大戦の結果 総力戦と挙国一致体制
物量戦と総力戦 ©世界の歴史まっぷ

総力戦と挙国一致体制

短期決戦と考えられた戦争は凄惨な塹壕戦となり、1914年10月にはドイツもフランスも軍需物資の平時備蓄を使い果たし、かつて想像もしなかった物量戦と消耗戦になった。

総力戦と挙国一致体制

第一次世界大戦の勃発 第一次世界大戦中のヨーロッパ
第一次世界大戦中のヨーロッパ ©世界の歴史まっぷ
第一次世界大戦前の国際関係図
第一次世界大戦前の国際関係図 ©世界の歴史まっぷ

各国の市民はこの戦争を防衛戦争ととらえ、開戦を歓迎した。ベルリン・パリ・ロンドンなどの大都市では群衆が街頭を埋めつくし、愛国ムードが高まった。しかし、短期決戦と考えられた戦争は凄惨せいさん塹壕ざんごう戦となり、1914年10月にはドイツもフランスも軍需物資の平時備蓄を使い果たし、かつて想像もしなかった物量戦と消耗戦になった。西部戦線では1915年4月のイープルの戦い Ypres でドイツ軍は毒ガスを使用し、1916年6月からのソンムの戦い Somme では戦史上初めてイギリス軍の戦車が登場した 。また、同年2月から12月までヴェルダン要塞 Verdun をめぐる攻防戦が展開され 、仏独両軍の戦死者は70万に達した。圧倒的な物量戦のために経済体制は軍需産業中心に再編され、銃後の女性や青少年も軍需工業へ動員された。貿易を断たれたドイツ・オーストリア・ロシアは食料配給制をとるなど国民の消費生活全体が統制された。イギリスは史上初めて徴兵制を導入し、インド兵・モロッコ兵・コンゴ兵・アルジェリア兵などを戦場に動員した。こうして、軍事・経済ばかりでなく国民心理をも含む国力全体を戦争にむけて結集する総力戦となり、戦争の形態は大きく変化した。

大戦が勃発すると、ドイツ社会民主党が戦時公債に賛成したように、社会主義者の多くは反戦の立場を貫かずに祖国防衛に転じ、各国で挙国一致体制が成立していた 。しかし、戦争終結への展望が開けず、国民生活も窮乏すると戦争遂行への疑問や不満が広まり、国際的な反戦運動を再建する試みもおこなわれるようになった。そのため各国政府は戦争目的を見失いがちな国民の心をよりひきつけるために、いっそう強力な戦争指導体制を再構築する必要に迫られた。ヴェルダンの攻防戦に失敗したドイツでは1916年8月にヒンデンブルク・ルーデンドルフの軍事独裁体制が成立して総力戦体制を確立した。イギリスでは、軍需相であったロイド=ジョージが1916年12月みずから挙国一致内閣の首相となって食料配給制度など経済に対する国家統制を強めた。

総力戦と挙国一致体制
物量戦と総力戦 ©世界の歴史まっぷ
  • 飛行機と飛行船による都市爆撃も初めておこなわれた。
  • ドイツ軍の猛攻に耐え、ヴェルダン要塞を死守したペタン将軍(1856〜1951)の名声が高まった。
  • ドイツでは「城内平和」、フランスでは「神聖連合」という。

第一次世界大戦年表

ヨーロッパ・アメリカアジア
190810澳、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合7青年トルコ革命
19117第2次モロッコ事件10辛亥革命
9イタリア=トルコ戦争(〜12.10)
191210第1次バルカン戦争(〜13.2)1中華民国成立
19136第2次バルカン戦争(〜8)7中国第二革命
19146サライェヴォ事件
7墺、セルビアに宣戦
8独、ロシア・フランスに宣戦、ベルギー侵入8日本、ドイツに宣戦
英、ドイツに宣戦インド参戦
タンネンベルクの戦い
9マルヌの会戦、仏が独を阻止10オスマン帝国同盟国側に参戦
11日本、青島攻略
19154イープルの戦い(毒ガス初使用)1日本、二十一カ条の要求
5伊、三国同盟破棄、オーストリアに宣戦中国、文学革命運動
ルシタニア号事件9フセイン・マクマホン協定
10ブルガリア、同盟国側に参戦12袁世凱帝政宣言→第三革命
19162フェル弾要塞攻防戦(仏が死守)
5ユトランド沖海戦5サイクス・ピコ協定
6ソンムの戦い(連合軍の攻勢)
19171米、ウィルソン大統領「勝利なき平和」
2独、無制限潜水艦作戦
3露、二月革命(三月革命)
4米、ドイツに宣戦7ロレンス、アラビアで蜂起を組織
8中国、ドイツに宣戦
9孫文、広東軍政府成立(〜20)
11露、十月革命(十一月革命)「平和に関する布告」11バルフォア宣言
石井・ランシング協定
19181ウィルソン大統領「十四カ条」提案
3ブレスト=リトフスク条約
9ブルガリア、休戦8日本、シベリア出兵
10オスマン帝国、休戦
11墺、休戦
ドイツ革命
第一次世界大戦終結
19191パリ講和会議3朝鮮、三・一独立運動
3コミンテルン結成英、インドにローラット法
6ヴェルサイユ条約調印5中国、五・四運動
7ソヴィエト、カラハン宣言
参考:山川 詳説世界史図録
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