欧米における近代社会の成長
18世紀中ごろ産業革命がはじまり、1773年ボストン茶会事件を契機に北アメリカのイギリス植民地と本国の対立が深まり、1775年からアメリカ独立戦争が始まる。1776年、大陸議会は独立を宣言。フランスでは1789年フランス革命勃発、1792年第一共和制樹立と王の処刑、ジャコバン急進派の恐怖政治。
欧米における近代社会の成長
イギリスの産業革命は、農業中心の社会から工業化社会への転換の出発点であった。木綿工業から始まった技術革新は生産や社会の様相を変えた。産業革命はイギリスからヨーロッパ諸国、アメリカにも広がった。機械制工場での大量生産は産業資本の発展を促すと同時に、都市問題・労働問題など新しい社会問題を生み出した。
アメリカ革命とフランス革命は、「市民革命」という概念でとらえられることが多い。これらの「市民革命」と同時期にイギリスで展開していた工業化の過程が「産業革命」と呼ばれる。この2つの革命は、19世紀前半大西洋をはさんでヨーロッパとアメリカ大陸の諸地域につぎつぎと波及し、歴史家によって「二重革命」や「大西洋革命」という言葉もつくられた。この2つの「革命」がもたらした市民社会の政治・社会・生活の基本形として、現代なお生命力をもっている。
北アメリカ東部の13のイギリス植民地は、七年戦争後の課税問題をめぐって本国と対立し、急進派は植民地人の権利と自由を求めて、本国の政策に対する激しい反対運動をくりひろげた。ボストン茶会事件を契機に対立はさらに深まり、ボストン郊外で最初の武力衝突がおこり、独立戦争が始まった。大陸会議は独立を宣言、フランスなどヨーロッパ諸国の援助も加わって、1783年アメリカ合衆国の独立が承認された。独立後制定された合衆国憲法は、修正条項をのぞいて現代まで変更されず、合衆国政治体制を支えている。
旧制度(アンシャン=レジーム)の矛盾が深まったフランスでは、三部会の招集を契機に革命が始まった。バスティーユ襲撃事件の衝撃は地方にも波及し、「大恐慌」が広がった。国民議会は封建的諸特権の廃止を宣言、人権宣言を採択し、アンシャン=レジームに終止符をうった。さらに国王の逃亡事件、革命を敵視する諸国との戦争は、共和制樹立と王の処刑、ジャコバン急進派の恐怖政治へと革命をいっそう激しい方向に走らせた。マクシミリアン・ロベスピエールの恐怖政治がクーデタで倒されたあと、ブルジョワジーの主導下で革命の収拾が試みられた。総裁政府が実現できなかった政治秩序の安定は、ナポレオン・ボナパルトのクーデタでもたらされたが、ナポレオン体制はヨーロッパを戦争の渦にひきこんだ。彼の失脚後、古い秩序の回復がはかられたが、革命がもたらしたもののすべてを消し去ることはできなかった。
欧米における近代社会の成長年表
年 | 関連事項 |
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1700 | 北方戦争(〜1721) |
1701 | スペイン継承戦争(〜1713) |
1707 | グレートブリテン王国成立 |
1714 | 英、ハノーヴァー朝(〜1917) |
1740 | 普、フリードリヒ2世(プロイセン王)即位 |
オーストリア継承戦争(1748) | |
1756 | 七年戦争(〜1763) |
1763 | パリ条約 |
このころイギリスで産業革命始まる | |
1769 | 英、ジェームズ・ワット、蒸気機関改良 |
1772 | 第一回ポーランド分割 |
1773 | ボストン茶会事件 |
1775 | アメリカ独立戦争(〜1783) |
1776 | アメリカ独立宣言発表 |
1783 | パリ条約 |
1789 | フランス革命勃発、ワシントン、初代大統領就任 |
1792 | 仏、第一共和制 |
1794 | テルミドール9日のクーデタ |
1795 | 第三回ポーランド分割 |
1799 | ブリュメール18日のクーデタ |
1802 | アミアンの和約 |
1804 | ナポレオン、皇帝即位(第一帝政) |
1812 | ナポレオンのロシア遠征 |
1814 | ナポレオン退位、ウィーン会議 |