美術と音楽 53.19世紀欧米の文化
19世紀欧米の文化 美術 ©世界の歴史まっぷ
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美術と音楽

  • 絵画:ゴヤ(西), ダヴィド(仏), アングル(仏), ジェリコ(仏), ドラクロワ(仏), ドーミエ(仏), クールベ(仏), コロー(仏), ミレー(仏), マネ(仏), モネ(仏), ドガ(仏), ルノワール(仏), セザンヌ(仏), ゴーガン(仏), ゴッホ(蘭)
  • 音楽:ハイドン(澳), モーツァルト(澳), ベートーヴェン(独), シューベルト(墺), シューマン(独), ワグナー(独), ショパン(ポーランド), リスト(ハンガリー), ヴェルディ(伊), ベルリオーズ(仏), グリンカ(露), チャイコフスキー(露), フォスター(米), ドビュッシー(仏)

美術と音楽

19世紀欧米の文化 美術と音楽

絵画音楽
ゴヤ(西)
新古典主義
古典主義絵画
ダヴィド(仏)
アングル(仏)
ハイドン(澳)
モーツァルト(澳)
ベートーヴェン(独)
古典派音楽
ロマン主義絵画ジェリコー(仏)
ドラクロワ(仏)
シューベルト(墺)
シューマン(独)
ワグナー(独)
ショパン(ポーランド)
リスト(ハンガリー)
ヴェルディ(伊)
ベルリオーズ(仏)
ロマン主義音楽
写実主義絵画
ドーミエ(仏)
クールベ(仏)
グリンカ(露)
チャイコフスキー(露)
フォスター(米)
国民楽派
自然主義絵画コロー(仏)*
ミレー(仏)*
印象派マネ(仏)
モネ(仏)
ドガ(仏)
ルノワール(仏)
ドビュッシー(仏)印象派音楽
後期印象派セザンヌ(仏)
ゴーガン(仏)
ゴッホ(蘭)
*バルビゾン派
彫刻:ロダン(仏)

美術

古典主義絵画

古典主義絵画
古典主義絵画 ©世界の歴史まっぷ

絵画の分野では18世紀末から19世紀初めにかけてギリシア・ローマを模範とし、格調が高く均整のとれた様式である古典主義 Classicism が主流となった。フランス革命の際にはジャコバン派の一員として「マラーの死」を描き、理性崇拝の宗教の演出を担当し、ナポレオン時代には宮廷画家として「ナポレオンの戴冠式」や「アルプス越え(アルプスを越えるナポレオン)」を描いたダヴィド David (1748〜1825 ジャック=ルイ・ダヴィッド)や、その弟子で古典主義絵画の完成者とされるアングル Ingres (1780〜1867, 「泉」 ドミニク=アングル)などがその代表である。

ロマン主義絵画

ロマン主義絵画
ロマン主義絵画 ©世界の歴史まっぷ

19世紀に入って生まれたロマン主義絵画は、情熱的で幻想的な点を特徴とし、フランスのジェリコ T.Géricault (1791〜1824 テオドール=ジェリコー)によって創始され、ドラクロワ Delacroix (1798〜1863)が指導して当時の主流となった。ドラクロワはギリシア独立戦争の際、「キオス島の虐殺」を描いて独立運動支援の世論を高め、当時絵画の虐殺とさえ酷評される激しさを表現した。1831年に七月革命を描いた「民衆を導く自由の女神〈副題「1830年7月28日」〉」を発表してその地位を確立した。

自然主義絵画

自然主義絵画
自然主義絵画 ©世界の歴史まっぷ

19世紀の中ごろになると、古典主義の理想化やロマン主義の誇張を捨ててありのままの農村や自然の風景、さらには都市市民の生活を描こうとする自然主義・写実主義絵画が現れた。

フランス自然主義絵画の代表はコロー Corot (1796〜1875 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー)で、自然を凝視した風景画(代表作「フォンテンブローの森」)を多く残した。ミレー Millet (1814〜75 ジャン=フランソワ・ミレー)もまた自然主義画家として農民生活を主題とする絵、たとえば「種蒔く人」「落穂拾い」「晩鐘」などを描いた。彼は七月革命後の貧困も一因となってバルビゾンに移住し、ここで働く農民の姿を誠実に描きつづけ、同じ画家仲間と友愛の精神のもとバルビゾン派 L’École de Barbizon を形成した。

写実主義絵画

写実主義絵画
写実主義絵画 ©世界の歴史まっぷ

写実主義も同時期におこり、ドーミエ Daumier (1808〜79 オノレ=ドーミエ)は30年代痛烈な風刺漫画を描き、七月王政政府から禁固刑に処せられたが、その生き方を変えず油彩画や水彩画にも力を入れ、同時代のミレーが貧しい農民の哀感を誠実に描いたのに対して、彼は都市下層民のたくましい生活のようすを描きだした。クールベ Courbet (1819〜77 ギュスターヴ=クールベ)も写実主義画家として「石割り(絵画)」「波(絵画)」などを描き、二月革命をきっかけにおこった民衆のための芸術思想や同郷の友人プルードンの影響もうけ、重厚な写実絵画を描いた。彼は71年のパリ=コミューンに参加したが、運動が挫折したあと禁固刑をうけ、晩年はスイスに移住した。

