項羽と劉邦-kings-war 陳勝・呉広の乱
項羽と劉邦 King’s War ©中国国際電視総公司

項羽と劉邦 King’s War あらすじ 登場人物

ドラマ

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項羽と劉邦-kings-war 紀元前210年、秦の始皇帝が巡行中に突然崩御する。宦官の趙高は詔書を偽造して長子の扶蘇を殺害し、末子の胡亥に皇帝の位を継がせる。二世皇帝となった胡亥は皇族を殺し、始皇帝の治世を支えた重臣を粛清。朝廷を混乱に陥れ、始皇帝陵や阿房宮の完成を急がせた。その圧政に耐えきれなくなった民衆は次々に蜂起する。 秦に滅ぼされた楚国の将軍の孫である24歳の項羽と、沛県の田舎町で亭長を務める46歳の劉邦も立ちあがった。勇敢で戦に長けた項羽は、叔父の項梁が死んだ後、楚軍の実質的な指揮権を握る。項羽は困難や危険をものともせず自ら先頭に立ち、鉅鹿で少数の手勢で秦軍を破り、名将・章邯を降伏させ、それによって秦に重い一撃を与えた。 対する劉邦は、長い間庶民として生きてきたため、民情をよく理解し人を使うことに長けており、やがて広く人々の支持を得て勢力を大きくしていった。項羽と劉邦の二人は協力し助け合い、戦いの中で義兄弟の契りを結び、力を合わせて秦を倒す。 しかし秦が倒れると、二人は天下を奪い合う手強いライバルへと変わっていくのだった……。

目次

項羽と劉邦-kings-war

相関図

項羽と劉邦 King's War 相関図
項羽と劉邦 King’s War 相関図 ©項羽と劉邦 DVD公式サイトポニーキャニオン

登場人物

劉邦(りゅうほう)

劉邦
劉邦 ©中国国際電視総公司
劉季(りゅうき)。江蘇省沛(はい)出身、中国史上初の平民出身の皇帝。前漢を建国した皇帝であり、廟号は太祖、諡号は高皇帝である。歴史的には太祖高皇帝、太祖、高祖もしくは高帝と呼ばれている。秦の末期に泗水(しすい)の亭長(ていちょう)の任にあたっていたが、陳勝・呉広に続き、挙兵して沛公と称した。項羽と共に秦と戦い、秦が滅亡すると漢王となった。のちに楚漢戦争で項羽を打ち破り天下を統一した。

呂雉(りょち)

呂雉
呂雉
字は娥姁。通称呂后、高后、呂太后などと呼ばれる。高祖劉邦(りゅうほう)の皇后である。堅忍不抜(けんにんふばつ)の女性。劉邦が蜂起する前の呂雉は賢妻であったが、挙兵により否応なしに生活の変化に巻き込まれていき、劉邦が漢王朝を建国したのをもって皇后となる。高祖の死去後、皇太后と崇められ、中国史上記載がある、初めての皇后、皇太后、太皇太后となる。劉楽(りゅうらく)、劉盈(りゅうえい)の母。

蕭何(しょうか)

蕭何
蕭何
漢の三傑。若い頃は沛(はい)県で役人をしていた。秦末の劉邦の挙兵を補佐する。咸陽を占領したあと、秦の丞相を受け入れ、秦の律令・書籍を手に入れ、全国の山河の要害・郡県戸籍を掌握した。これらはのちの政策策定と楚漢戦争を勝利に導く上で重要な役割をした。楚漢戦争の際、蕭何は関中に居残り漢軍の後詰めとして、絶えず兵士と糧食を輸送する作戦を続け、劉邦が項羽に勝利して漢を建国する上で重要な役割を果たした。

張良(ちょうりょう)

張良
張良
漢の三傑。字は子房(しぼう)。高祖の参謀で漢王朝建国の元勲の一人。先祖は5代に渡って韓の宰相を務めた。秦に韓を滅ぼされたあと始皇帝暗殺をはかるが失敗し逃亡した。秦末の動乱の中で、劉邦の軍に加わり重要な「頭脳」となる。韓王・韓成を擁立するが、劉邦に近い張良は項羽に不快に思われ命を狙われる。楚漢戦争でもさまざまな策を弄し、劉邦の天下統一への基礎を打ち立てた。

韓信(かんしん)

韓信
韓信
漢の三傑。紀元前231-紀元前196年。准陰(江蘇省淮安市)の人。前漢建国の功臣であり、中国歴史上傑出した軍事家。その戦功のため斉王、楚王の位についたが、後に准陰候に落とされる。漢王朝天下統一に輝かしい戦功を立てたが、後に高祖(劉邦)に疑われて最後は謀叛罪で処刑される。韓信は中国軍事思想における「謀戦」派の代表的人物であり、「国士無双(国士無双=国中で比べる者がないほど優秀な人物のこと。)」と呼ばれている。劉邦は次のように韓信を評価している。「戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、吾れ韓信に如かず(戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、吾れ韓信に如かず=戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず討ち取るという点では、私は韓信に及ばない。)」

曹参(そう しん)

曹参
曹参
秦の時代には沛県の刑務所の属吏だった。蕭何はその時の上司にあたり、共に顔がきく役人だった。劉邦が挙兵した時、中涓(侍従)として従軍した。漢王となった劉邦により将軍に引き立てられ、劉邦の下で楚軍を相手に転戦し、仮左丞相に任命された。以後、劉邦から離れて、韓信の軍に従軍して魏・趙・斉を破り、劉邦と韓信の軍は、項羽を破りほぼ天下を平らげた。曹参は服従しない斉にとどまって、楚の亜将周蘭を生け捕るなどの手柄を立てて、韓信の平定に従った。

盧綰(ろわん)

盧綰
盧綰
劉邦の幼馴染で弟分。劉邦が罪を犯して逃亡生活を送った時でさえ、行動を共にし続けた。劉邦からの信頼は厚く、咸陽への偵察など、幾度も重要な役目を負う。劉邦が50万の兵を率いながら項羽の3万の軍に敗れた時は、涙ながらに劉邦を励ました。

