海の道(マリン・ルート)
地中海から紅海やペルシア湾を通り、アラビア海を渡ってインドに達し、インドから東南アジアを経由して中国にいたる航海路。馬やラクダによる輸送に比べて大量輸送が可能となった。季節風を利用してインド洋を渡り、中継貿易は南インドを中心に、東南アジアのマラッカ海峡、インドシナ半島南部も航海上の要衝であった。
海の道(マリン・ルート)
青線が海の道
地中海から紅海やペルシア湾を通り、アラビア海を渡ってインドに達し、インドから東南アジアを経由して中国にいたる航海路である。船による輸送の特色は、馬やラクダによる輸送に比べて大量輸送が可能な点にある。このルートによる中継貿易の中心地は南インドであり、インドと西方の貿易は、ローマが発展して、ギリシア系商人が活躍し始めた1世紀頃から開かれた。彼らは季節風を利用してインド洋を渡り、香料や奢侈品を中心に活発に交易を行なった。この頃記された『エリュトラー海案内記』( 南インドの諸国)は、作者不明であるが、活発な貿易のようすを描いており、遠く東南アジアや中国のことと思われる記述が見られる。
またインドと中国を結ぶ東南アジアのマラッカ海峡、インドシナ半島南部も航海上の要衝であった。航海技術に長じたマレー・ポリネシア系の人々は、沿岸各地に国をつくり、島々の間を往来した。この結果、南インドから東南アジアにかけての国々は、海上貿易で栄えた。
8世紀からは、イランやアラブのムスリム商人が海上に進出し、広州や泉州など中国沿岸の海港に入港し( 人と物と知識の交流)、居留地を形成して活発に交易するようになった。このころには、彼らが海の道における交易の担い手となっていた。
宋朝以降、北方で騎馬民の活動が活発になると、陸路による交易が妨げられるようになり、海の道はますます発展していった。ムスリム商人たちはマレーシアの錫、インドネシアの香辛料、中国の陶磁器などの商品とともに、中国起源の火薬、羅針盤(磁針)などの先進技術をも西方に伝えたが、これらの技術はヨーロッパ世界でおおいに改良されて発展を遂げ、活字印刷術と合わせて、ルネサンスの「三大発明」と称されるにいたった。またイスラームの進んだ科学技術は、中国にも影響を与えた。13世紀に作られた授時暦は、イスラームの観測法を取り入れ、精緻な観測を行い、正確な1年の長さを算出した。
ダウ船
東に東南アジアの島々、西に東アフリカの沿岸をひかえたインド洋は、古くからダウ船を利用した人や物資の広範囲な交流の舞台となった。今日でも、ダウ船は活用されている。
諸地域世界の交流年表
紀元 | 年 | 関連事項 |
---|---|---|
紀元前6世紀 | スキタイ人、南ロシアで活躍 | |
344 | アレクサンドロス3世の東方遠征開始 | |
209 | 冒頓単于即位、匈奴全盛 | |
紀元前2世紀 | 前漢の武帝(漢)即位、西域経営を推進 | |
139 | 張騫、大月氏に派遣される | |
紀元後 | 97 | 甘英、ローマ帝国に派遣される |
166 | 大秦国王安敦の使者、中国に至る | |
2世紀 | 仏教が中国(後漢)に伝わる | |
399 | 法顕(東晋の僧)、インドに赴く | |
401 | 鳩摩羅什、洛陽に至る | |
600 | 621 | 長安にゾロアスター教寺院建立 |
629 | 玄奘(唐の僧)、インドに赴く | |
635 | 唐に景教(ネストリウス派)伝来 | |
651頃 | 唐にイスラーム教伝来 | |
671 | 義浄(唐の僧)、インドに赴く | |
694 | 唐にマニ教伝来 | |
700 | 751 | タラス河畔の戦い、製紙法が西伝 |
1000 | 1096 | 十字軍(〜1291) |
1200 | 1219 | チンギス・カン、中央アジア遠征 |
1241 | ワールシュタットの戦い | |
1245 | プラノ・カルピ二、モンゴルへ出発 | |
1252 | ウィリアム・ルブルック、モンゴルへ出発 | |
1258 | フレグ、バグダードに入城 | |
1275 | マルコ・ポーロ、大都に至る | |
1294 | モンテ・コルヴィノ、大都で布教 | |
1300 | 1346 | イブン・バットゥータ、大都に至る |
1400 | 1405 | 鄭和の南海遠征(〜33) |