16.イスラーム世界の形成 預言者ムハンマド カアバ神殿
カアバ神殿 @Wikipedia

預言者ムハンマド

ムハンマドは、570年メッカの名門であるクライシュ族のハーシム家に生まれ、25歳の頃に商売を営む富裕な未亡人ハディージャと結婚。610年頃、彼は唯一神アッラーから啓示を授けられた預言者であると自覚し、さまざまな偶像を崇拝する多神教に変わって、厳格な一神教であるイスラーム教を唱えた。富の独占を批判し、神による「最後の審判」が近いことを説くムハンマドの教えは、メッカの富裕な商人たちから安泰な生活を脅かす危険な思想とみなされた。

イスラーム世界の形成と発展

預言者ムハンマドによって創始されたイスラーム教は、神(アッラー)への絶対的な帰依を説く一神教である。アラブのイスラーム教徒は、ムハンマドの後継者であるカリフの指導のもとに大規模な征服活動を開始し、8世紀始めまでに東は中央アジアから北アフリカをへて、西はイベリア半島にいたる大帝国を築き上げた。古代オリエント世界にかわる新しいイスラーム世界の誕生である。

広大な帝国の内部ではアラビア語が共通語として用いられ、また各地の都市を結ぶ交通路の整備によって、物と人の移動が活発に行われるようになった。イスラーム教徒の商人は、遠隔地との取り引きに従事したばかりでなく、イスラーム教をアフリカ・インド・東南アジア・中国へ伝えるうえでも重要な役割を果たした。
11世紀以後、西アフリカではイスラーム化が徐々に進行し、また北インドにもイスラーム王朝が樹立されて、ヒンドゥー教徒の間にイスラーム教がしだいに浸透した。
さらに13世紀以降、貿易活動をつうじて東南アジアの諸島部や中国の海岸部にもイスラーム教が広まった。

征服地に定住したアラブ人ははじめ多くの特権を享受したが、アッバース朝が成立しイスラーム法が整えられると、アラブ人の特権は否定され、すべてのイスラーム教徒には平等の権利が認められるようになった。しかしイスラーム帝国の西部では、イベリア半島に独立の政権が樹立され、また9世紀に入ると帝国内でも地方政権の独立が相次ぎ、カリフの権威がおよぶ範囲は次第に縮小した。
10世紀以降、トルコ人の西方移住とそれにともなう国家の建設は、イスラーム史に新しい展開をもたらす要因となった。
カリフにかわってスルタンがイスラーム法施行の権限を握り、また国家財政の悪化に伴って、軍人には俸給にかえて土地からの徴税権を授与するイクター制が施行された。

イスラーム教徒は古代オリエント文明・ギリシア文明・インド文明・中国文明などの成果を融合して高度な都市文明を生み出した。各地の都市には、モスクを中心にして市場や学校が建設され、カリフやスルタンの保護のもとに宮廷文化が花開いた。
コーランの解釈学・神学・法学・歴史学など「アラブの学問」が発達する一方、医学・哲学・地理学・数学・化学など「外来の学問」も独自の成果をあげ、近代ヨーロッパの形成に大きな影響をおよぼした。

イスラーム帝国の成立

イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

預言者ムハンマド

アラビア半島の大部分は砂漠におおわれているが、南部のイエメン地方は降雨に恵まれた肥沃な農業地帯に属し、また西側のヒジャーズ地方は交易によって成り立つオアシス都市が点在していた。
セム語系のアラブ人は、半島の南部や各地のオアシスを中心に、古くから羊、ラクダを飼養する遊牧生活を送り、小麦やナツメヤシを栽培する農業生活を営んできた。
しかし6世紀後半になると、アラビア半島にも新しい歴史の変化がおよびはじめた。

7世紀おわりの世界地図
7世紀おわりの世界地図 ©世界の歴史まっぷ
東西交流の三つの道地図
東西交流の三つの道地図 ©世界の歴史まっぷ

ササン朝と東ローマ帝国が長い間に渡って戦争を続けたために、シルクロードは両国の国境で途絶え、戦争によって東ローマ帝国の国力が衰えると、その支配下にあった紅海貿易も次第に衰退した。
このためシルクロードや海の道によって運ばれた中国やインド産の商品(絹織物、陶磁器、香辛料など)は、いずれもアラビア半島西部を経由してシリア方面にもたらされるようになった。
ジャーヒリーヤ時代(イスラム以前の無明むみょう時代)のメッカは、毎年多くの巡礼者を集めて賑わっていたが、この町の商人は新しくおこった 中継貿易を独占して莫大な利潤を上げていた。

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(570頃〜632)は、メッカの名門であるクライシュ族のハーシム家に生まれた。
クライシュ族:ムハンマドの没後は、歴代のカリフをこのクライシュ族の子孫のなかから選ぶことが慣例となった。

幼くして孤児となったムハンマドは祖父や叔父に育てられ、25歳のころに商売を営む富裕な未亡人ハディージャと結婚した。

クライシュ族の系図
クライシュ族の系図 ©世界の歴史まっぷ

610年頃、彼は唯一神アッラーから啓示を授けられた預言者であると自覚し、さまざまな偶像を崇拝する多神教に変わって、厳格な一神教であるイスラーム教を唱えた。

半島内のキリスト教徒やユダヤ教徒をつうじて一神教の概念はすでに知られていた。しかし富の独占を批判し、神による「最後の審判」が近いことを説くムハンマドの教えは、メッカの富裕な商人たちから安泰な生活を脅かす危険な思想とみなされた。
622年、ムハンマドはこれらの商人の迫害から逃れるために、少数の信者を率いて約300km北方のヤスリブ(後のメディナ)へ移住し、ここにムスリムの共同体(ウンマ)を建設した。
この移住を聖遷せいせんヒジュラ)という。

イスラーム世界の形成と発展 カアバ神殿
カアバ神殿 Source: Wikipedia

630年、ムハンマドは約1万のムスリム軍を率いてメッカを無血征服し、カアバ神殿の偶像を破壊してここをイスラームの聖殿に定めた。
メッカの征服後、ムハンマドの権威はアラビア半島のほぼ全域に及び、アラブ諸部族はつぎつぎとメディナに使節を送ってムハンマドと盟約を結ぶようになった。
こうしてムハンマドが没する頃までには、その権威のもとにアラビア半島の緩やかな統一が実現し、メディナの共同体を中心にしてイスラーム国家の原初形態が生み出された。

最後の預言者

イスラームの教えによれば、人類は元来ひとつの共同体であったが、争いによって分裂してしまった。そこで神は各々の共同体に預言者を遣わし、人々を正しい道に導こうとした。アダム・ノア・アブラハム・モーセ・ダヴィデ・ソロモン・イエスなどがこれらの預言者に相当し、ムハンマドは最後に現れた最も優れた預言者であるとされる。

参考

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