樊噲(はんかい)

樊噲
樊噲
劉邦の弟分。元は犬の屠殺業者で力自慢。ならず者だった劉邦が労役者の護送に赴いた時、盧綰らと共に同行する。劉邦は呂雉の妹・呂須を盧綰に嫁がせようとしたが、樊噲が呂須を寝取ってしまった。無謀にも項梁救出に向かおうとした劉邦を気絶させて止めたこともある。

夏侯嬰(かこうえい)

夏侯嬰
夏侯嬰
沛県の出身。秦・前漢時代の中国の武将。劉邦の部将。

周勃(しゅうぼつ)

周勃
周勃
劉邦と同じ故郷、沛で機織業をしており、葬儀屋を副業としていた。劉邦が漢王になると、周勃は武威侯となる。劉邦が死去の際「漢王朝を長らく安んずるものは必ずしや周勃であろう」と、皇后の呂雉に言い残したとされる。

雍歯(ようし)

雍歯
雍歯
劉邦(りゅうほう)と水源を争う喧嘩を通して牢に入り、労役のため劉邦を恨みながらも同行する。カッとなって舎弟を殺したり、女性に訴えられたりと、次々と問題を起こす。沛県の留守を任されていた雍歯は、魏と手を結んで劉邦を裏切り、兵士の家族を人質にとって沛県の城を占拠する。

戚夫人(せきふじん)

戚夫人
戚夫人
歴史上、有名な戚夫人である。男心を深く理解できる絶世の美女であり、策略家の女性でもある。天性の美貌と鮮やかな計略で、劉邦の手をしっかりと手放さなかった。たとえ劉邦の心が呂雉に傾いても、劉邦が自分のもとから離れないよう策を講じた。戚夫人は呂雉の善良な性格をだんだんと残忍なものに変えていってしまい、最後に自身が性格が変わってしまった呂雉の餌食になってしまう。劉如意(りゅうにょい)の母。

酈食其(れきいき)

酈食其
酈食其
中国秦から楚漢戦争期の儒者、説客。陳留高陽の人。通称は酈生(酈先生)。子は酈疥、孫は酈遂。弟は酈商、甥は酈寄。劉邦が陳留を攻撃した際、酈食其は劉邦を気に入り、陳留の率いる秦軍の投降を説いて成功させ、広野君に封じられた。斉を味方にするため入国して田広らを説得する。しかし韓信の裏切りにより激怒した田広に煮殺された。

蒯通(かいつう)

蒯通
蒯通
韓信の軍師。韓信は計略に長けるが処世術に疎いので私が力を貸しましょうと言ってのけ、韓信の軍師となる。 後漢末に劉表や曹操に仕えた政治家・武将の蒯越・蒯良は蒯通の子孫であると伝わる。

彭越(ほうえつ)

彭越
彭越
元盗賊。秦滅亡後、戦功があったにも関わらず領土分配をされなかったため、怒った彭越は同じく不満を持っていた旧斉の王族の田栄たちと結び、彭越は田栄より将軍の印を受けて、梁(旧魏の地。開封周辺。)にて兵を起こした。劉邦が東へ出てきて、旧魏の王族の魏豹を連れてきて魏王の位に就け、彭越をその宰相とした。劉邦は項羽の軍に敗れて逃亡したので、彭越も根拠地を離れて逃亡し、ゲリラ戦術に入った。

灌嬰(かんえい)

項梁が章邯に敗れ殺害された後、劉邦が碭に戻った頃にこれに従った。秦との戦いで功績を上げ多くの多くの功を立てた。後に韓信に従い、斉征服と龍且迎撃に活躍した。龍且を斬ったのは彼の配下の兵で、自ら亜将周蘭を苦・譙で生け捕りにした。その後は楚領を攻め、下邳や彭城を下している。項羽(項籍)が垓下の戦いに敗れ逃走すると、灌嬰が劉邦の命を受けて追撃した。項羽の死体を持ち帰った五人は灌嬰の配下である。またその後も呉郡など江南、淮北を平定する。その後も燕王臧荼討伐に従軍し、楚王韓信を捕らえる際も同行した。

陳平(ちんぺい)

項羽と劉邦 King’s War
陳平
当初は魏咎・項羽などに仕官するものの長続きせず、最終的には劉邦に仕る。劉邦から黄金四万斤をあずかり、離間の計で、戦わずして楚最大の知謀の才・范増(はんぞう)を排除した。

随何(ずいか)

儒者。劉邦に仕える謁者(客接待係)。劉邦が彭城の戦いでの大敗後、項羽の片腕である九江王英布を寝返らせる説得に成功する。

紀信(きしん)

紀元前204年の夏、項羽率いる十万の軍勢が滎陽(けいよう)城の漢軍を包囲し、食糧が尽き落城寸前に陥った時に、陳平(ちんぺい)の金蝉脱殻の計により、紀信が劉邦に化けて楚に降服するふりをして、その隙に劉邦が逃亡した。囮となった紀信は項羽によって火刑に処された。

周苛(しゅうか)

劉邦が滎陽(けいよう)で項羽に包囲されると、劉邦は紀信を囮として脱出に成功。周苛は魏豹(ぎほう)、樅公、韓王信とともに滎陽を守備した。項羽に内通しようとした魏豹を殺した。

審食其(しんいき)

審食其
審食其
劉邦が沛公となり自立すると、劉邦の父・劉太公を世話する者となった。呂雉(りょち)と劉太公らと共に項羽の捕虜となり、呂雉らの世話をした。

都:咸陽

始皇帝(しこうてい)

項羽と劉邦 King’s War
始皇帝「項羽と劉邦 King’s War」© 中国国際電視総公司
贏政(えいせい)。紀元前221年に、中国の歴史上初めて統一を成し遂げた男。始皇帝を名乗り、万里の長城の建築や、焚書坑儒と呼ばれる思想弾圧など、大がかりな計画を次々と進めた。自らの権力を広く知らしめるために、各地を巡行していたが、その最中の紀元前210年に突然没する。

