農耕・牧畜の開始
これまでの人類は野生の動植物に頼る獲得経済を行なっていたが、農耕・牧畜の開始によって生産経済の時代に入った。これは人類にとって真の革命といえ、近代の産業革命以前の最大の革命であり、人類に与えた影響ははかりしれない。生産経済によって人類は自然に働きかけ、これをある程度コントロールし、自力で生活を発展させることができるようになった。人類の社会も文明もこれ以後大きく発展することになる。そして現在にいたるまで、農耕・牧畜の生産経済は人類の生活と文明の基礎となっているのである。
農耕・牧畜の開始
これまでの人類は野生の動植物に頼る獲得経済を行なっていたが、農耕・牧畜の開始によって生産経済の時代に入った。これは人類にとって真の革命といえ、近代の産業革命以前の最大の革命であり、人類に与えた影響ははかりしれない。生産経済によって人類は自然に働きかけ、これをある程度コントロールし、自力で生活を発展させることができるようになった。人類の社会も文明もこれ以後大きく発展することになる。そして現在にいたるまで、農耕・牧畜の生産経済は人類の生活と文明の基礎となっているのである。
農耕と牧畜は、西アジアから東地中海、すなわちイラン西南部サグロス山地からアナトリア高原南部をへて地中海にいたる地域で最初に始まったといわれる。これらの地域には栽培化させやすい穀物や豆類が自生しており、野生動物も多くいた。おそらく紀元前9千年紀(紀元前9000年〜紀元前8001年)には山羊・羊の家畜化が始まり、紀元前7千年紀にかけて麦・エンドウ・レンズ豆が栽培されるようになり、豚と牛も家畜化されていった。家畜は食肉用が主であったが、山羊や羊の乳も早くから利用された。黒曜石の磨製石器=新石器がさかんに作られ、土器も用いられはじめ、織物も作られるようになった。この西アジアの初期農牧文化はしだいに広い地域に伝播して生き、紀元前5千年紀にはユーラシアとアフリカの多くの地域に農耕・牧畜文化が成立し、それぞれの地域に合わせた作物、家畜の栽培・飼育へと発展していった。先進的な西アジアではやがて粘土と日乾煉瓦の小屋からなる集落が生まれた。イラクの東北部のジャルモやテル・サラサートからはそのような新石器時代の遺跡が見つかっている。
総じて初期の農法は雨水に頼る乾地農法で、肥料もほどこさない略奪農法だったから、耕地を頻繁に放棄せざるをえず、定住集落は生まれにくかったが、紀元前7000年ころの中央アナトリアのチャタル・ヒュユクには日乾煉瓦の家屋が多数接続してつくられ、壊れたらその上にまた建てて丘(ヒュユク)になった新石器時代の遺跡も見つかっている。
農耕の起源
農耕・牧畜の起源については西アジアが単一の起源をなした、という説と、ユーラシアの幾つかの地域、それにアフリカとアメリカで相前後してそれぞれ独自に発生したという説がある。多源説によれば、東アジアでは中国黄河流域で紀元前6000年頃、米や粟などの雑穀、大豆などの栽培と犬・豚の家畜化が始まった。そして紀元前5000年頃の河姆渡遺跡からは水稲栽培がおこなわれていたことがわかり、西アジアとは異なる、米を主食とする農耕が広がっていった。
南アジアのインダス上流でも紀元前7000年頃、小麦・大麦の栽培と牛・山羊・羊の牧畜が始まったと思われる。ガンジス川峡谷では少し遅れて稲の栽培がおこなわれだした。またアフリカは現代よりも湿潤で、紀元前6千年紀にはアフリカ北西部に西アジアから小麦・大麦の栽培が伝わったが、中南部ではすでに紀元前7千年紀からヤムイモの栽培、牛の家畜化がはじめられていた。彼らアフリカの初期農耕民は今は砂漠化したサハラに動物を描いた岩絵を残している。このほか新大陸のアメリカでも中部から紀元前7000年〜紀元前4000年にかけて独自のジャガイモやトウモロコシの栽培が始められていた。
土器の発明
新石器時代以降に発明された土器は食物の調理と貯蔵のために極めて便利な道具であった。移動生活には不向きだから、土器の使用は定住生活が行われだしたことを意味している。
最古の土器は日本のもので、1万2000年前からつくられたが、それは農耕以前のことであった。
その他の地域でも独自に、西アジアでは紀元前8000年紀に、インドでは紀元前6000年紀に土器を用いはじめた。
中国はもっと遅れた。土器ははじめは土を練ってつくった紐を巻き上げる方法でつくり、やがて型をつくって押し当てる方法、そしてろくろが発明された。焼く温度も野火で焼く低温によるものから土をかぶせることが工夫され、窯の使用によって固い土器がつくられるようになった。