革命としてのアメリカ独立
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革命としてのアメリカ独立

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革命としてのアメリカ独立

アメリカ革命は、1789年のフランス革命からラテンアメリカ諸国の独立を含め、1848年のヨーロッパの諸革命にいたる「ヨーロッパ革命」「大西洋革命」の長い革命の時代の幕開けであった。アメリカ革命において初めて、自由・平等や自然権、人民主権など近代の政治・社会の基本原則となるものが、政治の場面で明確に宣言された。

革命としてのアメリカ独立

アメリカ独立はアメリカ革命あるいはアメリカ独立革命の名で呼ばれる。アメリカ独立は本国の政策に対し、植民地がそれまでえていたものを守ろうとする保守的な行動から生まれたものであり、真の「革命」でないとする見方もある。しかし、それはイギリス本国に対する武力闘争であると同時に、植民地に住んでいた人々の間で闘われた革命的闘争であった。独立戦争の進展につれて、立場の違う人々の間に迫害や脅迫が横行し、イギリス本国に忠誠であろうとした人々は本国やカナダなどに移住し、政治的亡命者の財産は没収されたのである。独立革命をつうじて、植民地時代の富豪や富裕階級の数が相対的に減少し、中流階級が政治的・社会的に力をのばしたのは明らかである。

アメリカ革命は17世紀のイギリス革命、18世紀末のフランス革命とともに、「市民革命」(ブルジョワ革命)という概念でまとめられることがある。しかしこの「市民」あるいは「ブルジョワジー」が意味するものは3つの革命でそれぞれ異なる。イギリス革命はかなり貴族的な地主が主導した革命であり、アメリカ革命は小農・大地主・地方弁護士などが主体となった革命であり、フランス革命は都市中産層・小市民・労働者層、小作農、法律家、一部の貴族・聖職者まで広範な階層が革命の陣営に加わり、革命の局面ごとに複雑な展開をみせた革命であった。「市民革命」の概念でこれら革命をとらえようとする「市民」や「ブルジョワジー」の概念を極端に一般化しなければならない。

13州植民地には農奴もいなければ、領主や貴族、特権的な教会も存在しなかった。そのかわり、独立当時約200万の白人人口に対し少数派にとどまっていた土着のインディアン、さらに50万近い黒人奴隷が存在した。フランスでは大革命中、奴隷制は廃止されたが、アメリカでは南北戦争まで奴隷制は残された。インディアンは南北戦争後も白人と平等の権利は認められず、ジェノサイドの対象にすらされた。平等主義の原理においてはフランス革命はアメリカ革命より徹底していた。

アメリカ革命は、1789年のフランス革命からラテンアメリカ諸国の独立を含め、1848年のヨーロッパの諸革命にいたる「ヨーロッパ革命」「大西洋革命」の長い革命の時代の幕開けであり、その一過程とみることもできる。アメリカ人の多数はヨーロッパ人の植民およびその子孫であり、アメリカはヨーロッパの出店であった。アメリカ革命とヨーロッパの諸革命との間には、革命の背景や展開においてよりその原理・目的・理念などで多くの類似点を見出すことができる。

アメリカ革命において初めて、自由・平等や自然権、人民主権など近代の政治・社会の基本原則となるものが、政治の場面で明確に宣言された。「すべての人は平等に創られ」「生命・自由・幸福の追求」の権利をもち、政府はこうした諸権利を擁護するために存在し、政府がその機能を明らかに果たしえなくなったとき、人民はそれを転覆し、新しい政府を組織しうるという革命の公式を明らかにした。アメリカはこうした理念をギリシア・ローマの思想、ジョン・ロックの政治思想、啓蒙思想家などヨーロッパ文明の共通の伝統からひきだしてきたのである。

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