唐末五代の社会
唐末、黄巣の乱の鎮圧に功のあった朱全忠は、907年、唐を倒して後梁をたて、汴州に都を定めた。以後、河北には後梁・後唐・後晋・後漢(五代)・後周の5王朝が交替し、その他の地方でも節度使が割拠して10国をたて、約50年間の分裂時代が続いた。この時代を五代十国と呼ぶ。
唐末五代の社会
8世紀初めより、唐は異民族に備えるため、辺境に節度使を設置したが、 安史の乱後、反乱に対処するために内地にも多く配置するようになった。
これらの節度使は、 黄巣の乱以降、中央政府の弱体化に乗じ、私兵をたくわえて各地に割拠し、軍事権ばかりでなく行政権や財政権も掌握して、藩鎮と呼ばれる強力な地方勢力を形成し、半独立化した。このような武人(軍人)の台頭は、武力による専制的な 武断政治をもたらし、貴族の政治的・社会的基盤を奪って、彼らを完全に没落させていった。
一方、貴族にかわって社会の支配階層として登場してきたのが、 佃戸制に経済的基礎を置く 新興地主層である。彼らは、宋代になると形勢戸と称され、官僚の供給基盤となり、官僚を出した家は、官戸と称され、あらたな支配階級である士大夫階級の母体となった。
唐末、黄巣の乱を鎮圧するのに功のあった節度使出身の朱全忠(太祖)は、907年、唐を倒して後梁をたて、大運河と黄河の接点にある汴州(開封)に都を定めた。以後、河北には後梁・後唐・後晋・後漢(五代)・後周の5王朝が交替し、その他の地方でも節度使が割拠して10国をたて、約50年間の分裂時代が続いた。この時代を五代十国と呼ぶ。
江南諸国の発展
十国のうち、呉を倒して建国した南唐は、金陵(現南京)に都をおき、一時江南の大部分を支配して文化も栄えた。その第2皇帝李煜(後主)は詞(漢文で書かれた詩の一種で、節をつけて歌われた)の名手として知られる。
杭州にあった呉越は、平安時代の日本にも使節を送っている。広州に都をおいた南漢は、南海貿易の中心であった。山西省にあった北漢は、後漢(五代)の後裔で、遼(王朝)の援助をうけた。
前蜀・後蜀は四川、荊南は華北、閩びんは福建、楚は湖南にあった。荊南は、小国であったが商業で繁栄し、その首都江陵には最大の茶市があった。楚も茶の産地で、養蚕業もさかんであり商人を優遇した。
五代十国
五代 | |||||
国家 | 後梁 | 後唐 | 後晋 | 後漢(五代) | 後周 |
首都 | 開封府 | 洛陽 | 開封府 | 開封府 | 開封府 |
君主 *初代 *最期 | 3帝 朱全忠 朱友貞 | 4帝 李存勗 李従珂 | 2帝 石敬瑭 石重貴 | 2帝 劉知遠 劉承祐 | 3帝 郭威 柴宗訓 |
成立 | 907年 | 923年 | 936年 | 947年 | 951年 |
滅亡 | 923年 | 937年 | 947年 | 951年 | 960年 |
開始 | 907年唐を倒して朱全忠により建国。 | ||||
滅亡 | 960年趙匡胤により後周滅亡。恭帝から禅譲を受けて宋を立てる。 | ||||
十國 | |||||
国家 | 吳(十国) | 南唐 | 吳越 | 閩 | 北漢 |
首都 | 江都府 | 江寧府 | 西府 | 長楽府 | 太原府 |
君主 *初代 *最期 | 4主 楊行密 楊溥 | 3帝 李昪 李煜 | 5王 錢鏐 錢俶 | 6主 王審知 王延政 | 4帝 劉崇 劉継元 |
成立 | 902年 | 937年 | 907年 | 909年 | 951年 |
滅亡 | 937年 | 975年 | 978年 | 945年 | 979年 |
国家 | 前蜀 | 後蜀 | 荊南 | 楚 | 南漢 |
首都 | 成都府 | 成都府 | 江陵府 | 潭州 | 興王府 |
君主 *初代 *最期 | 2帝 王建 王衍 | 2帝 孟知祥 孟昶 | 5主 高季興 高継沖 | 6王 馬殷 馬希崇 | 4帝 劉龑 劉鋹 |
成立 | 903年 | 934年 | 924年 | 927年 | 917年 |
滅亡 | 925年 | 965年 | 963年 | 951年 | 971年 |
開始 | 907年朱全忠が唐朝を倒して後梁をたてる。 | ||||
滅亡 | 979年宋(北宋)の趙匡胤は北漢を滅ぼし統一に成功。 |