イタリア・ルネサンスの美術と天才たち
レオナルド・ダ・ヴィンチ, フィリッポ・ブルネレスキ, レオン・バッティスタ・アルベルティ, マサッチオ, ドナテッロ, ミケランジェロ・ブオナローティ, ラファエロ・サンティ, ロレンツォ・ギベルティ, ジョット・ディ・ボンドーネ, サンドロ・ボッティチェリ, フィリッポ・リッピ, アンドレア・デル・ヴェロッキオ, ドナト・ブラマンテ
イタリア・ルネサンスの美術と天才たち
中世のゴシック絵画の完成者である
ジョット・ディ・ボンドーネ(1266年頃〜1337年)は、またルネサンス絵画の先駆者でもある。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の壁画を始めとする彼の多くの作品は、人間性と宗教性を融合した絵画の新しい表現様式をつくりだした。
15世紀のフィレンツェは、
マサッチオ(1401年〜1428年)、
ドナテッロ(1386年頃〜1466年)、
ロレンツォ・ギベルティ(1381年頃〜1455年)、
フィリッポ・ブルネレスキ(1377年〜1446年)、
サンドロ・ボッティチェリ(1445年〜1510年)などすぐれた芸術家を生み出した。
マサッチオは北方のゴシックの流行を断ち切り、ジョット・ディ・ボンドーネ以来の伝統の上にルネサンス絵画を創始した。「
プリマヴェーラ(春)」や「
ヴィーナスの誕生」などの作品で名高いサンドロ・ボッティチェリも、15世紀後半にフィレンツェで活躍した画家である。彼はフィレンツェでフィリッポ・リッピ(1406年〜1469年)やアンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435年頃〜1488年)に学び、様式化した表現や曲線を生かした装飾的な構図のなかで独特の女性美や詩的な世界を描き出した。
プリマヴェーラ (サンドロ・ボッティチェリ画/ウフィツィ美術館蔵) ©Public Domain
彫刻ではゴシック様式の伝統を打破する実写主義を導入したドナテッロがいる。初々しい少年の裸体像で表現された「ダヴィデ」、パドヴァ広場に立つ「ガッタメラータ騎馬像」などが彼の代表作である。
ガッタメラータ騎馬像 (サンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂前サント広場) ©Public Domain
フィレンツェ洗礼堂(
サン・ジョヴァンニ洗礼堂)の聖堂門扉の浮き彫りコンクールにフィリッポ・ブルネレスキを破って当選したロレンツォ・ギベルティは、
遠近法を用いた構図でルネサンス彫刻を推し進めた。
イサクの犠牲 1401年優勝作品 (ロレンツォ・ギベルティ作/パルジェロ美術館蔵) Source: Wikipedia
フィレンツェの大聖堂の巨大な円蓋の屋根を設計したフィリッポ・ブルネレスキは、ルネサンスを代表する建築家である。
当時の芸術家は工房の共同作業で職業訓練を受け、技術を磨いた。芸術家と職人は分化したものでなく、建築・絵画・彫刻のどれもに携わった。このような環境のなかから
レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404年〜1472年)や
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年)、
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475年〜1564年)のような万能の天才が生まれた。
レオン・バッティスタ・アルベルティは古代建築を研究し、『絵画論』『彫刻論』『建築論』を著した博学多才のヒューマニストで建築家である。
サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家の
ドナト・ブラマンテ(1444年頃〜1514年)も画家として修行したのち建築家に転じている。
ルネサンスを代表する芸術家の
レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家であると同時に科学者であった。「
最後の晩餐」「
モナ・リザ」などの作品のほか、人間や自然を観察したおびただしい素描を残している。また、解剖学をはじめ諸科学の分野の観察と応用を行い、その手稿は彼のあくことなき探究心を示している。まさにルネサンスの典型的な万能人である。
最後の晩餐 (レオナルド・ダ・ヴィンチ画/サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院) ©Public Domain
盛期ルネサンス様式を確立した
ミケランジェロ・ブオナローティは、
メディチ家、ローマ教皇に仕えた彫刻家、画家、建築家である。強い意志と個性、非凡な才は、彫刻作品「
ダヴィデ」、システィーナ礼拝堂のフレスコ画「
最後の審判(ミケランジェロ)」などに表現されている。
ミケランジェロ
ミケランジェロは陰鬱で寡黙、態度も粗暴なところがあったが、どこか人を惹きつける魅力をもっていたようである。彼の芸術家としての腕は多くの人の認めるところで、制作依頼は絶えなかった。フィレンツェの市庁から依頼されたのは、大理石の大作『
ダヴィデ像(ミケランジェロ)』、レオナルド・ダ・ヴィンチとの競作が話題をさらったパラッツォ・ヴェッキオの大会会議の壁画の制作、ユリウス2世(ローマ教皇)から依頼されたのは、記念墓碑、そしてローマのシスティナ礼拝堂天井画などである。彼は助手も使わず、4年間、足場の上にへばりついて、あの巨大な壁画を独力で完成させた。彼はその後も、システィナ礼拝堂の正面壁画「最後の審判(ミケランジェロ)」の制作、サン・ピエトロ大聖堂の円蓋の設計など依頼されているが、彼自身が好んだのは大理石の彫刻であった。彼は石に関する知識と技術にすぐれ、イタリアで最良の大理石の採石場であるカラーラの石切り場にしばしば足を運んで石を選んだ。彼は「私は余分なものを取り除くだけで、そうすると彫刻がそこに現れるのだ」と述べている。
「ロンダニーニのピエタ」は彼が工房において死ぬ前日まで手を加えていた作品である。大理石を削ぎ落としたノミの跡を残し、痩せ細った肉体を掘り出しているこの作品は、子の死に対する母の悲しみを、いっさいの余分なものを取り除いて表現しようとしたのであろうか。
最後の審判(ミケランジェロ) (ミケランジェロ画/システィーナ礼拝堂・ヴァチカン) ©Public Domain
正面にこのミケランジェロの「最後の審判(ミケランジェロ)」があり、左右の壁面にはイエスとモーセに関する物語、例えば山上の垂訓、最後の晩餐などがボッティチェリ、ギルランダイオなどによって描かれている。
レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ・ブオナローティの芸術を学び、天才的技法と完成された調和を示す作品を多く生み出したのは
ラファエロ・サンティ(1483年〜1520年)である。多数の優美な
聖母画、ヴァチカン宮殿の壁画などを残し、前2者と並んでルネサンスの三大巨匠に数えられている。
アテナイの学堂 (ラファエロ・サンティ画/ヴァチカン宮殿ラファエロの間の署名の間に描かれたフレスコ画) ©Public Domain
ヴァチカン宮殿の署名の間を飾るラファエロの壁画。盛期ルネサンス古典様式の最高傑作のひとつ。プラトン、アリストテレス、ソクラテスなど古代ギリシアの哲学者、偉人を画面に集めて描いたもの。画面中央の少し右に立ち黒い帽子をかぶっているのはラファエロ自身。