明治維新(世界史) アロー戦争に強い衝撃をうけた幕府は、井伊直弼主導下に1858年日米修好通商条約、蘭・露・英・仏とも同様の不平等条約を締結。対外危機の中で下級武士を中心に倒幕運動がおこり、大政奉還をへて68年天皇親政の明治政府成立した。
明治維新(世界史)
欧米列強のアジア進出の圧力は、やがて江戸幕府のもとで17世紀以来鎖国を続けてきた日本にもおよぶようになった。ロシアが18世紀末以降、日本の北方海域に出没するようになったことは前述( ロシアの東方進出)のとおりであるが、19世紀になると、アメリカが日本を捕鯨船の補給基地と中国貿易の寄港地として目をつけるようになり、1853年、ペリー Perry (1794〜1858)の率いるアメリカ艦隊(黒船)が浦賀に来航し、日本の開港を求めた。幕府では開国か攘夷かをめぐって激しい対立があった。
対外的には、幕末の1855年(安政元年12月)にロシアとの間で日露和親条約が結ばれ、千島列島の択捉島(エトロフ)以南を日本領、得撫島(ウルップ)以北をロシア領とし、樺太(サハリン)を両国民雑居の地と定めていたのに対し、1875年に樺太・千島交換条約を結んで、全樺太をロシア領、全千島を日本領と定めた。また、江戸時代まで日本(薩摩藩)と清に両属するかたちをとっていた琉球に対して、その領有権を強く主張し、1872年に琉球藩をおき、1879年には軍隊を派遣したうえでこれを沖縄県に改めた(琉球処分)。
❶ この後、イギリス・ロシア・オランダともほぼ同様な和親条約が締結された。
❷ 「台湾先住民は清朝政府の支配下にあるか」などが問題となったが、事件後、大久保利通が全権となって清と交渉し、イギリス公使ウェードの調停もあって、清から補償金50万両が支払われることで日本軍は撤兵し、事件は一応の解決をみた。