学問の発達 18.アフリカのイスラーム化とイスラーム文明の発展
ハリーリーの『マカーマート』に描かれたバスラの公立図書館 (知恵の館)©Public Domain

学問の発達

イスラーム教徒はインドからも医学・天文学・数学を学んだが、とくに数学の分野で数字(後のアラビア数字)と十進法とゼロの概念を導入したことが注目される。これによって代数学や幾何学はめざましい進歩をとげ、錬金術・光学で用いられた実験方法とともに、ヨーロッパに伝えられて近代科学への道を開くものとなった。
アッバース朝第7代カリフ、マアムーンに仕えたフワーリズミー(780〜850)を始めとする数学者たちは、三角法を代数学に応用し、また円錐曲線を用いて三次方程式を解く方法をすでに知っていた。

学問の発達

イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

神学・法学

最初に発達したイスラーム教徒の学問は、アラビア語の言語学と『コーラン』の解釈学、およびこれにもとづく神学や法学であった。
とくに法律は、イスラーム教徒の生活と密接に関連する。8世紀以後、イスラーム教徒の数の増大によって係争事件が複雑になると、『コーラン』だけにたよって裁判をおこなうことは不可能となった。このような社会の状況の変化に対応して、マーリク・イブン・アナス(709頃〜795)やシャーフィイー(767〜820)らの法学者たちは、『コーラン』やムハンマドの言行にもとづいて、イスラーム法を体系化することに努力をかたむけた。彼らのもとには多くの弟子が集まり、のちに「四正統法学派」と呼ばれるシャーフィイー派・マーリク派・ハンバル派・ハナフィー派などスンナ派の法学派や、これとは別にシーア派の法学派が次々と誕生していった。

日常生活を規制するイスラーム法が整えられると、すべてのイスラーム教徒はいずれかの法学派に属するようになった。

歴史学・伝記

これらの学問の拠りどころとして、ムハンマドに関する伝承(ハディース)の収集が熱心におこなわれ、これが歴史学伝記の発達を促した。イラン生まれの歴史家タバリー(839〜923)は、バグダードでイスラーム諸学を修めたのちに、人類の誕生から始まる年代記形式の大部な世界史「諸使徒と諸王の歴史(預言者たちと諸王の歴史)」を著し、アラブ歴史学の伝統を確立いした。北アフリカやイベリア半島で諸スルタンに仕えたイブン・ハルドゥーン(1332〜1406)は、その経験をいかして世界史『考察の書』を執筆し、その「序説(歴史序説)」で都市と遊牧民との交渉を中心に、王朝興亡の歴史に法則性のあることを論じた。

またイブン・ハルドゥーンから歴史学を学んだエジプトのアル=マクリーズィー(1364〜1442)は、その主著『エジプト誌』のなかで、マムルーク朝治下のエジプトの社会生活を生き生きと描きだした。

伝承の収集

8〜9世紀にかけて預言者ムハンマドの言行に関する膨大な数の伝承が集められた。各伝承の真偽を確かめるためには、その伝承を伝える人物の素性を調べることが必要となる。そのためにイスラーム世界では、伝記のジャンルがとくに発達し、カリフの列伝やスルタンの伝記のほかに、政治家・軍人・知識人・商人などの事績を集成した大部な伝記集が数多く著された。歴史の分野でも、列伝は重要な位置を占め、たとえば11世紀に書かれた『バグダード史』では、全14巻のうち第2巻以降はすべて列伝によって占められている。

外来の学問

イスラーム教徒の外来の学問は、9世紀初めにギリシア語文献がアラビア語に翻訳されはじめてから飛躍的に発達した。イラン南西部にあるジュンディシャープールの学院では、イスラーム以前からギリシアやインドの学術が、シリア語やパフラヴィー語(中世ペルシア語)によって研究されていた。この町を征服したアラブ人は、この学院での成果を受け継ぎ、ヘレニズム化したギリシア学術の継承者となることができた。さらにアッバース朝のカリフ・マアムーン(813〜833)は、バグダードに「知恵の館」を建設し、ここに学者たちを集めて、ギリシア語やペルシア語からアラビア語への翻訳を組織的に推し進めたのである。

ファーティマ朝時代のカイロにも、学問センターとして「知恵の館(ダール・アルイルム)」が建設され、シーア派の教義を中心に、哲学・数学・天文学などの研究がおこなわれた。

イスラーム教徒は、まずこれらの翻訳によってギリシアの医学天文学幾何学光学地理学などを学び、これらを臨床や観測・実験によってさらに豊富で正確なものとした。ブハラ生まれのイブン・スィーナー(980〜1037)は、臨床によって病理を綿密に分析した『医学典範』を著し、イスラーム医学界の最高権威とみなされた。またティムールの孫で第4代君主ウルグ・ベク(1447〜1449)によってサマルカンドに建設された天文台では、高度な観測の結果に基づいて『ウルグ・ベク天文表』がつくられ、ギリシア天文学の成果を一新した。

イスラーム教徒はインドからも医学・天文学・数学を学んだが、とくに数学の分野で数字(後のアラビア数字)と十進法ゼロの概念を導入したことが注目される。これによって代数学幾何学はめざましい進歩をとげ、錬金術・光学で用いられた実験方法とともに、ヨーロッパに伝えられて近代科学への道を開くものとなった。
アッバース朝第7代カリフ、マアムーンに仕えたフワーリズミー(780〜850)を始めとする数学者たちは、三角法を代数学に応用し、また円錐曲線を用いて三次方程式を解く方法をすでに知っていた。

哲学

イスラーム教徒はギリシア哲学、とくにアリストテレスの『形而上学』『自然学』『オルガノン』などの著作を熱心に研究した。イブン・シーナ―は哲学の分野でも優れた成果をあげ、アリストテレスの学問を継承して独自の形而上学を完成した。またコルドバ生まれのイブン・ルシュド(1126〜1198)も、医学者として活躍するかたわら、アリストテレス思想の現像を復元することに力を注いだ。10世紀以降のイスラーム思想界では、神秘主義思想スーフィズム)がしだいに影響力を強めてくるが、信仰と理性の調和はよく保たれていた。それは、ガザーリーをはじめとする神学者が、ギリシア哲学の用語と方法論を学び、合理的で客観的な神学体系を樹立したからである。

イスラームの学問分野と学者年表

フワーリズミー, タバリー, フェルドウスィ, イブン・ハイサム, ビールーニー, イブン・スィーナー, アフリカヌス, イブン・ファドラーン, ウマル・ハイヤーム, ガザーリー, ジェラルド, サアディー, イブン・ルシュド, ラシード・ウッディーン, ウルグ・ベク, イブン・ハルドゥーン, イブン・バットゥータ, マックリーズィー