ロカルノ体制と国際協調
- ロカルノ条約 1925
- 提唱者:独外相シュトレーゼマン
- 締結国:英・仏・独・伊・ベルギー・ポーランド・チェコスロヴァキア
- ラインラントの現状維持と相互不可侵、ヨーロッパの集団安全保障体制 → 独、国際連盟加盟
- 不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約) 1928
- 提唱者:仏外相ブリアン、米国務長官ケロッグ
- 締結国:米・英・仏・日など15カ国。後63カ国
- 紛争解決の手段としての戦争を否定
- ロンドン海軍軍縮条約 1930
- 提唱者:英首相マクドナルド
- 締結国:米・英・日(仏は不参加、伊は脱退)
- 補助艦の保有率をほぼ米10:英10:日7に定める
ロカルノ体制と国際協調
ルール占領で頂点に達した仏独関係の悪化への反省、ドーズ案による賠償問題の暫定的解決、戦後の国境紛争の沈静化、レーニン死後のソ連の内政問題への集中などにより、1924年以降、国際関係は小康状態に移行した。それを扇動したのは1923年秋からドイツの外相を務めたシュトレーゼマン Stresemann (1878〜1929)であった。彼も基本的には修正主義外交を支持していたが、対決ではなく、ドイツの現実にたって、英・仏などとの信頼関係を強め、25年から認められたドイツの関税自主権を梃子にドイツの経済力を高めながら、和解と協調を通してドイツの国際的地位を回復し、東部国境の改定などをめざそうとした。
シュトレーゼマンは1925年初め、フランスにドイツの西部国境の現状保障協定(集団安全保障協定)締結を打診した。フランス政府も関心を示し、とくに25年4月に外相に就任したブリアン Briand (1862〜1932)は積極的に対応したため、同年10月スイスのロカルノで英・仏・独・イタリア・ベルギー・ポーランド・チェコスロヴァキアの首相・外相会談が開催され、基本的内容が合意された。ロカルノ条約 Locarno とは会議で合意された、ラインラントの現状維持を定めた安全保障条約 ❶ 、ドイツと隣接4カ国(フランス・ベルギー・ポーランド・チェコスロヴァキア)間の仲裁裁判条約の総称であり、正式調印は同年12月ロンドンでおこなわれ、26年のドイツの国際連盟加盟をもって発効した。ロカルノ会議では、ドイツがライン条約と類似した東部国境保障条約を拒否したため、フランスがポーランドとチェコスロヴァキアとの間で結んだ相互援助条約も成立した。
ロカルノ条約は、ヴェルサイユ体制の包括的集団安全保障をドイツの西部国境側に限定させたため、ヴェルサイユ体制を弱めたという側面もあるが、他方ではドイツを国際連盟に加盟させ、国際連盟を軸にした国際政治を強化し、国際協調の機運を高めた側面もあった。連盟本部があるジュネーヴに各国首脳が定期的に集まって、直接交流する光景はこの時期を象徴する一幕となった。ロカルノ会議から世界恐慌が勃発する1929年まで、ドイツのシュトレーゼマン外相、フランスのブリアン外相 ❷ 、イギリスのオースティン=チェンバレン外相 Austen Chamberlain (1863〜1937)がほぼ一貫してその地位にあったことも、国際協調の流れを支えた要因の一つであった。1927年4月、アメリカ合衆国の大戦参加10周年に際し、ブリアンはアメリカ国民に相互に武力不行使を約束する条約締結を呼びかけ、その後国務長官ケロッグ Kellogg (1856〜1937)に正式に提案した。これをもとに1928年8月、国際紛争の解決手段として武力を行使しないことを宣言する不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)に米・英・仏・独・日本など15カ国が調印し、その後賛同国は29年末までに54カ国に上った。
国際連盟で取り組まれてきた軍縮と安全保障問題は、1924年ジュネーヴ議定書としてまとめられたが、イギリスなどの反対で成立せず、25年末、連盟はあらためて軍縮会議準備委員会を設置して検討を継続した。一方、アメリカ合衆国はワシントン会議での海軍軍備制限を主力艦以外にも広げることを提案し、27年ジュネーヴに米・英・日3国(フランスとイタリアは参加しなかった)による巡洋艦以下の補助艦の制限会議を開催したがまとまらず、1930年1月のロンドン会議でようやく妥協が成立した(ロンドン海軍軍縮条約)。この結果、米・英と日本の総トン数比率は10:6.975となった。
軍縮条約
ロカルノ条約 1925 | 提唱者 | 独外相シュトレーゼマン |
締結国 | 英・仏・独・伊・ベルギー・ポーランド・チェコスロヴァキア | |
ラインラントの現状維持と相互不可侵、ヨーロッパの集団安全保障体制 → 独、国際連盟加盟 | ||
不戦条約 (ブリアン・ケロッグ条約) 1928 | 提唱者 | 仏外相ブリアン、米国務長官ケロッグ |
締結国 | 米・英・仏・日など15カ国。後63カ国 | |
紛争解決の手段としての戦争を否定 | ||
ロンドン海軍軍縮条約 1930 | 提唱者 | 英首相マクドナルド |
締結国 | 米・英・日(仏は不参加、伊は脱退) | |
補助艦の保有率をほぼ米10:英10:日7に定める |