北ヨーロッパ諸国の動向
18世紀初頭の北方戦争に敗北したスウェーデン、1814年のキール条約でスウェーデン領とされたノルウェー、ドイツ統一運動に対抗し、シュレスヴィヒ・ホルシュタインを奪われたデンマークはいずれも立憲君主制の国家となり、議会の力が強く、政治的に安定し、外交面では自主的な中立路線をとりながら国内改革を徐々に推し進め、福祉国家として現在にいたっている。
北ヨーロッパ諸国の動向
スウェーデン
18世紀初頭の北方戦争に敗北し、バルト海の覇権を喪失したスウェーデンは、北ドイツの領土もプロイセンに奪われ、ヴァーサ家 Vasa の絶対王政体制に不満が高まって、自由主義の時代を迎えた。政党政治が発達し、1908年新憲法が制定されて貴族の特権は廃止され、責任内閣制度による立憲君主制が規定された。経済面では国立銀行の改革、ギルド制の廃止などが実施され、資本主義への道が模索され、1850年代鉄道や通信施設も整備されて、鉄工業・造船業さらには海運業もめざましく発展した。
フィンランド
フィンランドは16世紀以来スウェーデンの属国であったが、ロシアとスウェーデン間の戦争の結果、1809年ロシアの支配下に入り、アレクサンドル1世のもとで、フィンランド大公国が成立した。しかしフィンランド人としてのナショナリズムがしだいに形成され、民主化運動も進展し、第一次世界大戦後の パリ講和会議 において共和国として独立が認められた。
ノルウェー
ノルウェーは1814年のキール条約でスウェーデン領とされたが、政治的・文化的にはデンマークに近かったのでこれを拒否し、独自な憲法を制定し、独立の機会を求めていた。1905年ノルウェーは日露戦争後の北ヨーロッパの政治的動揺を背景に、国民投票をおこない、一方的に独立宣言をおこなった。戦争の可能性もあったが結局スウェーデンはこれを容認したので、ノルウェーの平和的独立が達成された。
デンマーク
デンマークは11世紀や14世紀のころは強国であったが、しだいに国力の低下が明確となった。とくにドイツ統一運動に対抗するためにシュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国を併合したことから、1864年プロイセン・オーストリア両国との戦争に突入し、その結果両公国を喪失したことはデンマークの衰退を象徴する事件であった。これ以後、デンマークは農業と牧畜による国づくりに努め、協同組合を発達させて国民の生活は安定した。
まとめ
これら北欧3国はいずれも立憲君主制の国家で議会の力が強く、政治的に安定し、外交面では自主的な中立路線をとりながら国内改革を徐々に推し進め、福祉国家として現在にいたっている。