扶蘇(ふそ)

扶蘇
扶蘇
秦の始皇帝の長男。温厚な人格と聡明で知られ、父や多くの重臣達から将来を嘱望されていた。父の政治(焚書坑儒)に諫言したため怒りを買い、北方の匈奴に対する国境警備・蒙恬(もうてん)の監督を命じられる。始皇帝は後継に扶蘇をと考えていたと思われるが、巡幸中に崩御した。始皇帝の喪は混乱を避けるべく秘密にされたが、巡幸に随行していた弟・胡亥、丞相・李斯、宦官・趙高の謀略により、後継は胡亥とし、扶蘇には自害を勧める偽の詔が渡された。蒙恬は偽詔であることを看破し、その旨を扶蘇に進言したが、「疑うこと自体義に反する」と述べてそれを受け入れず、偽命に従って自決した。

胡亥(こがい)

始皇帝の末子。始皇帝亡き後、長子の扶蘇が謀殺されたことで、宦官の趙高、宰相の李斯によって二世皇帝に祭り上げられる。皇帝の権力に強く憧れていた胡亥は女遊びに夢中になり、政務をすべて趙高に一任する。やがて、趙高に実権を握られ、傀儡となってしまう。

趙高(ちょうこう)

始皇帝に仕えていた宦官。扶蘇(ふそ)を後継者にするという始皇帝の遺言を反故にし、胡亥を皇帝の座に就ける。皇帝への進言はすべて自分を通すようにとの命令を胡亥から出させ、権力を我が物にしていく。軟禁状態となった胡亥の反撃に遭うと、これを返り討ちにする。

李斯(りし)

李斯
李斯
秦の丞相。始皇帝の死後、趙高に唆されて遺詔改竄に協力する。秦に対する反乱が起こると胡亥を諌めようとしたが、趙高の罠により捕らえられて一族もろとも死刑とされた。

章邯(しょうかん)

秦の大将軍。項梁、項羽らと幾度も激戦を繰り広げる。趙高の働きかけで、晨曦との結婚が進められ、複雑な思いを抱えるが、やがて晨曦の愛情に応えるようになる。章邯が兵士からの信望を集めていることを知った趙高の策略によって、戦地を転々とさせられる。

晨曦(しんぎ)

晨曦
晨曦
扶蘇(ふそ)の娘で、子嬰の姉。若い頃は、気が強く、生意気な娘だったが、将軍・章邯(しょうかん)を愛するようになってから、一途でまっすぐな大人の女性へと成長していく。趙高に陥れられそうな章邯を守るために、趙高暗殺を企てるなど、知性と行動力を兼ね備えている。

子嬰(しえい)

子嬰
子嬰
始皇帝の長子であった扶蘇(ふそ)の息子。かつて多くの皇族が殺された時、心の病を抱えたふりをして生きながらえていた。胡亥(こがい)に後を託されるが、趙高によって秦は王国に戻され、子嬰も皇帝ではなく秦王と称すことになる。趙高の傀儡(かいらい)となることに危機感を抱き、反撃に出る。

司馬欣(しば きん)

司馬欣
司馬欣
秦の将軍で官職は長史。三秦の一人。

淳于越(じゅんうえつ)

淳于越
淳于越
斉人。博士。郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。

叔孫通(しゅくそんとう)

叔孫通
叔孫通
秦末から前漢初めにかけての儒者。薛(現山東省滕州市)の人。二世皇帝へ甘言し首席博士となるも、秦の弱体を感じて薛に帰り、項梁が薛へ来ると仕えた。項梁が敗れると懐王に従い、項羽が懐王を義帝として長沙に遷すと、叔孫通は項羽に仕えた。漢王劉邦が諸侯を従えて楚の都彭城を落とすと、叔孫通は劉邦に降伏した。劉邦は儒者を憎んでいたので、叔孫通は儒者の服を止めて楚の服を着たので、劉邦は喜んだ。

董翳(とうえい)

董翳
董翳
秦の二世皇帝の時、反乱を鎮圧するために派遣された章邯の元では都尉。章邯が項羽に破れた後、董翳は章邯に項羽に投降するよう勧め、章邯は項羽に投降し、項羽は関中に攻め入り秦を滅ぼした。その後、紀元前206年に項羽は天下に諸侯を封建し、関中を三分して章邯を雍王、司馬欣を塞王、董翳を翟王とした。これは三秦と呼ばれ、翟王董翳は上郡を領土とし高奴に都を置いた。しかしその年、漢王の劉邦は三秦を攻め、雍王の土地を平定して章邯を包囲した(後、章邯は自害)。塞王司馬欣、翟王董翳は漢王劉邦に降伏した。劉邦は翟国を廃して上郡に戻した。翌年、劉邦は項羽を攻め、項羽の都の彭城を占領したが、戻ってきた項羽の反撃を受けて大敗した。司馬欣、董翳も劉邦に従って彭城にいたが、劉邦が敗れると項羽に降伏した。

閻楽(えんらく)

閻楽
閻楽
趙高の娘婿。紀元前207年、望夷宮の変(ぼういきゅうのへん)で丞相であった趙高と共謀して二世皇帝・胡亥(こがい)を望夷宮において殺害した。

王離(おうり)

王離
王離
秦の将軍。項羽の祖父・項燕(こうえん)を死に追い込んだ王翦(おうせん)の孫。章邯の命で趙の邯鄲(かんたん)を攻めるが、章邯が項羽に敗れて撤退すると渉間は自殺し、蘇角は戦死し、自身は捕虜になった。

項羽(こうう)

