インカ帝国 マチュ・ピチュ アンデス文明 南北アメリカ文明
マチュ・ピチュの都市遺跡 @Wikipedia

アンデス文明


アンデス文明
ペルーを中心とする中央アンデス地帯に存在した文明。
紀元前からのチャビン文化、紀元後のナスカ文化、ティアワナコ文化など大規模な石造建築をもつ文化が存在した。
スペイン人が「新大陸」にやってきたとき、現在のペルーを中心にエクアドルからチリ北部にかけてのアンデス一帯を征服した高度な文明をもつインカ帝国が繁栄していた。インカの高度な文明の姿は、1911年に発見されたアンデス山中のマチュ・ピチュの遺跡にうかがい知ることができる。

アンデス文明

アジア・アメリカの古代文明
アジア・アメリカの古代文明 ©世界の歴史まっぷ

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アンデス文明

現在のペルーを中心とする中央アンデス地帯にも、紀元前からのチャビン文化(紀元前900〜200)、紀元後のナスカ文化、ティワナク文化など大規模な石造建築をもつ文化が存在した。

スペイン人が「新大陸」にやってきたとき、現在のペルーを中心にエクアドルからチリ北部にかけてのアンデス一帯を征服した高度な文明をもつインカ帝国が繁栄していた。14世紀から15世紀にかけて領土を拡大したこの帝国は、600〜800万の人口を擁していたと考えられる。インカ帝国では文字は使用されていなかったが、キープと呼ばれる綱の結びで十進法による計数のシステムを完成し、記録やさまざまな統計に利用していた。金や銀の鋳造がおこなわれ、種々の技術を駆使した金属細工がつくられていた。
鉄器は知られず、青銅は祭祀用器具の原料として用いられていたが、生産具として利用されることはなく、農業は新石器の生産技術の上に成り立っていた。ジャガイモなど根茎類を主食として栽培し、ラクダ科の動物リャマやアルパカが家畜として用いられていた。クスコを首都とし、そこにはすぐれた石造建築技術を用いた太陽信仰のための諸神殿や皇帝の宮殿がたてられていた。太陽神とされたインカ帝国皇帝は、整った政治行政組織をもった帝国を統治していた。

このインカ帝国も1533年、スペイン人のフランシスコ・ピサロに征服され滅びた。インカの高度な文明の姿は、1911年に発見されたアンデス山中のマチュ・ピチュの遺跡にうかがい知ることができる。
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