異端運動と宗教改革
聖書の教えに従うものでも、教皇の権威を否定し、教会が認める以外のかたちで救済をめざそうとする運動は異端として厳しく弾圧された。教会の腐敗を非難し、聖遺物の崇拝や化体説を否定した14世紀オクスフォード大学のウィクリフ、その説を奉じ教会を批判した15世紀のフス、15世紀末フィレンツェにおいて改革をはかったサヴォナローラなどはいずれも異端とされた。これらの運動は成功をみなかったとはいえ、その精神において宗教改革の先駆的運動とみなすことができる。
異端運動と宗教改革
サヴォナローラは1497年アレクサンデル6世(ローマ教皇)に破門され、メディチ家の策謀もあり、1498年に火刑にされた。作者不詳のこの絵は、中心に火刑にされるサヴォナローラを描き、その周辺にひそひそ話をする数人のグループがみえる。策略に満ちた当時のフィレンツェのようすを伝えている。
教会の腐敗・堕落に対しては中世においてもいくつかの改革運動があり、その原因である聖職者の世俗化を否定し、教会の宗教性と精神的権威の維持をはかってきた。これらの教会改革運動は、信仰生活を実践するための新しい修道団などを創設したが、カトリック教会の権威や制度そのものを否定するものではなかった。
一方、聖書の教えに従うものでも、教皇の権威を否定し、教会が認める以外のかたちで救済をめざそうとする運動は異端として厳しく弾圧された。教会の腐敗を非難し、聖遺物の崇拝や化体説を否定した14世紀イギリス・オクスフォード大学のジョン・ウィクリフ、その説を奉じ教会を批判した15世紀プラハ大学のヤン・フス( 教会勢力の衰微)、15世紀末フィレンツェにおいて改革をはかったジロラモ・サヴォナローラなどはいずれも異端とされた。これらの運動は成功をみなかったとはいえ、その精神において宗教改革の先駆的運動とみなすことができる。