アメリカ合衆国
帝国主義時代ーアメリカ ©世界の歴史まっぷ

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南北戦争後、アメリカの工業は豊かな国内市場を背景に保護関税に守られつつ急激かつ大規模に発展し、19世紀末には世界の首位にたった。その間、物質主義的な社会風潮が広まり、「金ぴか時代」と皮肉られた。

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1878年の世界地図
1878年の世界地図 ©世界の歴史まっぷ

帝国主義時代のヨーロッパ諸国 アメリカ

アメリカ国内アメリカ国外
1869最初の大陸横断鉄道完成1867ロシアよりアラスカ買収
1879エディソン、電灯発明1889第1回パン=アメリカ会議
1882ロックフェラーのスタンダード石油会社 → 石油トラスト形成1898アメリカ=スペイン戦争(米西戦争)
1886アメリカ労働総同盟(AFL)フィリピン、プエルトリコ獲得
1890シャーマン反トラスト法キューバ保護国化(プラット条項)
フロンティアの消滅宣言ハワイ併合
1897マッキンリー大統領就任(〜1901)1899門戸開放宣言(国務長官ジョン=ヘイ
1901セオドア=ローズヴェルト大統領就任(〜09)棍棒外交」によるカリブ海政策
革新主義 → トラスト規制
モルガンのUSスティール → 鉄鋼トラスト形成1903パナマ独立 → 運河の工事権・租借権獲得
1905世界産業労働者同盟(IWW)1904
パナマ運河建設開始
1905日露戦争の講話を仲介 → ポーツマス条約成立
1909タフト大統領就任(〜13)ドル外交
1911スタンダード石油会社に解散命令1910メキシコ革命(〜17)
1913ウィルソン大統領就任(〜21)宣教師外交
「新しい自由」
1914反トラスト法1914パナマ運河完成

南北戦争後、アメリカの工業は豊かな国内市場を背景に保護関税に守られつつ急激かつ大規模に発展し、19世紀末には世界の首位にたった。その間、物質主義的な社会風潮が広まり、「金ぴか時代」と皮肉られた。同じ時期に西部への入植と開発も進み、西部の大平原は牛肉・小麦・トウモロコシなどを生産する世界有数の農業地帯となった。世紀末にはニューヨークの人口は300万を越え、新たな重工業地帯となった五大湖沿岸や穀倉地帯の中西部にも大都市が出現するなど大規模な都市化も進んだ。大陸横断鉄道や電信、ついで世紀末に登場する電話が諸都市を相互に結び付け、全国市場が出現した。大企業は大量生産によって国内の巨大市場を支配した。70年代の不況をきっかけに、独占体が形成され、世紀転換期にはカーネギーの鉄鋼会社を買収したモーガン財閥やスタンダード石油のロックフェラー財閥に代表される巨大な金融資本が出現した。

大陸横断鉄道とアメリカの工業化地図
大陸横断鉄道とアメリカの工業化地図 ©世界の歴史まっぷ

国内でフロンティアが消滅するにつれ、工業製品を輸出するために海外進出を求める声が高まった。海外市場の獲得と西半球の防衛体制の確立を目的とするアメリカの帝国主義政策は、アングロ=サクソンの人種的優越の優越も加わって広く国民の支持するところとなった。キューバのスペインからの独立運動への支持をアメリカの新聞が扇情的に書き立てていたこともあって、1898年、共和党のマッキンリー大統領 Mckinley (任1897〜1901)はアメリカ軍艦メイン号爆沈事件 をきっかけにスペインに宣戦布告した(アメリカ=スペイン戦争 米西戦争)。

アメリカはかねてからキューバ人のスペインからの独立運動に同情的であった。1898年2月、キューバのハバナに停泊中のアメリカ軍艦メイン号が謎の爆撃事件をおこし、多数の乗組員が死亡した。アメリカのハースト系の新聞が証拠もないのにスペインの陰謀だと国民世論をあおるなか、4月にアメリカ=スペイン戦争が勃発した。
太平洋の分割(20世紀初め)
太平洋の分割(20世紀初め)©世界の歴史まっぷ

その結果、プエルトリコとグアムをスペインに割譲させ、さらにフィリピンも領土とした。また、同じ年、ハワイ島を併合し、カリブ海と太平洋に領土を拡大した。なお、キューバは独立したものの、プラット修正条項(1901)によって事実上アメリカの保護国となった。1899年と1900年の2回にわたって、ジョン=ヘイ国務長官 John Hey (1838〜1905)は、中国分割を進める列強に対して、中国での門戸開放通牒を発し、通商上の機会均等と中国の領土的・行政的保全を求めた。マッキンリーの暗殺で副大統領から昇格したセオドア=ローズヴェルト Theodore Roosevelt (任1901〜09)はさらに明確に帝国主義政策を推し進めた。カリブ海地域には、政治・財政不安が生じたときには軍隊を派遣して積極的に国際警察の役割を果たした(「棍棒外交」)。1903年にはコロンビアからパナマを独立させ、パナマ運河建設の権利を獲得した。他方、モロッコ問題ではアルヘシラス会議を主催してドイツの動きを牽制し、日露戦争ではポーツマス講和を斡旋した。

1900年から10年代には革新主義と呼ばれる潮流が勢いを増していた。それは都市の中産階級を中心に高まった気運で、州や市の政治腐敗をただし、大企業の不正や横暴を告発し、さらには飲酒や売春といった道徳的退廃を攻撃した。ローズヴェルトはシャーマン反トラスト法(1890)により独占を生みだす大企業のさまざまな行為を禁止し、不当競争を防止するための連邦取引委員会を成立させた。また、関税を引き下げ、労働者・農民の保護立法を制定するなど、国民の中・下層に有利な改革を実行した。外交においては、独裁政治に苦しんでいる地域にすぐれたアメリカ流の民主主義を広めることが合衆国の使命であるとする「宣教師外交」を進めた。ハイチ・ドミニカ・キューバなどカリブ海地域に積極的に海兵隊を派遣し、メキシコ革命にも介入した。1914年パナマ運河が完成すると、合衆国はその管理権を握った

1999年末をもって、運河の管理権はパナマに変換された。

帝国主義列強の展開流れ図

58.帝国主義列強の展開
帝国主義列強の展開流れ図
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