アウステルリッツの戦い フランス革命への問い
1805年12月2日アウステルリッツの戦い(フランソワ・ジェラール画/ヴェルサイユ宮殿蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

フランス革命への問い

ブルジョワジーはさまざまな規制から解放され、経済上の自由を獲得した。しかし貧富の差は拡大した。富の平等をめざした革命は挫折し、未完の革命はなお継続する。平等をめざす人々は「社会主義」に関心をむけることになる。ー方では革命は戦争をひきおこし、恐怖政治で多くの人々を虐殺した。革命から導きだされたナポレオンの独裁は、フランスに栄光と悲惨のどちらをもたらしたか。

フランス革命への問い

フランス革命から200年以上が経過した。その間、フランス革命は常に問いつづけられてきた。問われることで、フランス革命は政治や社会、思想や人々の意識に影響を与えてきた。歴史にどのような問いを発するかは、時代や問う人のおかれている状況に左右される。また、問いそのものがひとつの思想的立場の表現であるといえる。

革命はなによりもそれを生きた人々にとって大きな事件であった。理想や欲望が渦巻いて、権力抗争や武力抗争がくりかえされた。日常的秩序が変化にさらされた。生活の不安があり、未来への希望があった。恐怖があり、情熱があった。

フランス革命ではなにがおこったのか。それがまず発せられる問いである。無数の事件、無数のエピソードのなかから、革命を特徴づけるものを拾いだしたり、革命の進展に最も大きな影響をもった事件を特定したり、ドラマとして興味・関心をひくものがくわしく説明されてきた。

フランス革命はアメリカ革命や19世紀の他の革命と比較しても、より広範で徹底した社会変動であった。恐怖政治時代の権力の集中、政府と社会の徹底的再編成、階級間の闘争の激しさ、富や所得の再分配、富裕階級の無産市民に対する恐怖、他の国に与えたセンセーショナルな反響、反革命や戦争の危機、反革命に対する際限のない疑惑、激烈で緊急な手段、フランス革命はそれまでにない激しい社会の変動を要求した。

しかし、出来事を多く語ることで革命がよりいっそうよく理解できるとは限らない。出来事の複雑な森のなかにまよいこみ、その全体像や本質的意味を失うこともある。

フランス革命はなぜおこったか。これも大きな問いである。さまざまな要因が歴史家により拾いあげられる。アンシャン=レジームの身分制度をはじめとするさまざまな不合理や矛盾。社会的・経済的な階級間の対立。ブルジョワジーの社会・政治の主導権への欲求。特権にあぐらをかく無能な貴族・聖職者階級。秩序や体制に不満をもつ階級や階層。凶作や不況で生活の不安にさらされた農民・労働者。財政の危機的状態。決断力に欠け、温厚ではあったが同時に無能でもあった国王。それらが革命の原因として拾いだされ、偶然の事件とそれらが組み合わされ説明される。革命はおこるべくしておこったのか。それにかかわった人々の意図はどう働いたのか。解釈は多様である。

フランス革命は何をもたらしたか。この問いも多様な答えをひきだす。さまざまな諸事件の連続の結果、旧制度はくつがえされ、資本主義の発達が促進され、ブルジョワジーが権力の座についた。フランス革命は、「ブルジョワ革命」(市民革命)であるというのも答えのひとつである。

革命は旧制度を打ちこわし、王政を廃止し、政治の近代化をもたらし、自由・平等の理念を広めた。革命は「権利の宣言」の理念にむかって時代を進めた。

ブルジョワジーはさまざまな規制から解放され、経済上の自由を獲得した。しかし貧富の差は拡大した。富の平等をめざした革命は挫折し、未完の革命はなお継続する。平等をめざす人々は「社会主義」に関心をむけることになる。

ー方では革命は戦争をひきおこし、恐怖政治で多くの人々を虐殺した。それは革命の理想を実現するための犠牲であったのか。革命から導きだされたナポレオンの独裁は、フランスに栄光と悲惨のどちらをもたらしたか。

革命の総決算では、革命と帝政における戦争での領土の収支はほぼ差し引きゼロである。ナポレオンが拡大したフランスの国境は、ウィ一ン会議で革命前の国境にもどされた。

革命期における人命の損失は、第ー次世界大戦がフランスにもたらしたものをうわまわる。1789年から99年の間の虐殺と戦争による死者は少なくみても60万、ナポレオン時代の死者は90万。この間の人的損失はフランスの人口の5%である。ちなみに、1914~18年の第一次世界大戦の場合の人的損失はフランスの人口の3.5%であった。革命期からナポレオン時代に続く戦争はフランスの海上・植民地貿易を破綻させ、イギリスが7つの海を支配し海上輸送路を拡大するのを可能にした。経済的総決算はマイナスかプラスか。革命はフランスの経済発展にどのような結果をもたらしたのか。歴史への問いはつぎつぎに浮かびあがる。

さらに、革命はいつ終わったのか、革命の成果をいつの時点で評価するのか、王政復古からパリ=コミューンにいたる政治変動は革命の遺産なのか、などの問いがある。また実際に革命によってフランス人は幸福になったのか、あるいは豊かになったのか、政治や社会秩序の安定がもたらされたのか、という素朴で根本的な間いもあろう。

1794年のテルミドールのクーデタは革命を終わらせたのか。恐怖政治という逸脱を是正して革命を本筋にもどしたのか。それとも1799年のブリュメールのクーデタでナポレオンが宣言したように、革命は当初の目的を達成し終わったのか。ナポレオン体制が革命の帰結であるとすると、ナポレオンの没落、すなわち1814年の彼の退位または1815年のワーテルローの戦いは革命の破産であったのか。王政復古は立憲君主制を確立しえず革命を否定し、1830年、48年まで革命は継続されたのであろうか。

歴史への間いの答えはひとつではないであろう。きわめて説得的な説明ですら、観点を変えれば整合性を失う。時代の変化は問いの意味を変える。しかし、間いつづけることで歴史の内容は豊かになり、歴史はさまざまな側面をみせるのである。

ナポレオンの登場と大陸支配流れ図

47.ナポレオンの登場と大陸支配流れ図
47.ナポレオンの登場と大陸支配流れ図