東アジアの風土と民族
東アジア (Google Maps)

東アジアの風土と民族

東アジアは、とくに西方の山脈や砂漠に隔てられ、他の文化圏との交渉が希薄であったため、独自の文化圏を形成した。しかし、やがて内陸アジアを横断する「草原の道」や「オアシスの道」(絹の道・シルク・ロード)あるいは南方の海域を航行する「海の道」などが開かれると、西方文化の影響をうけ、華麗な文化を開花させた。

東アジアの風土と民族

アジア・アメリカの古代文明
アジア・アメリカの古代文明 ©世界の歴史まっぷ

風土

東アジアとは、現在の中国・モンゴル高原・朝鮮半島・日本列島・ベトナム北部にいたるユーラシア大陸東部の地域をさしている。
この地域は西方には大興安嶺だいこうあんれい山脈・太行だいこう山脈・秦嶺しんれい山脈など高大な山脈がそびえ、さらにゴビ砂漠などが展開する。東側は日本海・黄海・東シナ海をへて、広々とした太平洋に面している。
東アジアの風土と民族
東アジア (Google Maps)

東アジアは、とくに西方の山脈や砂漠に隔てられ、他の文化圏との交渉が希薄であったため、独自の文化圏を形成した。しかし、やがて内陸アジアを横断する「草原の道」や「オアシスの道」(絹の道・シルク・ロード)あるいは南方の海域を航行する「海の道」などが開かれると、西方文化の影響をうけ、華麗な文化を開花させた

気候

中国全土に共通する気候は、冬と夏の差異が著しいことである。冬は北風が吹いて、寒冷で乾燥し、一方夏は風向きは南に偏り、温暖・湿潤である。夏と冬の温度差が非常に大きく、夏は中国の大多数の地方は高温で、南北の温度差は小さい。そして、全国の広大な地区の月平均気温はすべて20℃から28℃ぐらいで、淮河わいが以南ではおよそ28℃から30℃ぐらいになる。しかし冬の南北の温度差は、50℃をこえ、黒竜江省の最北部では気温はマイナス30℃、秦嶺から淮河以南では0℃前後、南の海南島南部は20℃以上になる。

中国全土の降水量は、地域的に非常に不均等で、東南の沿岸部から北西の内陸部にかけてしだいに減少する。南東の沿岸部一帯の年間降水量は1600mmをこえ、西北部の年間降水量は200mm以下で、なかでもタリム盆地は50mmにも達しない。降水量の季節的な差もはなはだ大きく、夏は一般に年間降水量の50%以上にもなり、冬はわずか10%以下である。

長江流域

東アジアの風土と民族
長江流域

温暖で降雨が多く、稲作が発達して穀倉地帯となっている。流れが穏やかな河川や湖沼も多いため、水運も活発である。

黄河流域

東アジアの風土と民族
黄河流域

降雨が少ないが肥沃な黄土地帯で乾地農法に適し、畑作が発達した。下流は洪水が多く、治水が重要な政治課題であった。

草原(ステップ)地帯

東アジアの風土と民族
ステップ地帯

寒冷で乾燥しており、農業に適さない。人々はおもに遊牧で生活をする。人口は少ないが、南方の農業地帯に対する侵攻や交易を通じて、歴史に大きな役割を果たした。

参考 山川 詳説世界史図録より

このように、中国の東南部はもとより、朝鮮・日本・ベトナムは、季節風の影響を強く受ける温暖・湿潤のモンスーン地帯で、農耕とくに水稲栽培に適している。それゆえ東アジアの人口の大部分はこの地域に集中していた。また雨量にとぼしい中国の黄河流域と中国東北地方の平原地帯は、あわきび・コーリャン・麦などの畑作農業が行われている。一方、東北部の森林地帯では狩猟・採集がおこなわれ、北方の砂漠・草原地帯では遊牧がおもな生業であった。

民族

今日の中国は、多民族から構成されている。漢族のほか、満州族モンゴル族(蒙古族)、朝鮮族チベット族回族その他を含め50余りの少数民族がみられるが、その90%以上を占めるのが漢族である。

中国では、イスラーム教を回回教または清真教と呼ぶ。

漢族をのぞく諸民族すなわち少民族は、全人口の6%ぐらいにすぎないが、その居住区は、辺境地帯を主に全面積の50〜60%におよんでいる。

チベット族

チベット高原とその周辺に居住するチベット族は、古くはていきょうなどと称された。7世紀初めには政治的に統一し、仏教を取り入れ、文字を作るなどその文化の基盤をきずいた。漢族は、これを吐蕃とばんと呼んだ。

ウイグル族

ウイグル族は回紇かいこつ回鶻)などとも称せられ、9世紀中ごろ多民族に追われて現在の新疆しんきょう地方へ移った民族である。

ウイグル族はトルコ系の部族で、15世紀以降イスラーム化し、現在中国の新疆ウイグル自治区に居住する。

モンゴル人

モンゴル人は、中国の内モンゴル地方とその周辺にかけて居住する。従来内モンゴルは彼らの遊牧地帯であったが、清代から漢族が移住して農業をおこなうようになり、しだいに両族の混血地帯となった。

ツングース族

中国のツングース族は、満州族・シボ族・ホーチォ族など南部グループとエベンキ族・オロチョン族など北方グループに分けられる。

満州族

満州族は、元来中国東北地方で農業を主として生活し、古くからこの地方に居住したが、しばしば南下して中国本土の征服を企て、17世紀に入って清王朝をたてた。このことは同時に彼らが漢族に同化される原因となった。今日では、彼らの大半は漢族とほとんど変わらない生活をしている。

言語

東アジアの言語について概観すれば、中国語はチベット語・ビルマ語・タイ語とともにシナ・チベット語族に属する。アルタイ語族には、トルコ・モンゴル・ツングース系の諸民族が包括されるが、朝鮮語もこの語族と近い関係にある。

東アジアではその歴史の始まりは、黄河・長江(揚子江)流域に誕生した古代文明にさかのぼる。それはやがて華中・華南におよび、さらに周辺諸国にも大きな影響を与えた。また古くより、北方の狩猟・遊牧民はしばしば中国に侵入し、漢族の農耕民との接触がおこなわれた。このようにして、風土・生業・言語などの多様性をもちながら、1000年以上のあいだ漢字や儒教・仏教など共通の文化によって結ばれた独自の世界として中国を中心にしだいに東アジア世界が形成されていった。

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