西フランク
大諸侯が豪族化するなか、ノルマン人(ヴァイキング)の侵入に悩まされ、885年セーヌ川中流のパリがロロ率いるノルマン人に攻囲され屈辱的な協定を結んだシャルル肥満王にかわり、パリを防衛したウードが即位した。カロリング家が断絶するとロベール家のパリ伯ユーグ・カペーが即位し、フランス王国のカペー朝を開いた。
西フランク
西フランク王国(フランス)でも、シャルル2世(西フランク王)(禿頭王)の晩年から政情が乱れ、フランキア・ネウストリア・ブルゴーニュ・アキテーヌ・フランドルなど大諸侯がしだいに豪族化していった。その頃西フランクを悩ませたのがノルマン人の侵入であった。すでに9世紀前半から沿岸部に来航していたが、同世紀半ばにはセーヌやロワールの河口に定住し、川をさかのぼって内陸部にも侵入するようになった。
885年、セーヌ川中流のパリがロロ(徒歩王)率いるノルマン人に攻囲された時、これに耐えてパリを防衛したのがパリ伯、ロベール家のウードであった。大諸侯は、ノルマン人と屈辱的な協定を結んでいたシャルル肥満王(カール3世(フランク王))を廃位し、かわってウードを王国に推戴した(ウード(西フランク王))。
しかし、カロリング家の断絶とともに、ロベール家の血を引くパリ伯ユーグ・カペーが即位し、フランス王国のカペー朝を開いたが、諸侯勢力の前に王権はふるわず典型的な封建社会を現出させた。