重装歩兵 スパルタ
重装歩兵

スパルタ

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スパルタ
男子は7歳から集団訓練、市民は常に共同食事で連帯感をつちかった。貧富の差を生じさせないために貴金属貨幣の使用、贅沢や娯楽も禁じた。
極端なまでに市民の平等と戦士市民団的性格を強めたスパルタは、ギリシアでも最強の陸軍国であった。

スパルタ

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オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ

紀元前1000年ころ、ドーリア人の一派がペロポネソス半島南部ラコニアに侵入して先住民を征服し、やがて自分たちだけで集住してポリスをつくった。これがスパルタである。彼らはその後も支配領域を広げ、ことに紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけて西方のメッセニアを占領してメッセニア人を隷属させた。
スパルタ人は少数で多数の被征服民を支配しなくてはならないために、常に戦時下にあるような厳しい社会体制をつくりあげていった。それらの制度は、伝説的な立法者リュクルゴスが定めたと信じられていた。

スパルタには3つの身分の人々がいた。スパルタ人は支配者で、彼らだけが完全な市民権をもっていた。2人の王がいたが、実際には貴族政で、市民は「平等者」と呼ばれた。彼らは政治と軍事に専念し、所有地は隷属民に耕作させた。男子は7歳から集団訓練をおこなって戦闘性と耐久性をやしない、市民は常に共同食事をとって連帯感をつちかった。贅沢や娯楽は禁じられ、貧富の差を生じさせないために、国内での貴金属貨幣の使用も禁じられた。

30歳以上の市民が民会を構成し、王を含む30人の長老会が指導権をもち、エフォロイという任期1年の役人団が行政をおこなった。
第2身分はペリオイコイと呼ばれ、土地をもち、商業や手工業にもたずさわった。重装歩兵にも招集されるが、参政権を持たない劣格市民であった。彼らは、侵入したドーリア人の一部だとも、征服された原住民が起源だともいわれている。
第3身分がヘイロタイで、彼らはスパルタに抵抗して征服された隷属農民で、スパルタ市民の土地に分属させられ、貢納の義務を負わされた。
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スパルタ社会の構成 ©世界の歴史まっぷ

しかしヘイロタイは自分たちの集落と家族をもち、財産も有していたから、奴隷とはことなる隷属農民であった。
スパルタ人はヘイロタイの反乱を常に恐れ、エフォロイは就任時にはかれらに形式上宣戦を布告した。実際に有力なヘイロタイを殺害することがスパルタ人の間で奨励されたほどである。

このように極端なまでに市民の平等と戦士市民団的性格を強めたスパルタは、ギリシアでも最強の陸軍国となり、古拙期には現れた詩人の芸術もその後には廃れ、文化においてみるべきものは何も残さなかった。

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