地理上の探検
地理上の探検
19世紀欧米の文化 地理上の探検
17世紀 | タスマン(蘭) | オーストラリア(タスマニア)・ニュージーランド・フィジー島発見 |
18世紀 | ジェームズ=クック(英) | 大西洋をベーリング海からニュージーランドまでを探検 |
19世紀 | リヒトホーフェン(独) | 中国各地を探検。シルク=ロードの名称を初めて使う |
ヘディン(スウェーデン) | 中央アジア探検。楼蘭遺跡発見 | |
リヴィングストン(英) | 南アフリカ調査・ヴィクトリア瀑布発見 | |
スタンリー(米) | アフリカ大陸横断 | |
ピアリ(米) | 北極点初到達 | |
アムンゼン(ノルウェー) | 南極点初到達 | |
スコット(英) | 南極点到達 | |
スタイン(英) | 敦煌の調査 |
科学や技術の進歩に対応して、世界各地の探検がヨーロッパ人によって進められた。17世紀にはオランダのタスマン Tasman (1603〜59)がオーストラリア(タスマニア)・ニュージーランド・フィジー島を発見し、つづいてイギリスのジェームズ=クック Cook (1728〜79)が大西洋をベーリング海からニュージーランドまでを探検し、ドイツのリヒトホーフェン Richthofen (1833〜1905)は中国各地を探検してシルク=ロードの名称を初めて使い、スウェーデンのヘディン Hedin (1865〜1952)は中央アジアの探検を数回踏査し、楼蘭遺跡を発見した。
アフリカではリヴィングストン Livingstone (1813〜73)がヴィクトリア瀑布を発見したが、その後消息を絶った。イギリス生まれのアメリカ探検家であるスタンリー Stanley (1841〜1904)はリヴィングストンの救出に出発し、タンガニーカで発見されたのち、今後の探検をおこなった。
南北両極地の探検もおこなわれた。北極点はアメリカのピアリ Peary (1856〜1920)が、南極点はノルウェーのアムンゼン Amundsen (1872〜1928)が初めて到達したが、イギリスのロバート=スコット Scott (1868〜1912)はアムンゼンに1ヶ月遅れをとり、しかも帰路遭難死する不運にあった。