまもなくシャルル5世(フランス王)として即位すると、軍政改革と王室財政の強化に努め、イギリス側に奪われた領土の多くを回復していった。
カレーの市民
1347年8月3日、ドーヴァー海峡に面したカレーは1年近いイギリス軍の攻囲戦に疲れ、ついに落城した。このときエドワード3世は市民の皆殺しを要求したが、結局6人の名士市民が人質となることで、残る市民の命は救われることになった。
東京上野の西洋美術館の庭に、この事件をモチーフにしたロダンの彫刻「カレーの市民」が展示されている。