項羽
項羽 ©中国国際電視総公司
名は籍(せき)。字が羽。秦末に楚の懐王(かいおう)に「魯公」に封じられる。鉅鹿(きょろく)の戦いで楚軍を統率し秦軍を破った。秦滅亡後は自ら西楚の覇王と名乗り、黄河及び長江下流の梁・楚の九郡を統治した。のちに楚漢戦争の垓下の戦いで劉邦に敗れ、東城まで逃亡した後、自ら命を絶った。性格は無鉄砲で、義理堅く、天下を愛するにも増して美女を愛した。項羽は中国数千年の歴史の中でも最も勇猛果敢で名高い武将であり、「覇王」と言えば項羽を指す。

項梁(こうりょう)

項梁
項梁
楚の名門である項家で、項燕(こうえん)の子として生まれるが、楚の滅亡と共に秦打倒を目指して各地を転々とする。甥の項羽に項家に伝わる剣術を伝授した人物でもある。項梁は楚を再建するにあたって、懐王・心を擁立。自身は「武信君」と名乗って楚軍を率いた。

項伯(こうはく)

項伯
項伯
項燕(こうえん)の子で項羽の叔父。項梁、項羽と共に、秦打倒のために決起する。劉邦の参謀・張良(ちょうりょう)とは旧友であり、項羽が劉邦を倒そうとすると、張良に逃亡を勧めるが、張良にこれを拒否される。項伯はやむなく劉邦と会談。その後も劉邦のことを気にかけるようになる。

項燕(こうえん)

項燕
項燕
戦国時代末期の楚の大将軍。西楚の覇王項羽(こうう)とそのいとこ項荘の祖父にして、項嬰、項梁(こうりょう)、項伯(こうはく)、項仲の父。秦の武将李信(りしん)を大破したが、まもなく後の秦が楚を滅ぼした戦争の中、兵は敗れ、戦死または自決した。

項荘(こうそう)

武将。項羽の従弟。鴻門の会の際に、亜父范増から剣舞をして劉邦に近づき討つように命じられるが、叔父項伯の妨害などにより失敗した。

虞子期(ぐしき)

虞子期
虞子期
楚の将軍。虞姫の兄と知らず友となり、共に剣術を学ぶ。

虞姫(ぐき)

虞姫
虞姫
項羽(こうう)の寵姫(ちょうき)。項羽のことをよく理解している。項羽の出征には常に付き従い、最後までそばを離れなかった。項羽が垓下(がいか)で囲まれたときに、項羽は天命すでに尽きたと思い「力は山を抜き、気は世を蓋う。時、利あらず。騅ゆかず。騅ゆかざるをいかにすべき。虞や虞や汝をいかにせん」と詩を吟じ、これに合わせて虞姫は舞った。この詩は垓下の歌と呼ばれており、歌い終わると虞姫は自殺した。

季布(きふ)

季布
季布
中国の秦末から前漢初期にかけての武将。はじめ楚の項羽配下だったが、のちに劉邦に仕えた。項羽と同郷の生まれで、若い時から弱者を助けていたことから任侠としても名高かった。その信頼も厚く、楚漢戦争の際には劉邦を幾度も窮地に立たせた。

鍾離昧(しょうりばつ)

鍾離昧
鍾離昧
秦末、楚の項梁・項羽の挙兵に参加し、秦滅亡後の楚漢戦争においても項羽の部将として活躍した。しかし、劉邦陣営に鞍替えした陳平の計略により、鍾離眜は項羽に疎んじられるようになった。

龍且(りゅうしょ)

龍且
龍且
楚の武将。項羽の部下。彭城の戦いの後、呂雉らを人質に連れ去る。

英布(えいふ)

英布
英布
秦で罪を犯し顔に刺青を入れられた囚人だったが、章邯が反乱軍討伐の際赦され、戦で活躍したが、秦に将来が無いことを悟り脱走し、項梁に仕えて当陽君と名乗ることを許され、項梁の戦死後は項羽に仕えた。秦滅亡後に項羽の配下では唯一九江王に封建される。彭城の戦い後、劉邦が派遣した説客・随何(ずいか)の説得に応じて、劉邦の配下として参戦する。

范増(はんぞう)

范増
范増
項羽の重要な軍師である。項羽に亜父(父についで大切な人)と呼ばれ信頼される。紀元前206年、項羽が関中に攻め入った際に、項羽に劉邦の勢力を殲滅(せんめつ)するように勧めるが受け入れられなかった。鴻門の宴で項羽に何度も劉邦を殺すように伝え、項荘に剣の舞で劉邦を殺させようとするが失敗に終わる。楚漢戦争で劉邦の家臣・陳平に項羽との仲に亀裂を入れられ、范増は官を辞し郷里に戻る途中で頓死した。

宋義(そうぎ)

宋義
宋義
代々楚の令尹(れいいん)を勤めた家系で、秦に反抗した楚に属し、項梁の後の楚の総大将となり項羽に殺害された。宋襄の父、宋昌の祖父。

義帝(ぎてい)

義帝
義帝
姓は羋(び)。名は心(しん)。楚の滅亡後は地方に逃れて、羊飼いとして暮らしていたが、秦末の動乱期に楚の名家の末裔・項梁に迎えられ、楚王に即位し、祖父(一説では高祖父)の名を受け継ぎ、懐王を名乗るが、のちに項羽に義帝とされる。

若姜(じゃくきょう)

若姜
若姜
咸陽で虞姫に助けられ義理の姉妹となる。秦人であることを隠して項羽の政略で英布(えいふ)の妻となるが、項羽の命を狙う。

曹咎(そうきゅう)

楚に仕えた重臣。楚漢戦争期には諸侯にまでなり重きを成したが、項羽から成皋の守備を任され、司馬欣(しばきん)と共に防衛し、漢の劉邦軍に大敗して自害した。

魏豹(ぎほう)

魏豹
魏豹
魏王。陳勝・呉広の乱に乗じて挙兵し、周芾らに擁立された魏王・魏咎に仕えた。紀元前208年、秦の章邯(しょうかん)の侵攻によって魏咎が焼身自殺すると、魏豹は楚の項梁を頼って逃亡した。そして、懐王より数千の兵を借り、魏の20余城を攻め落とし、章邯が項羽に降伏すると自ら魏王と称した。妻の薄姫に操られる。韓信(かんしん)により魏は滅亡し、庶民となるが、項羽に内通しようとしたため周苛に殺された。

