ゲルマン諸国家 568年のヨーロッパ地図
568年のヨーロッパ地図 ©世界の歴史まっぷ

ゲルマン諸国家

ゲルマン諸国家

ヨーロッパ世界の形成と発展
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
ゲルマン人とスラヴ人の移動地図
ゲルマン人とスラヴ人の移動地図 ©世界の歴史まっぷ

西ゴート人

西ゴート人は現在のブルガリアに定着し、378年にアドリアノープルでウァレンス(ローマ皇帝)のローマ軍を破った。 アラリック1世のもとでバルカン半島各地を移動し、5世紀初めにイタリアに侵入してローマ市を荒らした。(410年) アラリックの死後ガリア南部に入り、トロサ(トゥールーズ フランス)を都に西ゴート王国を建設した(418年)。 1世紀ほどのち、クローヴィス率いるフランク族に敗れた(507年)ため、イベリア半島のトレド(スペイン)に遷都し、711年にイスラーム教徒のウマイヤ朝に滅ぼされるまでその地で存続した。
西ゴート族アラリック1世が登場する作品
ザ・ローマ帝国の興亡 第六話 西ローマ帝国の滅亡 ゴート族 ローマ帝国 アラリック1世
ザ・ローマ帝国の興亡 第六話 西ローマ帝国の滅亡
ザ・ローマ帝国の興亡 第六話 西ローマ帝国の滅亡 登場人物とあらすじ – 世界の歴史まっぷ

東ゴート人

東ゴート人はフン帝国の配下でパンノニアに移住したが、5世紀半ばのフンの瓦解とともに独立した。その後テオドリック(東ゴート王)の指導によりイタリアに侵入し、オドアケルを倒してラヴェンナを首都とする東ゴート王国を建設した。テオドリック時代の東ゴートは、ローマの制度や文化を尊重し、ゲルマン諸国家中最大の繁栄を誇ったが、王の死後東ローマ帝国ユスティニアヌス朝第2代皇帝ユスティニアヌス1世により滅ぼされた。
476年のヨーロッパ地図
476年のヨーロッパ地図 ©世界の歴史まっぷ

テオドリック

少年時代、10年間ビザンツ帝国の人質としてコンスタンティノープルの宮廷に仕えた。その後、父王のあとを継いで即位、ビザンツ皇帝の命でイタリアに遠征しオドアケルを打倒した。彼はボエティウスらのローマ人役人を重用してイタリア支配をおこなうとともに、みずからフランク国王クローヴィスの妹と結婚するなど、他のゲルマン諸国家との同盟体制確立に努めた。だが、それはやがてビザンツ皇帝の警戒心を強めることにもなった。

ヴァンダル人

ヴァンダル人は5世紀初め、ガリアを横断しイベリア半島に定着した。そして西ゴート人の圧迫を受けると、ガイセリック王のもとで北アフリカに渡り、カルタゴの故地にヴァンダル王国を建設した(429年 – 534年)。 一時地中海諸島を領有したが、ローマ系先住民を軍事的に抑圧して反発を招き、東ゴートと同じく東ローマ帝国のユスティニアヌス1世により征服された。

ブルグント人

ブルグント人は5世紀初めライン中流域に建国したが、フン族に破れたため南下し、ガリア東南部ローヌ川流域のサヴォイ地方にブルグント王国を建設した。(443年 – 534年) 1世紀ほどのちフランク人に滅ぼされるが、その名はブルゴーニュ(古いブルグント領の拡大した地域)という地名に残された。

フランク人

フランク人はサリー・リブアリー・上フランクの3つの勢力からなり、ライン下流域に居住していた。その後、ガリア北部に移動し、5世紀になると多数の小国家をつくった。 これらを統一し、フランク王国を建設したのがサリー人のメロヴィング家からでたクロヴィス1世である。 他のゲルマン諸国が短命に終わる中で、フランク王国は9世紀まで存続し、西ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした。
526年のヨーロッパ地図
526年のヨーロッパ地図 ©世界の歴史まっぷ

アングル人・サクソン人・ジュート人

アングル人サクソン人ジュート人はユトランド半島から北ドイツのエルベ川下流域に住んでいた。 5世紀中頃海を渡ってブリタニア南部(イングランド)に侵入し、先住のケルト人を征服して20ばかりの小国家群を形成した。 それらは6世紀末ころまでにイースト=アングリア・ノーサンブリア・マーシア・ウェセックス・サセックス・ウェセックス・ケントの七王国(ヘプターキー)に統合された。
アングロ・サクソン7王国地図
アングロ・サクソン七王国地図 ©世界の歴史まっぷ

ランゴバルド人

ランゴバルド人はライン・エルベ両河の間に定住していたが、ほかより遅れて6世紀半ばすぎに移動を始めた。アルボイン(アルボイーノ)王のもとで東ゴート滅亡後の北イタリアに入り、パヴィアを都にランゴバルド王国を建設した。8世紀後半にはフランク王国と激しく争い、カール大帝により滅ぼされた。その後も北イタリアの地はロンバルディアと呼ばれて現在に至る。
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