モンゴル帝国の解体
- 元:明によりモンゴル高原に追われた。
- チャガタイ・ハン国:14世紀半ばには内紛から東西に分裂し、やがてティムールに征服された。
- キプチャク・ハン国:15世紀には内政の腐敗から衰退し、イヴァン3世のモスクワ大公国の独立によって崩壊した。
- イルハン国:14世紀の半ばころからは王権をめぐる抗争が続いて国内は分裂し、のちに中央アジアからおこったティムールに征服された。
モンゴル帝国の解体

各ハン国の展開
チャガタイ・ハン国
首都:アルマリク チャガタイ・ハン国は、チンギス=ハンの次子チャガタイが天山山脈北麓のイリ川流域からサマルカンドを中心に中央アジアに建国。ハイドゥの乱ののちオゴタイの旧領を併合するが、トルコ人の影響からトルコ語を用い、また急速にイスラーム化した。14世紀半ばには内紛から東西に分裂し、やがてティムール朝に征服された。キプチャク・ハン国
首都:サライ キプチャク・ハン国は、バトゥがヨーロッパ遠征(バトゥの西征)の帰途、南ロシアに建国。住民の多くがトルコ系であったことから急速にイスラーム、トルコ化した。また、ロシアの諸侯を朝貢させ、黒海から東方につうじる交通路を支配して、マムルーク朝や東ローマ帝国と交渉をもち、ウズベク・ハンの時代には最盛期を迎えた。しかし、15世紀には内政の腐敗から衰退し、イヴァン3世のモスクワ大公国の独立によって崩壊した。イルハン国
首都:タブリーズ イルハン国は、フレグの西征でイランを中心に建国。シリアをマムルーク朝と、カフカスをキプチャク・ハン国と争った。また、同じトルイ家のフビライのたてた元朝とは友好関係を保った。第7代ハンのガザン・ハンは、みずからイスラームに改宗して、これを国教とするとともに、歴史家ラシードゥッディーンを宰相に登用して、土地制度や税制の改革に当たらせ、全盛期を迎えた。しかし、14世紀の半ばころからは王権をめぐる抗争が続いて国内は分裂し、のちに中央アジアからおこったティムールに征服された。モンゴル帝室の家系図