薄姫(はくき)

薄姫
薄姫
魏豹(ぎほう)の寵妃(ちょうひ)だったが、魏滅亡により劉邦の側室となる。

趙歇(ちょうけつ)

趙
趙歇
趙王。陳勝・呉広の乱の後、趙を平定し趙王となった武臣が李良の謀反により殺害されたため、張耳と陳余によってかつての趙の公子であった趙歇が趙王に擁立した。

張耳(ちょうじ)

張耳
張耳
趙の武将。陳余と反目して趙を追われ、漢の武将となる。

陳余(ちんよ)

陳余
陳余
趙の武将。張耳を追って趙の政権を握るが、韓信に敗れて戦死。

李左車(りさしゃ)

趙の広武君。趙の名将李牧の孫。井陘の戦いで李左車は宰相の陳余に、狭い地形を利用して本隊で守りつつ別働隊で韓信を襲うことを献策したが陳余は却下し、趙の30万と号する大軍は漢の韓信の3万の兵に大敗し趙は滅亡する。韓信は李左車を師と仰いで燕と斉を破る方法を尋ね、「敗軍の将、兵を語らず」と応えた。

韓成(かんせい)

韓成
韓成
韓王。戦国時代末期に韓王の公子として生まれ、横陽君(おうようくん)に封じられたが、韓滅亡後、その地位を失って庶民となる。亡韓の遺臣であった張良(ちょうりょう)が項梁に進言し、野に下っていた成を韓王に擁立した。しかし成を擁立した張良が劉邦に接近していることを、秦を滅ぼした項羽に不快に思われ、また劉邦を警戒した范増も韓王を監禁すべきであると進言したため、成は項羽が彭城に凱旋して、当所で監禁され韓に戻ることはなかった。紀元前206年末あたり、僻地の漢中王に封じられた劉邦が項羽を討つべく韓信(かんしん)を大将軍として東進すると、成は項羽の不興を買い、また范増が「禍を断つために成を誅殺すべきです」と項羽に進言したため、成は彭城で処刑され晒しものになった。 項羽は成に代わりに秦の呉県県令を勤めたことがある鄭昌という者を韓王に封じた。この悲報を聞いた張良は、官職を辞して、間道を通って逃亡して、すでに東進した劉邦と再会して、そのまま参謀として仕えた。劉邦の許可を得た張良は、亡き主君の成の遺体を引き取り、旧韓の地で葬儀を主宰して手厚く葬った。まもなく、張良は成の1世代下の族子(おい)に当たる信を擁立した。

紀元前207年、斉は斉王田都・済北王田安・膠東王田市に分割される。項羽は、田芾を膠東王、田都を斉王、田安を斉北王にした。

田芾(でんふつ)

膠東王。田儋の子。田栄により斉王になるが、項羽を恐れて封地の膠東に逃げたため、宰相の田栄に殺される。

田都

斉王。斉王・建の弟。項羽の論功行賞で分割された斉王になるが、田栄により楚に追放される。

田安

斉北王。田栄に殺される。

田栄(でんえい)

宰相。田芾を殺害して自立して自ら斉王となるが項羽に殺される。

田広(でんこう)

斉王。田栄の子、叔父は田横、従父は田儋、族兄は田芾。田栄亡きあと、残兵を集めて項羽に抵抗し、劉邦が東進した事もあり項羽が斉から引き揚げると、田横に擁立されて斉王となる。

田横(でんおう)

斉王・田栄(でんえい)、田広(でんこう)時代の宰相。田栄の弟。漢の説客・酈食其(れきいき)の同盟を受け入れるが漢の韓信(かんしん)に侵攻され、酈食其を煮殺する。斉王・田広(でんこう)が漢に捕らえられると自ら斉王となる。

その他

倉海君(そうかいくん)

倉海君
倉海君
斉人。120斤(約30kg)の鉄錐を操る。張良に怪力を買われ、共に始皇帝の暗殺を企てるが失敗する。 登場人物画像出典: ©中国国際電視総公司

DVD

あらすじ

第1話-第10話

第1話 始皇帝巡幸

紀元前224年。斉、楚、燕、韓、趙、魏の六国(りっこく)の併合をもくろむ秦王は将軍・王翦(おうせん)に60万の兵を与え楚国に侵攻させる。楚国の大将軍・項燕(こうえん)は抵抗を続けたが、ついに「たとえ楚国の人間が3家族しかいなくなっても必ず秦の国を滅ぼす」と誓い、自害する。これで勢いづいた秦国は紀元前221年に天下を統一する。そんなある日、静かな沛県豊邑の中陽里に不審な男性が現われる。劉邦ら侠客はその男性を捕えるが…。
  • 紀元前241年、蕞の戦いで趙、楚、魏、韓、燕の五カ国連合軍(合従)を撃退。
  • 紀元前223年、王翦(おうせん)が楚を滅亡させ、燕を滅ぼす。
  • 紀元前221年、斉を滅ぼし六国を征服。中国を統一。 秦王政(贏政(えいせい))は自らを「始皇帝」と称した。
  • 始皇帝は封建制を廃止、郡県制を施行。文字や車幅を統一し、天下を巡幸。皇帝としての威厳を示した。

第2話 楚人の誇り

項梁(こうりょう)、項伯(こうはく)、項羽(こうう)は六国の人々と会合を持つが、集まった人々に秦討伐の意志はなかった。怒った項梁はその中のひとりを殺してしまうが、秦の役人・司馬欣(しばきん)は彼らの大義に敬服して3人を逃がす。その後、3人は3年後に江東で会うことを約束し、項梁と項羽は呉越に、項伯は別の地へと別れる。同じころ劉邦(りゅうほう)は盧綰(ろわん)の借金を肩代わりし、事情を知らない父親から折檻されていた。彼は役所に行く途中、始皇帝の巡幸を目撃し…。
秦の統一領域地図
秦の統一領域地図
秦の統一領域地図 ©世界の歴史まっぷ

