イギリスの戦時外交 戦時秘密外交
イギリスの戦時外交 ©世界の歴史まっぷ

戦時秘密外交
1916 サイクス・ピコ協定
1915 フセイン・マクマホン協定
1917 バルフォア宣言
1917 物資と兵員の協力とひきかえに自治を約束
1919 ローラット法

戦時秘密外交

戦争が長期の総力戦になるなかで、両陣営とも内部の結束を固め、中立国を味方に引き入れるために戦後の領土の再分配を決めた条約を秘密のうちに結んだ。そのころには、国家間の対立する利害を調整する外交交渉は、議会や世論の動向に左右されるのはよくないという考え方が支配的であったのである(秘密外交)。はじめ中立の立場にあったイタリアは領土問題でオーストリアと対立していたが、イギリスなどがトリエステなどのいわゆる「未回収のイタリア」( イタリアの統一 – 世界の歴史まっぷ, 同盟外交の展開と列強の二極分化 – 世界の歴史まっぷ)の領有を約束すると(ロンドン秘密条約)、1915年5月イタリアはオーストリアに宣戦布告した。また、1916年5月、イギリス・フランス・ロシアは戦後のオスマン帝国領の分割を約束し、パレスチナを国際管理地域とするサイクス・ピコ協定(サイクスとピコは交渉にあたった外交官の名前)を結んだ。両陣営はまた植民地の人々を動員するために戦後の自治や独立を約束した。あるいは、敵国の植民地における民族独立運動を支援する工作をおこなって戦争を有利に進めようとした。

イギリスの戦時外交 戦時秘密外交
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西アジアでは、イギリスはオスマン帝国の背後でアラブ人の反乱がおきることを期待してアラブ民族運動の指導者フセインとの間でアラブ人の独立国家建設を約束したフセイン・マクマホン協定を結んだ(1915年)。さらに1917年イギリス外相バルフォアはパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設することを認めた(バルフォア宣言 。他方、戦後の自治を約束されたインドからは145万人以上の人々が兵士として動員された。また、イギリスの白人自治領であるオーストラリア・ニュージーランドからの兵士は、ダーダネルス海峡の無謀なガリポリ Gallipoli 上陸作戦に投入された。こうしてこれらの地域の人々は、戦況を知らせようとしないイギリスの帝国政策に疑念を抱くようになった。ヨーロッパでは、ドイツとロシアが相手の犠牲を前提にポーランドに独立の約束をしていた。

この宣言ではパレスチナに住むアラブ人(パレスチナ人)の存在は考慮されなかった。また、バルフォア宣言とフセイン・マクマホン協定はたがいに矛盾するものであり、このことが現在のパレスチナ問題の遠因となった。

第一次世界大戦年表

ヨーロッパ・アメリカアジア
190810澳、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合7青年トルコ革命
19117第2次モロッコ事件10辛亥革命
9イタリア=トルコ戦争(〜12.10)
191210第1次バルカン戦争(〜13.2)1中華民国成立
19136第2次バルカン戦争(〜8)7中国第二革命
19146サライェヴォ事件
7墺、セルビアに宣戦
8独、ロシア・フランスに宣戦、ベルギー侵入8日本、ドイツに宣戦
英、ドイツに宣戦インド参戦
タンネンベルクの戦い
9マルヌの会戦、仏が独を阻止10オスマン帝国、同盟国側に参戦
11日本、青島攻略
19154イープルの戦い(毒ガス初使用)1日本、二十一カ条の要求
5伊、三国同盟破棄、オーストリアに宣戦中国、文学革命運動
ルシタニア号事件9フセイン・マクマホン協定
10ブルガリア、同盟国側に参戦12袁世凱帝政宣言→第三革命
19162フェル弾要塞攻防戦(仏が死守)
5ユトランド沖海戦5サイクス・ピコ協定
6ソンムの戦い(連合軍の攻勢)
19171米、ウィルソン大統領「勝利なき平和」
2独、無制限潜水艦作戦
3露、二月革命(三月革命)
4米、ドイツに宣戦7ロレンス、アラビアで蜂起を組織
8中国、ドイツに宣戦
9孫文、広東軍政府成立(〜20)
11露、十月革命(十一月革命)「平和に関する布告」11バルフォア宣言
石井・ランシング協定
19181ウィルソン大統領「十四カ条」提案
3ブレスト=リトフスク条約
9ブルガリア、休戦8日本、シベリア出兵
10オスマン帝国、休戦
11墺、休戦
ドイツ革命
第一次世界大戦終結
19191パリ講和会議3朝鮮、三・一独立運動
3コミンテルン結成英、インドにローラット法
6ヴェルサイユ条約調印5中国、五・四運動
7ソヴィエト、カラハン宣言
参考:山川 詳説世界史図録
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