ゲルマン諸国家
ゲルマン諸国家
西ゴート人
東ゴート人
東ゴート人はフン帝国の配下でパンノニアに移住したが、5世紀半ばのフンの瓦解とともに独立した。その後テオドリック(東ゴート王)の指導によりイタリアに侵入し、オドアケルを倒してラヴェンナを首都とする東ゴート王国を建設した。テオドリック時代の東ゴートは、ローマの制度や文化を尊重し、ゲルマン諸国家中最大の繁栄を誇ったが、王の死後東ローマ帝国ユスティニアヌス朝第2代皇帝ユスティニアヌス1世により滅ぼされた。
テオドリック
少年時代、10年間ビザンツ帝国の人質としてコンスタンティノープルの宮廷に仕えた。その後、父王のあとを継いで即位、ビザンツ皇帝の命でイタリアに遠征しオドアケルを打倒した。彼はボエティウスらのローマ人役人を重用してイタリア支配をおこなうとともに、みずからフランク国王クローヴィスの妹と結婚するなど、他のゲルマン諸国家との同盟体制確立に努めた。だが、それはやがてビザンツ皇帝の警戒心を強めることにもなった。
ヴァンダル人
ヴァンダル人は5世紀初め、ガリアを横断しイベリア半島に定着した。そして西ゴート人の圧迫を受けると、ガイセリック王のもとで北アフリカに渡り、カルタゴの故地にヴァンダル王国を建設した(429年 – 534年)。
一時地中海諸島を領有したが、ローマ系先住民を軍事的に抑圧して反発を招き、東ゴートと同じく東ローマ帝国のユスティニアヌス1世により征服された。
ブルグント人
ブルグント人は5世紀初めライン中流域に建国したが、フン族に破れたため南下し、ガリア東南部ローヌ川流域のサヴォイ地方にブルグント王国を建設した。(443年 – 534年)
1世紀ほどのちフランク人に滅ぼされるが、その名はブルゴーニュ(古いブルグント領の拡大した地域)という地名に残された。
フランク人
フランク人はサリー・リブアリー・上フランクの3つの勢力からなり、ライン下流域に居住していた。その後、ガリア北部に移動し、5世紀になると多数の小国家をつくった。
これらを統一し、フランク王国を建設したのがサリー人のメロヴィング家からでたクロヴィス1世である。
他のゲルマン諸国が短命に終わる中で、フランク王国は9世紀まで存続し、西ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした。
アングル人・サクソン人・ジュート人
5世紀中頃海を渡ってブリタニア南部(イングランド)に侵入し、先住のケルト人を征服して20ばかりの小国家群を形成した。
それらは6世紀末ころまでにイースト=アングリア・ノーサンブリア・マーシア・ウェセックス・サセックス・ウェセックス・ケントの七王国(ヘプターキー)に統合された。
ランゴバルド人
ランゴバルド人はライン・エルベ両河の間に定住していたが、ほかより遅れて6世紀半ばすぎに移動を始めた。アルボイン(アルボイーノ)王のもとで東ゴート滅亡後の北イタリアに入り、パヴィアを都にランゴバルド王国を建設した。8世紀後半にはフランク王国と激しく争い、カール大帝により滅ぼされた。その後も北イタリアの地はロンバルディアと呼ばれて現在に至る。