第3話 劉邦、嫁を取る

盧綰(ろわん)は劉邦(りゅうほう)に自分が金をくすねたと告白するが、劉邦は口外しないよう盧綰に言い含める。そこへ曹氏が店でけんかしているという知らせが入る。劉邦が仲間と駆けつけると、代金をツケにして帰ろうとした客とそれを止めようとした曹氏がもみ合いになっていた。劉邦は2人の間に割って入るが、結局客と殴り合いになってしまう。客の名は夏侯嬰(かこうえい)といい、劉邦と夏侯嬰は刃傷沙汰を起こしたせいで牢獄に連行されるが…。

第4話 水源抗争

呂雉(りょち)を嫁にもらった劉邦は、曹氏との関係を清算する。結婚して心を入れ替えたように見えた劉邦だったが、その暮らしは相変わらずだった。ある日、村の水源のことで隣村の東岳亭(とうがくてい)の雍歯(ようし)たちとけんかをして負けた彼は、今度は武器を持たずに再びけんかに向かい…。そのころ、秦打倒を計画していた張良(ちょうりょう)は刀鍛冶の店で力持ちの男性に出会う。一方、始皇帝の宴席では李斯(りし)が司馬欣(しばきん)に、項梁(こうりょう)を見つけて殺せと命じていた。
  • 紀元前213年、博士・淳于越は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。

第5話 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)

梵書(ふんしょ)の発令を前にして秦国では民間人と官吏の衝突が起き、事態の収拾がつかない郡県まで出始めていた。これを案じた始皇帝の長子、扶蘇(ふそ)は始皇帝に梵書の中止を提案する。一方、始皇帝暗殺の準備を進めてきた張良(ちょうりょう)は、倉海君(そうかいくん)らとともに巡幸の列に奇襲をかけるが…。そんなある日、劉邦(りゅうほう)が家で文字を学んでいると蕭何(しょうか)が訪ねてくる。朝廷から労役の命令が下されたので10日以内に100人集めろと言われ、劉邦は困惑する。
  • 扶蘇(ふそ)は焚書坑儒に諫言し、誠の民の苦労を見るため、北方の匈奴に対する国境・蒙恬(もうてん)の監督を命じられる。
  • 紀元前218年頃 張良、倉海君ら始皇帝暗殺失敗 巡幸の途中で博狼沙を通った所を狙った。
  • 紀元前211年 落下した隕石に「始皇帝死而地分」(始皇帝が亡くなり天下が分断される)周辺住民は皆殺しにされた。

第6話 故郷の馬

劉邦(りゅうほう)は言われた通り労役に行く100人を集めて蕭何(しょうか)に報告するが、もう200人集めてくれと言われ、無理だと返す。亭長(ていちょう)として自分も労役に行くという劉邦に、盧綰(ろわん)や樊噲(はんかい)、周勃(しゅうぼつ)たちも同行を決意する。そんな中、逃亡中の項伯(こうはく)は張良(ちょうりょう)に助けられる。一方、項羽(こうう)は町ですれ違った虞子期(ぐしき)から剣を奪おうとして、やり合ううちに友情が生まれる。彼はその後、呉中の馬市で故郷の下相の馬を手に入れ、秦打倒をあらためて誓う。
  • 万里の長城、陵墓などの大造営のための労役は、重労働のため行ったら生きて帰れないと言われた。収穫期でも町中の男たちは招集され、残された女子どもの生活もままならなかったが、秦の法を破ると一家皆殺しにされた。
  • 項羽が「剣術のように一人を相手にするものはつまらない。私は万人を相手にする物がやりたい」と答えたので項梁は兵法を項羽に教えた。

第7話 項羽の恋

項梁(こうりょう)は項羽(こうう)に、項家に伝わる剣術を伝授することに決め、項羽は虞子期(ぐしき)とともに剣術の練習に励む。ある日、虞子期は項羽に妹を紹介したいと切り出すが、ひと目ぼれした娘のことが気になる項羽は話になかなか乗ろうとせず…。劉邦(りゅうほう)は呂雉(りょち)の妹である呂須()を盧綰(ろわん)に嫁がせようと縁談を進めていたが、樊噲(はんかい)が呂嬃(りょしゅ)を寝取ってしまう。労役に行く人々の出発が近づき、蕭何(しょうか)は曹参(そうしん)に働きかけて囚人50人を集めさせ、劉邦に託す。
  • 秦の法では、労役に行く途中で問題が起きると連座で劉邦も処罰される。到着が遅れると全員斬首になる。

第8話 韓信の股くぐり

淮陰(わいいん)の韓信(かんしん)は自堕落な日々を過ごしながら亭長の家で食べさせてもらっており、亭長の妻に嫌味を言われていた。ある日、町のならずものに「俺を刀で切る勇気がないなら俺の股をくぐれ」と挑発された韓信は、おとなしく股をくぐる。そのころ、始皇帝は不老長寿の霊薬(れいやく)を徐福(じょふく)に探しに行かせていたが…。劉邦は労役の護送で驪山(りざん)に向かうが、次々に脱走者が出る。このままでは皆が処刑されてしまうため、彼は逃亡を決意する。
  • 韓信の股くぐり: 大望をもつ者は目先のつまらないことで人と争ったりしないことのたとえとなる。
  • 方士: 不老不死の秘術を会得した人物を指すが、実態は怪しげで調子の良い話によって権力者にこびへつらう者たち。徐福はその代表。
  • 劉邦が逃亡したため、一族連座により妻・呂雉ら一家は捕らえられるが、役人であり、劉邦の友である蕭何(しょうか)、曽参(そうしん)、夏侯嬰(かこうえい)らは牢の家族を手厚くもてなす。

