西欧諸国の停滞
第一次大戦後、全体的には国際経済の流れは順調とはいえず、また経済成長も緩慢で、アメリカに依存する国際経済の構造は不安定な要素を内包していた背景から、1920年代の西欧は全体として政治の場でも保守的傾向が優勢であった。
西欧諸国の停滞
西ヨーロッパ諸国に対する大戦の影響はさまざまであった。ベルギーのように国土の大半をドイツの占領下におかれたり、フランス北部のように長く戦場となった地域もあった。またイギリスの経済封鎖は、ドイツだけでなく中立国のオランダや北欧諸国の通商活動も厳しく制約した。
戦後、イギリス・フランス両国はドイツの海外植民地、中東のオスマン帝国領などを勢力下におさめ、海外植民地・勢力圏を史上最大規模に拡大したが、イギリスは国際金融センターの地位をアメリカに奪われ、フランスもロシア帝国への投資をロシア革命によって回収できなくなって、国外資産の半分を失うなど、世界経済内の地位では深刻な打撃をうけた。西ヨーロッパ諸国は戦後比較的早く平時体制への移行に成功し、1919〜20年には一時景気回復が訪れたが、その後イギリスなどでは不況に入り、ドイツでも賠償支払いや戦時公債支払いなどが重なって記録的な通貨インフレに陥り、経済活動が混乱した。もっとも、24年以降は一定の落ち着きが戻り、25年にはイギリスは金本位制に復帰し、どいつも20年代後半には工業生産が戦前の水準に達した。なかでもフランスは20年代後半、たち遅れていた重化学工業・電機産業部門・自動車産業などの育成に成功した。
しかし全体的には国際経済の流れは順調とはいえず、また経済成長も緩慢で、アメリカに依存する国際経済の構造は不安定な要素を内包していた。こうした背景から、1920年代の西欧は全体として政治の場でも保守的傾向が優勢であった。とはいえ、現代大衆文化の波は確実に西欧諸国に浸透し、ラジオ放送は20年代に急速に普及した。とくに敗戦によって、戦前の文化規範の優位性がくずれたドイツでは、新しい文化活動に有利な自由な空間が出現し、ヴァイマル文化と総称される多様な現代文化の実験場となった。