グプタ朝と古典文化
320年、チャンドラグプタ1世がガンジス川中流域にグプタ朝をたて、チャンドラグプタ2世の時代が最盛期で、当時インドを旅行した中国僧の法顕の旅行記『仏国記(法顕伝)』に、この国の繁栄のありさまが記されている。グプタ朝の時代はインド古典文化の黄金期でもあった。
グプタ朝と古典文化
グプタ朝
サムドラグプタは南インドにも遠征軍を送ったが、この地を版図に加えることはせず、諸王の帰順を求めるにとどまった。
第3代のチャンドラグプタ2世(超日王)は西インドを征服するとともに、デカンのヴァーカータカ朝と婚姻関係を結ぶことによって南方への影響力を強めている。チャンドラグプタ2世の時代がグプタ朝の最盛期で、当時インドを旅行した中国僧の法顕の旅行記『仏国記(法顕伝)』に、この国の繁栄のありさまが記されている。その繁栄はまた、この王朝の発行した多種多様な金貨からも知られる。民間では貝貨が一般的に用いられた。
しかし5世紀後半になると諸侯の離反、独立によって国内が乱れ、また西北からエフタル民族(フーナ)の侵寇もうけて衰退し、6世紀半ばに滅んだ。グプタ朝衰退の原因としては、このほかに西方世界との交易の停滞と、国内における都市経済の停滞があった。
インド古典文化の黄金期
グプタ朝の時代はまたインド古典文化の黄金期でもあった。あらゆる面で伝統への回帰が見られたこの時代に、バラモンが影響力を回復し、彼らの聖典語であるサンスクリット語が公用語として宮廷で用いられた。
文学
文学の分野では詩聖カーリダーサがでて、サンスクリット文学の最高傑作として知られる戯曲『シャクンタラー』や叙事詩『メーガドゥータ(雲の使者)』などを書いた。二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』も、この時代の初期までに今日のかたちにまとめられている。
宗教
仏教はかつての隆盛を失いつつあったが、各地の僧院を中心に教学研究は続けられており、アサンガ(無著)、ヴァスバンドゥ(世親)兄弟によって大乗仏教の理解が深められた。仏教教学の大中心となったナーランダー僧院が創建されたのもこの時代である。
一方、この時代には仏教に圧倒されていたバラモン教が復興し、六派哲学と呼ばれる語学派の哲学体系が一応の完成をみた。
またバラモン教に先住民の信仰が融合して形成されたヒンドゥー教が、王家の支持をえて、民衆の間にも浸透した。ヒンドゥー教徒の信仰形態は多様であるが、カースト制度を守りヴェーダ聖典とバラモンの権威を認めるという点ではほぼ共通している。
諸科学
この時代にはまた、天文学・物理学・数学・医学などの諸科学も発達した。ゼロを用いた計算法は、インドにおける大発見といわれる。
美術
美術の分野でも、優雅なグプタ式仏像彫刻やアジャンターの石窟寺院とその壁画のような純インド的な仏教美術が完成している。ヒンドゥー教の寺院が盛んに建造されるようになるのも、この時代からである。