第9話 始皇帝死す

劉邦たちは逃亡を続け、芒トウ山(ぼうとうざん)にたどり着く。彼らは小屋を建ててしばらく山の中で潜伏するが、次第に食料は減っていく。劉邦の仲間のひとりである雍歯(ようし)は、弟分から「一緒に下山して役人に仲間を密告し、自分たちだけ助かろう」と提案されるが…。一方、始皇帝は不老長寿の霊薬を求めて巡幸に出るが、馬車の中で激しく吐血。死期を悟った始皇帝は趙高(ちょうこう)に命じて、扶蘇(ふそ)を後継ぎに指名する勅令を起草させるが…。
  • 紀元前210年、始皇帝崩御

第10話 二世皇帝即位

劉邦(りゅうほう)から告げられた「貧しい人からは奪わない」「人を殺してはならない」という掟のもと、村で食料を奪う盧綰(ろわん)や雍歯(ようし)たち。その中で、尾生(びせい)は過って老人を殺してしまう。項羽(こうう)は項梁(こうりょう)や項庄(こうしょう)とともに貧しい暮らしを余儀なくされていたが、項伯(こうはく)が郡守に取り立ててもらえることになる。一方、秦の二世皇帝になったものの皇帝としての器量に欠ける胡亥(こがい)は、何を決めるのにも趙高(ちょうこう)に相談し、ほかの者の意見は聞かなくなっていく。
  • 子嬰: 大智(たいち)は愚の如し 大功(たいこう)は摂(せつ)のごとし 大弁(たいべん)は訥(とつ)のごとし 「本当に知恵のある者は知識をひけらしたりしないから、一見すると愚かなように見える。真の名人は見かけの小細工などしないから、一見下手に見える。また、自分の芸を自慢することなどしないから、一見つたないように見える。人の心を動かすようなすぐれた弁舌家は、余計なことを言わないから、かえって口べたのようにみえる。」
  • 趙高、自ら郎中令(ろうちゅうれい)(秦代、宮門警備を担当した官職)に就任。

第11話-第20話

第11話 赤帝の子

始皇帝の皇子や皇女が大勢処刑されると知った公子高(こうしこう)は、家族の命を守るために胡亥(こがい)のもとを訪れ、殉死したいと願い出る。芒トウ山(ぼうとうざん)では、盧綰(ろわん)が劉邦(りゅうほう)と行動をともにした際に経験した不思議な出来事を仲間に話す。劉邦が白い大蛇を一刀両断にし、不思議な老婆から「赤帝の子が白帝の子を殺した」と言われたというのだが…。呉中では項羽(こうう)が役人の季布(きふ)、鍾離昧(しょうりばつ)と知り合う一方、武器を密造して楚国復興の準備を進めていた。
  • 二世皇帝となり、趙高が郎中令となると、法令が急激に厳しくなり、同族の公子将閭兄弟をはじめとして、公子12人・公主10人が処刑され、連座するものは数え切れないほどになった。

第12話 蕭何からの手紙

胡亥(こがい)は政務もせずに妃選びに夢中になっていた。陳勝(ちんしょう)と呉広(ごこう)が大沢郷(だいたくきょう)で反乱を起こしたことを知った趙高(ちょうこう)は、今後、胡亥に会えるのは自分だけにしようと彼に提案する。一方蕭何(しょうか)は、劉邦(りゅうほう)は能力があるから手を組んだほうがいいと県令を説得する。蕭何から手紙を受け取って山を下りかけた劉邦だったが、話がうますぎることに疑問を抱き…。そのころ、項梁(こうりょう)は楚人の同士たちと決起を誓い、会稽郡郡守の殷通(いんとう)も反乱の覚悟を決める。

第13話 項梁の決断

良い情報しか耳に入ってこない胡亥(こがい)は、秦が平和だと信じ込む。虚偽を伝えた叔孫通(しゅくそんとう)は胡亥に気に入られて昇進するが、実情を話す者は降格されるはめになる。一方、挙兵を考える項梁(りょうこう)は、郡守を味方に引き入れようと項羽(こうう)に提案する。そんな中、殷通(いんとう)が部下を派遣して項梁を招き、造反の意思を告げて協力を求めてくるが…。逃げた蕭何(しょうか)は劉邦(りゅうほう)と合流し、沛県に戻らないよう告げる。だが劉邦は沛県に帰ることを選択する。
  • 紀元前209年、項羽は会稽郡郡守・殷通(いんとう)を殺し、項梁が郡守の印を奪って自ら会稽郡守となる。

第14話 皇帝の影

劉邦(りゅうほう)らは県城を攻めるが、鉄壁の守りに歯が立たない。そこで仲間割れのふりをして、樊噲(はんかい)らが劉邦を敵に突き出しに来たように装う。各地で反乱が起こっていることに危機感を抱いた李斯(りし)は胡亥(こがい)と直接話をしようとするが、趙高(ちょうこう)に阻まれてしまう。始皇帝が亡くなったとき、扶蘇を殺してしまったことを李斯は今さらながらに悔やむ。趙高はそんな彼の力を封じようと、李斯が裏切ろうとしているという作り話を胡亥に告げる。
  • 趙高は、胡亥を宮中に籠らせて贅沢三昧の生活をさせ、自らは代わって政務を取り仕切り実権を握った。胡亥の傀儡ぶりは著しく、丞相李斯ですら趙高の仲介なくしては胡亥に奏上も適わなかった。
  • 政策は基本的には始皇帝の方針を引き継いだが、皇帝の権威、即ち自らの権威を高めることに腐心し、阿呆の語源とも言われる阿房宮の大規模な増築を進め、人民に過重な労役を課す。恐怖政治を敷いたことと合わせ、大いに人民から恨みを買うことになった。
  • 蒙恬、公子将閭や2人の弟たち、公子高など有力者や不平派を悉く冤罪で殺害したことにより悪臣が増え、政治に対する不平不満は増大し、始皇帝在位時は豊富であった人材も枯渇することになった。

