「科学革命」
科学革命の影響は、物理学、数学、化学、医学など多方面におよび、万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンの物理学は、その力学的宇宙観によって、以後20世紀になってアルベルト・アインシュタインの相対性理論が打ちだされるまでの科学的思考の基礎となり、産業革命とそれに続く工業化の技術の基礎となった。
「科学革命」
17世紀前半、イギリスのフランシス・ベーコン(哲学者)(1561〜1626)は、実験と観察の結果から一般法則を導く帰納法にもとづく経験論的合理主義を唱えた。イギリスでは、経験論的な思考法が多くの分野で優勢となった。これに対してフランスのルネ・デカルト(1596〜1650)は、数学的な証明法によって真理に到達する演繹法にもとづく合理的な思考法を主張した。17世紀後半には、これら2つの思考方法を基盤に、自然科学が近代的な学問として確立した。とくにイギリスでは、建築家クリストファー・レン(1632〜1723)らによって、王立協会と呼ばれる科学者集団が創設され、気体圧力の法則を発見したロバート・ボイル(1626〜1691)など、多くの科学者が現れた。
ふつう「科学革命」と呼ばれているこの動きの影響は、物理学、数学、化学、医学など多方面におよんだ。とくに万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートン(1642〜1727)の物理学は、その力学的宇宙観によって、これ以後20世紀になってアルベルト・アインシュタインの相対性理論が打ちだされるまでの科学的思考の基礎となった。したがってそれはまた、産業革命とそれに続く工業化の技術の基礎ともなった。また、ヨーロッパ外世界の動・植物などへの関心が強まり、博物学が発展して、カール・フォン・リンネ(1707〜1778)は二名法による植物の分類法を編み出した。また、ウイリアム・ハーベー(1578〜1657)は血液循環を確認した。
こうした近代的・合理主義的な思考法は、社会の考察にもむけられ、自然法思想が展開した。自然法とは、人間の本性にもとづき、全ての人類に普遍的に適用されるものと想定された法である。このような自然法は、現実に施行されている法や制度より優先されなければならない、と考えられたから、自然法思想は必然的に社会変革の基礎にもなった。
17世紀には、「国際法の父」と呼ばれたオランダのフーゴー・グローティウス(1583〜1645)が、自然法を前提とした契約関係にもとづく合理的な国際関係を主張したし、イギリスを中心に自然法を前提とする社会契約説も展開した。『リヴァイアサン』を著したトマス・ホッブズ(1588〜1679)は、自然状態では「万人の万人に対する戦い」になるとし、これをさけるために契約によって成立させられた国家主権の絶対性を認めるべきだと主張した。これに対してジョン・ロック(1632〜1704)は、『統治論二篇(統治二論)』などの著作において、君主が人民の自然権を侵した場合は人民の側にも契約を解消する権利があるとして、革命に理論的基礎を与えた。
18世紀になると、ジョン・ロックの思想の影響をうけつつ、フランスを中心に理性を重視し、現実の社会や習慣にみられる非合理的なものを徹底的に拒否する啓蒙思想が展開した。この思想は人間の未来に対して楽観的立場をとり、人間の歴史を進歩であるとする「進歩史観」を主張した。
こうした啓蒙思想家としては、歴史家でもあった哲学者で『カンディード』や『哲学書簡』を書いたヴォルテール(1694〜1778)、『法の精神』を著したシャルル・ド・モンテスキュー(1689〜1755)のほか、『エミール』や『人間不平等起源論』で知られるジャン=ジャック・ルソー(1712〜1778)、重農主義者で『経済表』の著者フランソワ・ケネー(1694〜1774)、著名な『百科全書』の編集にあたったドゥニ・ディドロ(1713〜1784)やジャン・ル・ロン・ダランベール(1713〜1783)などの「百科全書派」などが数えられる。
啓蒙思想は、イギリス、とくにスコットランドにも強い影響を与えたが、ドイツでも哲学者のイマヌエル・カント(1724〜1804)や文学者ゴットホルト・エフライム・レッシング(1729〜1781)がこの影響をうけた。