都市の自治権獲得 中世都市
ネルトリンゲン(現在) 中世の面影を残す南ドイツの都市。城壁で囲まれ、いくつかの城門を使って城外と行き来した。城壁内の市民の家屋は木造で、多くは2〜6階におよんでいた。画像: Google Earth

都市の自治権獲得

ヨーロッパの中世都市は、都市全体が城壁で囲まれた城塞の役割を果たしていた。ヨーロッパの都市名には城壁を意味する〜ブルク(〜プール、〜バラ)とつくものが多い。中心部に市場の開かれる広場があり、それに沿って教会と市庁舎が建てられ、教会堂と市庁舎の高い尖塔は旅人に都市の位置を知らせる標になった。中世都市は商工業・宗教・政治の中心であり独自の都市法をもつ自治団体であった。

都市の自治権獲得

西ヨーロッパ中世世界の変容
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

成立期の都市は近在の封建領主の保護をうけることもあったが、経済力の上昇とともに次第に自治への要求を高めていった。だが、領主にとっても都市への課税や関税収入は重要な財源であったため、両者の交渉が常に平和裡に進むとは限らなかった。通常は、特許状による諸権利(市場権・貨幣鋳造権・居住権・交易権など)の買収という形で都市は自治権を獲得していったが、領主をのぞく都市市民全員が制約団体を結成して戦う場合もあった。こうした動きは、コンミューン運動communeと言われ、11世紀後半から約1世紀ほどの間にライン・セーヌ両河にはさまれた地で続発した。

また12世紀後半から13世紀にかけて、ドイツの新たに開発された地方を中心に、諸侯が積極的に都市を建設する動きがみられた。

こうした建設都市の例としては、西南ドイツからスイス一帯に、ツェーリング家が建設したフライブルクやベルンなどが有名である。

自領の軍事的要衝を固めるとともに、各地の商工業者を集めて経済的繁栄をはかろうとしたのである。この建設都市では、最初から広範な自治を認めることを条件に、大商人に都市づくりを請け負わせたため、自治権をめぐる闘争は起こらなかった。
こうして、13世紀に入ると、西ヨーロッパ各地に独自の都市法と裁判所を持つ自治都市が形成され、従来の貴族・聖職者・農民の3身分のほかに、新たに市民身分が成立することになった。

他方、都市の自治権は国により、地域によって強弱の差があった。イタリアの場合、カロリング家の断絶後統一的権力が欠如するなかで、司教を中心とした都市住民の団結が強まり、12世紀以降市民自身が市政を運用する都市共和国コムーネ)が誕生した。ヴェネツィア・ミラノ・フィレンツェ・ジェノヴァなど、北・中部イタリアに200をこすコムーネが存在したという。だが、やがてギルド(組合)依る少数の大商人が都市貴族を形成し、14〜15世紀には中産層を抑えて寡頭かとう政治が行われるようになった。これに対し、ドイツの自治都市の多くは帝国都市ないしは自由都市の形態をとった。

帝国都市

帝国都市とは、王領地の多い南ドイツを中心に成立した皇帝・国王に直属する都市のことで、諸侯と同格ながら、基本的に皇帝への貢納・軍役の義務を負った。

自由都市

自由都市とは、かつての司教都市から成長したバーゼル・シュトラスブルク・シュパイアー・ヴォルムス・マインツ・ケルン・レーゲンスブルクの7都市をさし、帝国都市が皇帝への義務を負ったのに対し、ほぼ完全な自治権をもった。しかし、その後両者の区別はあいまいになり、しばしば、自由帝国都市として一括された。

中世都市の構造

ヨーロッパの中世都市は、形態においても性格においても、近現代の都市とは異なっていた。
まず形態的には、都市全体が石造りの城壁で囲まれ、わずかに城門によってのみ外部の世界(農村地帯)とつながっていた。いわば都市が城塞の役割を果たしていたのである。ヨーロッパの都市名には〜ブルク(〜プール、〜バラ)とつくものが多いが、これは城壁を意味する言葉であり、その由来をよく物語っている。また、都市の中心部には市場の開かれる広場があり、その広場に沿って教会と市庁舎(市参事会堂)が建てられていた。教会堂と市庁舎の高い尖塔は遠くからも望見でき、旅人に都市の位置を知らせる標ともなった。こうした形態から、中世都市が商工業の中心であるばかりでなく、宗教と政治の中心、とりわけ独自の都市法をもつ自治団体であったことが理解される。

都市同盟

これらの都市は、自立はしたものの、人口・規模などの点で皇帝や諸侯に劣る場合が多く、その軍事的圧力に対抗し、あるいは共同の利益の確保のために、都市同盟を結成した。

北イタリアのロンバルディア諸都市では、ドイツ皇帝のイタリア南下政策(イタリア政策)に対抗し、12世紀から13世紀にかけて、2度にわたりロンバルディア同盟を結んだ。だが、その規模と期間の長さにおいて、ロンバルディア同盟をはるかにしのぐのが、13世紀から17世紀まで存続した北ドイツのハンザ同盟である。

ハンザ同盟:北海・バルト海貿易で活動する商人たちの間に自然発生的にできた仲間団体(ハンザとは「商人の仲間」の意味)が原型で、加盟市に対する規制力も弱かった。

最盛期は14世紀で、リューベックを盟主にハンブルク・ブレーメン・リューネブルク・ケルン・ダンツィヒなど加盟市は100を超え、北欧からロシア・イギリス・ネーデルラントなど、地中海沿岸をのぞく全ヨーロッパで商業活動を展開した。ノヴゴロド・ベルゲン・ブリューシュ・ロンドンなどの貿易拠点には在外商館をもうけ、商圏確保のためには時には戦争をすることもあった(1370年 デンマーク海軍撃破)。しかし、15〜16世紀以降の集権国家の成長と、イギリス・オランダ商人の登場により打撃を受け、最終的には17世紀の三十年戦争により消滅した。