ワシントン体制
- ワシントン会議:1921〜22
- 四カ国条約:1921 英・仏・米・日
- 九カ国条約:1922 英・仏・米・日・伊・蘭・中・ポルトガル・ベルギー
- 海軍軍備制限条約:1922 米・英・日・仏・伊
ワシントン体制
ワシントン会議と締結された条約
ワシントン会議 1921〜22 | 〈提唱者〉米大統領ハーディング 〈参加国〉英・仏・米・日・伊・蘭・中・ポルトガル・ベルギー *日本の中国進出の規制、海軍の軍縮 |
|
四カ国条約 1921 | 〈締結国〉英・仏・米・日 *太平洋における領土の尊重、日英同盟解消 |
|
九カ国条約 1922 | 〈締結国〉英・仏・米・日・伊・蘭・中・ポルトガル・ベルギー *中国の領土保全、機会均等、門戸開放 |
|
海軍軍備制限条約 1922 | 〈締結国〉米・英・日・仏・伊 *主力艦保有比率を米5・英5・日3・仏1.67・伊1.67に定める |
合衆国では民主党のウィルソン大統領のあとをついで、1921年に共和党のハーディングが大統領になった。共和党はアメリカの外交の自由を唱え、国際連盟に反対したが、軍事力によらず国際経済の拡大によって世界の安定をはかる構想をもっており、1921年11月から翌年2月にかけて米・英・仏・日・イタリアなど9カ国が参加するワシントン軍縮会議を開催した。会議では米・英・仏・イタリアの主力艦の保有トン数の上限と保有比率を定めた海軍軍備制限条約が合意され、比率はそれぞれ5:5:3:1.67:1.67とされ、今後10年間主力艦を建造しないことも決められた。また中国の主権尊重・領土保全・門戸開放・機会均等を約束した九カ国条約(前記5カ国にベルギー・オランダ・ポルトガル・中国が加わった)と、太平洋諸島の現状維持を約した米・英・仏・日の四カ国条約も締結され、日英同盟は解消された。これによってアジア・太平洋地域の新しい国際秩序が成立した。なお、会議とは別にこの機会に日中間の交渉がおこなわれ、山東半島の旧ドイツ権益を中国に返還することが決まった。
ヴェルサイユ体制とワシントン体制が、1920年代の国際秩序の主柱となった。
幻の対仏保障条約
フランスは半世紀間で2度もドイツの侵略をうけ、しかも戦前、東からドイツを牽制していた同盟国ロシアを失ったため、自国の安全に不安を抱き、強い保障を求めた。そのためフランスはドイツを弱体化させる高額な賠償を請求したり、国際連盟に軍事同盟的性格を与えることに固執した。米・英もフランスに講和条約以外になんらかの保障を与える必要を認め、それぞれドイツからの攻撃に際して支援を約束する保障条約を提案した。イギリスの対仏保障条約は1919年6月末に調印されたが、その発効は合衆国の対仏保障条約の批准と連動していた。合衆国はヴェルサイユ条約を批准せず、同時に対仏保障条約案も消滅したので、イギリスの対仏保障条約も発効しなかった。フランスが賠償問題で強硬になった背景には、英・米の対仏保障条約が幻に終わったこともあった。