アーリヤ人の来住 インダス文明とアーリヤ人の進入地図
インダス文明とアーリヤ人の進入地図 ©世界の歴史まっぷ

アーリヤ人の来住

インド=ヨーロッパ語系の言語(印欧語)を話すアーリヤ人は、はじめ中央アジア方面で遊牧生活を営んでいたが、紀元前2000年ころから移住を開始し、その一分派は数次にわたりパンジャーブ地方に移住した。ダーサあるいはダスユなどと呼んだ先住農耕民族と戦い、また共存した。

アーリヤ人の来住

アジア・アメリカの古代文明
アジア・アメリカの古代文明 ©世界の歴史まっぷ

前期ヴァーダ時代

インド=ヨーロッパ語系の言語(印欧語いんおうご)を話すアーリヤ人は、はじめ中央アジア方面で遊牧生活を営んでいたが、紀元前2000年ころから移住を開始し、その一分派は数次にわたりパンジャーブ地方に移住した。

アーリヤは「高貴な」などの意味をもつ。「イラーン」と同じ語からでた。

彼らはみずからアーリアと称し、ダーサあるいはダスユなどと呼んだ先住農耕民族と戦い、また共存した。馬に引かせる戦車の機動力が、アーリヤ人を優位に導いたようである。
当時のアーリヤ人の生活は牧畜を主とし農耕を従としたものであった。

アーリヤ人の来住 インダス文明とアーリヤ人の進入地図
インダス文明とアーリヤ人の進入地図 ©世界の歴史まっぷ

基本的な財産は牛であり、大麦を主要作物とし、金属としては青銅・銅を用いていた。社会の最小単位は家父長的大家族であったが、戦闘などの際には氏族・部族の単位で行動した。部族を率いる首長はラージャンと呼ばれたが、その権力は部族集会によって制約を受けた。

アーリヤ人は自然現象を神格化した多数の神々を信仰しており、祭壇を設けて聖火をたき、犠牲獣・乳製品・穀物などを供えてこれらの神を祀った。やがて、祭式を専門に執り行う司祭階級も現れ、祭式の形式がしだいに整えられた。インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』は神々への讃歌1028を集めたものであり、紀元前1000年ころまでに成立した。

リグは「賛歌」の意味。ヴェーダは祭式の「知識」を意味したが、のちに「聖典」の意味に用いられた。

讃歌の中では、理想的な戦士とされる雷神インドラと、火神アグニに捧げられたものがもっとも多い。『リグ・ヴェーダ』に歌われた時代は前期ヴェーダ時代(紀元前1500年頃〜紀元前1000年頃)と呼ばれる。その結果、かれらの農耕生活への傾斜が強められた。

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