南部の再建 クー=クラックス=クラン
クー=クラックス=クラン(3万人のシカゴの集会 1920年)(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

南部の再建 北部急進派と南部黒人層が再建の主導権を掌握してさまざまな改革を性急に進めたため混乱が発生し、南部白人層は1865年テロ組織・クー=クラックス=クラン(KKK)を結成するなど反発した。

南部の再建

南部では戦争によって農場が荒廃し、橋や鉄道などの公共建築物は破壊されて、大農園を経営していたプランターが没落し、かわって中産階級が台頭した。この時期、北部軍隊が南部諸州に進駐し、北部急進派と南部黒人層が再建の主導権を掌握してさまざまな改革を進めた。しかし、北部の急進派と黒人による改革はあまりにも性急であったので多くの混乱が発生し、南部白人層は1865年クー=クラックス=クラン(KKK)を結成するなど反発し、しかも北部穏健派は連邦の統一を求めて南部白人層のとりこみを画したので急進派主導の改革路線は破綻し、かわって南部白人による黒人の政治参加阻止の動きが顕著となった。すなわち「黒人諸法」 Black Codes といわれる法律が制定され、黒人差別が助長された。解放された400万近い黒人は土地を所有していなかったし、奴隷解放宣言には土地の分与は含まれていなかったので、小作農になるか農業労働者になるかしかなかった。19世紀後半南部に広がったシェアクロッパー制度 Sharecropping では収入の2分の1までも地主に払う場合があり、しかも農産物価格が下落すれば小作人の収入はマイナスにさえなった。こうして土地所有の問題が置き去りにされたので、黒人の経済的・社会的地位の改善は進まなかった。

黒人解放の憲法修正事項

黒人解放に関する憲法修正条項は3つある。修正第13条(1865)でリンカンが発表した奴隷解放宣言が明文化され、修正第14条(1868)によって黒人の公民権が保証され、修正第15条(1870)によって黒人の選挙権が保証されて、白人と黒人の平等が実現した。しかしこれは表面的なものに止まっていたことは、その後のアメリカの歴史が示している。つまり南部では黒人の奴隷解放は実現したが、「差別」が残ったのであった。黒人差別が解消し、公民権が最終的に保証されるのは1960年代のジョンソン大統領の時代である。

クー=クラックス=クラン(KKK):テネシー州で1865年結成されたテロ組織で、アメリカ出生主義と白人とプロテスタントの優越を主張して黒人を迫害した。20世紀になると、反黒人だけでなく反ユダヤ・反共産主義・反カトリック・反「反戦論者」・反進化論など、その排撃対象は拡大した。

黒人諸法:投票日にさきだってだって1ドルないし2ドルの投票税を支払わなければ投票できないとしたり、投票に際して憲法の一部を読ませその内容を理解できない黒人には投票させなかったり、「祖父条項」と呼ばれる1867年1月1日以前に投票したものとその子孫にのみ投票を許すとして黒人を排除する条項などを州法や州の憲法改正という方法によって実施した。

シェアクロッパー制度:土地・農機具・住居・家畜など農業生産に必要な手段を地主から借りうけ、そのかわりに収穫物の3分の1から2分の1を地主に支払うシェアクロッパー(分益小作人)を使った土地制度