民主主義の発展
1837年の風刺画民主党をロバで表現(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
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民主主義の発展

  • 1800年の革命:世界で初めて政権の交代が選挙によって平和的に実現した(ジェファソン大統領)
  • 1828年の革命:最初の西部出身の大統領が誕生した(ジャクソン大統領)

民主主義の発展

アメリカ合衆国では18世紀後半の憲法制定過程において、連邦国家の権限に関する対立は連邦派(フェデラリスト)と反連邦派(リパブリカン)の二大政治勢力を生みだした。ワシントン大統領の財務長官であったハミルトン Hamilton (1757〜1804)ら連邦派は、連邦国家の権限強化を主張し、一方トマス=ジェファソンらの反連邦派は、州の権限の確保を優先した。両派は1800年の大統領選挙で激しく対立した。結局ジェファソンが大統領に就任(任1801〜09)することになって反連邦派が政治的に勝利したが、この事件は政権の交代が選挙によって平和的に実現した世界最初の事例であったので、「1800年の革命」と呼ばれている。
この選挙ではジェファソンとアーロン=バー Aaron Burr が同率となったが、バーの識見に疑問をもったフェデラリストのハミルトンがジェファソンを大統領に推薦するよう工作した。
19世紀初めイギリス本国がナポレオンとの戦争に突入すると、アメリカは中立を守って貿易上の利益をえた。これに対抗してイギリスとの戦争を主張し、1812年6月18日議会で宣戦布告が可決され、アメリカ=イギリス戦争(米英戦争または第2次独立戦争 1812〜14)が勃発した。 アメリカ側はワシントンが占領されるなど戦況は不利であったが、イギリスとの貿易が絶えることによってアメリカ合衆国の経済的自立が始まり、ニューイングランド地方を中心に木綿工業の進展がみられた。1814年ナポレオン戦争が終結し、戦争継続の意味がなくなったので、12月オランダのガンで平和条約が締結された(ガン条約)が、この連絡が伝わらなかった英・米両軍が1815年1月ニューオーリンズ郊外で衝突し、のちに大統領になるアンドリュー=ジャクソンが率いるアメリカ軍が勝利した。 1820年代のアメリカ合衆国では西部の開拓の進展や社会の新しい展開がみられ(公立学校の設立が開始されたり、男性普通選挙が24州のうち20州で認められたりした。)、太平洋岸を南下しその勢力を拡大していたロシアに対する警戒心もあって、23年モンロー大統領 Monroe (1758〜1831、任1817〜25)が議会への教書でいわゆる「モンロー教書(宣言)」 Monroe Doctrine を発表してメッテルニヒの軍事干渉に反対の立場をとり、孤立主義政策を提示し、ヨーロッパとアメリカ大陸との相互不干渉の立場を明確にした。 さらに19世紀前半におけるアメリカ合衆国にとっての重要な事件は1828年の大統領選挙であった。合衆国がイギリスから独立を達成したのち、フロンティア Frontier が西漸せいぜんし(西漸運動(西部開拓))、白人の西部への入植が増大した。フロンティアの存在は東部の社会的矛盾を解決するものであり、産業資本のための広大な市場でもあり、西部には東部のような植民地時代からの伝統もなく、実力主義の社会であったので、アメリカの民主主義の進展に貢献したといわれる。この西部を背景に、アンドリュー=ジャクソン Andrew Jackson (1767〜1845 任2829〜37)が最初の西部出身の大統領となった(「1828年の革命」)。彼は資本家の力を抑えて社会の平等化に貢献し、民主主義が進展したのでこれをジャクソニアン=デモクラシー Jacksonian Democracy と呼ぶ。反ジャクソン派はジャクソンの専制を避難してホイッグ党(ウィッグ)を形成し、奴隷制反対運動の高まりに対応して54年共和党へと発展した。一方ジャクソン派は民主党を形成した。
ジャクソニアン=デモクラシー:スポイルズ=システム(党人任用制)と官職交代制の2つがその代表的制度である。これは、選挙に勝利した政党や党派が自分の支持者を官僚に任命して独占する制度で、だれでもが官僚になれることを示した。

アメリカの政党の発展と変遷

1824年の大統領選挙で旧フェデラリストを中心に結成されたのが国民共和党で、34年になってジャクソン大統領の「専制」に対抗する意味でホイッグ党と改名し、54年に奴隷制反対を唱えて資本家や西部農民を支持基盤として共和党に発展した。一方、反連邦派(リパブリカン)は1800年ジェファソン大統領を当選させ、連邦派の政策もとりいれて民主共和党が生まれ、モンロー大統領の時代には一党政治を実現した。しかし西部の開拓、南部奴隷制の拡大、政党の大衆化などの現象によって党内に労働者・西部農民・職人などの左派が台頭したので、西部出身のジャクソンを大統領に送り民衆中心の政策を進め、民主党と改名した。1829年から61年まで2期(8年)をのぞいて大統領を独占したが、40年代から50年代にかけては南部奴隷主が党の主導権を掌握したので、奴隷制問題が深刻化すると党内は分裂し、南北戦争を迎えた。

アメリカの国歌

1814年7月13〜14日、ボルティモアのフォート=マックヘンリー砦の攻防戦で、フランシス=スコット=キー Francis Scott Key は友人の釈放を求めてイギリス軍と交渉した。そしてその要求は認められたが、一晩イギリス軍の船上に留めおかれることになった。翌日一昼夜にわたるイギリス軍の激しい砲撃をうけた砦に星条旗がたなびくのをみて彼は感動し、作詞した。これが「The Star-Spangled Banner」で、当時のイギリスの「アナクレオンの歌 To Anacreon in Jeaven 」の旋律にあわせて愛唱され、1931年正式なアメリカ国家として採用された。