モノモタパ王国 ガーナ王国 クシュ王国 ソンガイ帝国 マリ帝国 アフリカのイスラーム化 16世紀までのおもなアフリカの諸国地図
16世紀までのおもなアフリカの諸国地図 ©世界の歴史まっぷ

アフリカのイスラーム

西アフリカのガーナ王国(7世紀頃〜1150)は、金を豊富に産することで知られていた。ムスリム商人は、サハラ砂漠の塩床から切り出した岩塩をもってガーナにいたり、これを金と交換してイスラーム世界にもたらした。

アフリカのイスラーム化

イスラム王朝 17.イスラーム世界の発展 イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

アフリカの内陸部は、北部の砂漠地帯とニジェール川やザンベジ川など大河流域の熱帯雨林を除いて、大半はサバンナ気候帯に属する。

ナイル川上流のスーダンには、紀元前10世紀ころにクシュ王国(紀元前920〜350)が成立し、紀元前8世紀には一時エジプトを支配するほどの勢いを示したが、アッシリアの侵入(紀元前667)によってナイル川上流域に後退した。これ以降メロエに都をおいた時代(紀元前670頃〜350頃)に、王朝は鉄器の製造とエジプトとの通商によって栄え、メロエ文字(未解読)を用いた。しかし4世紀になると、エチオピアに興ったアクスム王国(紀元前後〜9世紀)に滅ぼされた。西アフリカのガーナ王国(7世紀頃〜1150)は、金を豊富に産することで知られていた。ムスリム商人は、サハラ砂漠の塩床から切り出した岩塩をもってガーナにいたり、これを金と交換してイスラーム世界にもたらした。この交易によって王国は繁栄を続けたが、1076/1077年、モロッコのムラービト朝の攻撃を受けて衰退した。
16世紀までのおもなアフリカの諸国地図
16世紀までのおもなアフリカの諸国地図 ©世界の歴史まっぷ

ムラービト朝の侵入以後、西アフリカではイスラーム化が進行し、つづいておこったマリ王国(1240〜1473)はイスラーム教を受容した。王国は14世紀初めに最盛期を迎える。国王マンサ・ムーサは、メッカ巡礼に際して大量の金を奉納し、「黄金の帝国マリ」の名を広めた。

15世紀後半、マリ王国を倒して建国したソンガイ王国(1464〜1591)は、ガオに都を定め、西アフリカの隊商都市の大部分を支配し、北アフリカとの交易によって栄えた。
国王アスキア・ムハンマド1世(1493〜1528)はイスラーム教を熱心に保護し、彼の統治下で交易都市トンブクトゥは内陸アフリカにおけるイスラーム文化の中心地として繁栄した。

モガディシュ以北のアフリカ東岸の海港では、古くからアラビア半島やイランとの海上貿易がさかんであった。10世紀後半になると、その南のマリンディ、モンバサ、ザンジバル、キルワなどの海港都市にはムスリム商人が来住し、東南アジアの香辛料、アフリカの奴隷、中国の陶磁器、インドの綿布などの取引によって繁栄した。
その結果、この海岸地帯では、アラビア語の影響を受けたスワヒリ語が共通語として広く用いられるようになった。

スワヒリ(サワーヒリー)とは、アラビア語で「海岸地帯の人」を意味する。スワヒリ語はバントゥー語にアラビア語を豊富にとりいれることによって成立し、17世紀以降は東アフリカ一帯で商業用語として用いられた。

また、さらに南方のザンベジ川南部でも、11世紀ころからジンバブエを中心にモノモタパ王国がおこり、豊かな鉱物資源とインド洋貿易によって栄えた。王国は15世紀ころに最盛期を迎え、ジンバブエから出土するインド産のガラス玉や中国の陶磁器はその繁栄ぶりをよく物語っている。

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