印象派

印象派
印象派 ©世界の歴史まっぷ

19世紀後半には印象派 Impressionism の画家が現れた。彼らは「明るく、さらに明るく」をモットーに、光と陰の色彩を主観的な感覚によって追求したので、当時の風刺雑誌記者によって印象派と名づけられた。その画風の創始者はマネ Manet (1832〜83, 「草上の昼食」 エドゥアール=マネ)で、彼の周りには印象主義の確立者であるモネ Monet (1840〜1926, 「睡蓮」 クロード=モネ)などがいた。またドガ Degas (1834〜1917 エドガー=ドガ)は踊り子や競馬などを描き、ルノワール Renoir (1841〜1919)は印象派の巨匠として女性の肖像や浴女などを描いた。

後期印象派
後期印象派
後期印象派 ©世界の歴史まっぷ

この印象派から発展したのが後期印象派 Post-Impressionism である。彼らは視覚だけにとどまらず、自然の根源的形態の把握につとめ、自己の感覚を重視して絵画を構成する手法をとった。セザンヌ Cézanne (1839〜1906, 「林檎のある静物」 ポール=セザンヌ)はその指導者で、ゆがんだかたちをも利用して自然のもつ本質を追求し、20世紀絵画に大きな影響を与えた。また同じ派には、晩年タヒチで生活したゴーガン Gauguin (1848〜1903, 「3人のタヒチ人」 ポール=ゴーギャン)や、強烈な色彩感覚をもちながら晩年に精神を病んだオランダのゴッホ Gogh (1853〜90, 「ひまわり」「はね橋」 フィンセント・ファン・ゴッホ)などがいる。

彫刻

さらに彫刻の分野では、フランスでロダン Rodin (1840〜1917, 「考える人」「カレーの市民」オーギュスト=ロダン)がでて、写実技法にもとづいて人間のあらゆる感情や内的生命力を表現した。

考える人(オーギュスト=ロダン作/ロダン美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

音楽

古典派音楽

古典派音楽
古典派音楽 ©世界の歴史まっぷ

音楽の分野では、18世紀後半から19世紀初めにかけて古典派音楽がさかんとなり、125の交響曲を作曲し近代的ソナタ形式を確立して「交響曲の父」と呼ばれたオーストリアのハイドン Haydn (1732〜1809, 「四季」, 交響曲「軍隊」「時計」)、35歳で死去しながらも数多くの作品を残した音楽の天才モーツァルト Mozart (1756〜91, 「魔笛」)、ボンに生まれ9つの交響曲によってその名声を不朽のものとしたドイツのベートーヴェン Beethoven (1770〜1827, 16の「弦楽四重奏曲」「荘厳ミサ」)などがでた。

ロマン主義音楽

ロマン主義音楽
ロマン主義音楽 ©世界の歴史まっぷ

古典派音楽に続くのがロマン主義音楽である。すでにベートヴェンの作品にもロマン主義的傾向がみられるが、近代歌曲の創始者シューベルト Schubert (1797〜1828, 「冬の旅」「未完成交響曲」)は、個性や感情など人間の諸様相を表現した。フランスのベルリオーズ Berlioz (1803〜69, 「幻想交響曲」「レクイエム」)は色彩感覚にみち劇的な標題音楽をつくりだし、ドイツのシューマン Schuman (1810〜56, 「謝肉祭」, 交響曲「ライン」)はロマン派の理論的指導者としてピアノ曲を中心に幻想的で心理的に揺れ動く人間の表情を表現し、ポーランドのショパン Chopin (1810〜49, 「前奏曲」)は祖国の危機に苦悩しながらも、ピアノ音楽を中心に生命力を燃焼させた。またハンガリーのリスト Liszt (1811〜86, 「ハンガリー狂詩曲」 フランツ=リスト)は、交響詩を創始し高度な技法を必要とするピアノ曲を作曲した。ドイツのワグナー Wagner (1813〜83, 「ニーベルングの指環」「タンホイザー」)は南ドイツ(バイエルン王国)のルートヴィヒの協力をえて、バイロイトを拠点として中世の神話にもとづく楽劇を創始し、イタリアのヴェルディ Verdi (1813〜1901, 「トラヴィアータ(椿姫)」「リゴレット」 ジュゼッペ=ヴェルディ)はオペラ(歌劇)の作曲に新境地を開いた。

その他

また民族的伝統にもとづく音楽を作曲するものも現れた。ロシアではグリンカ Glinka (1804〜57, 『イヴァン=スサーニン」)が題材を民謡に求める方向を確立し、チャイコフスキー Chaikovskii (1840〜93, 「白鳥の湖」「第6交響曲(悲愴)」 )は西欧のロマン派音楽に影響をうけながらも民族的色彩に富む作品を残し、アメリカのフォスター Foster (1826〜64, 「スワニー川」)は黒人の生活や日常生活を題材とする歌謡曲を作曲した。

イタリア人作曲家・サリエリ

18世紀までのイタリアは文化の先進地域とみなされていた。当時、オーストリア宮廷は演劇や映画の「アマデウス」で有名になった、イタリア人作曲家サリエリを採用していた。彼の作品は現在演奏されることはほとんどないが、歴史的意義は有能な作曲家を発掘した点にある。モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルトは彼の紹介によるものであり、オーストリア音楽はひとりのイタリア人作曲家によって開花したといってよい。しかし、18世紀末のフランス革命の影響もあり、モーツァルトは最後のオペラ「魔笛」でそれまでのオペラがイタリア語で上演されていたのをやめて、ドイツ語による作曲をおこなった。これ以降ベートーヴェンもドイツ語によるオペラを作曲するし、またシューベルトはドイツ語の歌曲を多くつくった。18世紀末からのヨーロッパの政治状況は、音楽家にも確実に影響を与えたのであった。

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