第15話 沛公となる

沛県の長老たちは、殺害された県令の後任に蕭何(しょうか)を推すが、蕭何は劉邦(りゅうほう)こそがふさわしいと答える。仲間を集めた劉邦は自分が責任者になると宣言し、以降“沛公”と呼ばれることになる。皆が協力して彼を補佐しようと結束を強めていたとき、曹氏(そうし)が劉邦との間にできた息子を連れて現われる。咸陽の宮殿では、趙高(ちょうこう)が李斯(りし)を抹殺しようと計略を巡らせていた。辞職して故郷に帰ろうと決心した李斯は宮殿を訪れるが…。
  • 紀元前209年、劉邦は沛県県令の首を取り、沛県県令・沛公となる。

第16話 鹿を指して馬と為す

目の前で季布(きふ)と項羽が功を焦って言い争うのを見た項梁は、次の戦で先に東郡を落とした者にもう一方が従うよう、2人に約束させる。ある晩、項羽が虞子期(ぐしき)を訪ねて行くと、虞家が何者かに襲撃され、虞姫(ぐき)の父は亡くなり、虞子期は行方不明になっていた。楚軍の仕業だと信じる虞姫は報復を誓うが…。そのころ、韓信(かんしん)は軍の徴兵から逃げようとする人や、戦を前に不安がる人々を見て、自らも乱世に打って出ることを決意する。
  • 秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高は、謀反を企み廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺した。(「馬鹿」のうち鹿の「か」は訓読みであり、中国風の音読みで馬鹿を「ばか」と読むことはできないなどの問題がある。)

第17話 李丞相の最後

劉邦(りゅうほう)は胡陵(こりょう)を攻めることに決め、雍歯(ようし)を副将に指名する。だが兵士の訓練をめぐって雍歯と盧綰(ろわん)がいさかいを起こす。蕭何(しょうか)は胡陵攻めに反対したものの聞き入れられなかったため、せめて事前に内情を探り、胡陵と方与(ほうよ)を結ぶ街道を遮断するべきだと提案するが…。一方、東郡を攻めた項梁(こうりょう)は苦戦を強いられていた。そこへ彼から連絡を受けた龍且(りゅうしょう)が300人の兵を率いて駆けつけ、ともに東郡を攻め落とすことになる。
  • 項羽は龍且(りゅうしょう)の300の兵と東郡を攻め落とす。

第18話 項羽大将軍

趙高(ちょうこう)は陳勝(ちんしょう)軍の圧倒的な攻勢に対して秦軍はどうすべきか大臣たちに問う。大臣たちは章邯(しょうかん)を将軍に推薦するが、現在の彼は将軍ではなく少府として徴税業務を担当しており…。一方、項梁(こうりょう)は郡守の首を取った項羽(こうう)を大将軍に任命する。胡陵(こりょう)を攻めた劉邦(りゅうほう)は無残に敗れ、蕭何(しょうか)の忠告を聞かなかったことを反省する。自分たちの足場となる沛県を大事にしようと考えた劉邦は軍紀を定め、罪に対する処罰を厳しくすると宣言する。
  • 楚軍: 大将軍-項羽、将軍−龍且(りゅうしょう)就任。
  • 魏軍: 胡陵(こりょう)を攻めるが秦軍に大敗。反省し軍紀を定める。

第19話 章邯出撃

沛県に住む寡婦(かふ)が雍歯(ようし)に無理やり襲われたという抗議を受け、劉邦(りゅうほう)は本人を連行して問い詰める。自分の仕業だと白状して悪びれない雍歯に、劉邦は見せしめのために死刑に処すと告げる。咸陽(かんよう)では、やっと秦国の実情を知ることになった胡亥(こがい)が章邯(しょうかん)の提案を受け、驪山陵(りざんりょう)の囚人とその監視兵たちを秦軍に編入することを決める。一方、趙高の働きかけによって章邯と晨曦の結婚が進められていたが、章邯は内心複雑で…。
  • 秦軍: 章邯(しょうかん)が大将軍となり、陵墓で働いていた囚人20万人を赦(ゆる)してこれを反乱軍討伐に向かう。 紀元前208年、陳勝・呉広の反乱軍を鎮圧、漢中を奪還する。

第20話 晨曦の想い

章邯(しょうかん)の戦勝報告が宮殿に届き、趙高(ちょうこう)は口では褒めたたえるが、章邯が戦地で兵士たちに信頼されていると知ると彼の祝賀会を中止にすると言い出す。その後、胡亥(こがい)のもとに向かった趙高は先帝から夢で告げられたと言って胡亥の外出を禁じてしまう。また、章邯を監視するために司馬欣(しばきん)と董翳(とうえい)を戦地に送るが、章邯に会った董翳は彼こそが秦の希望だと考える。そのころ、章邯は勢力を伸ばす項梁(こうりょう)の一族に目を向けようとしていた。

第21話−第30話

第21話 沛県を守れ

秦軍を迎え撃つ準備に追われる沛県。蕭何(しょうか)は劉邦(りゅうほう)に、沛県の少ない兵力では長くは持たないと進言するが、劉邦は自分たちの力で守り抜こうと考えていた。いよいよ戦いが始まるが…。呉中の項梁(こうりょう)のもとには、ト山の山賊、桓楚(かんそ)と余英(よえい)の情報が入ってくる。2人を項軍に迎えたいと考えた項梁は項羽(こうう)を説得に向かわせる。桓楚と余英は、禹王を祀ったほこらの前にある大きな鼎(かなえ)を項羽が動かせたら、項軍に加わると約束する。

第22話 范増の策

桓楚らとの酒の席で黒い名馬の話を聞いた項羽は、山中でその馬を見つけ、かつて虞姫(ぐき)が乗っていた馬だと気付く。そのころ、咸陽では陳勝(ちんしょう)戦死の連絡が入るが、皇帝・胡亥(こがい)は「すべて趙高(ちょうこう)に任せた」と言って報告を聞こうともしなかった。項羽は馬で町を駆けているときに出会った范増(はんぞう)という老人から、「策を持っている」と言われるが…。一方、仲間と遠征していた劉邦は、沛県で雍歯(ようし)が裏切って魏と手を組んだという知らせを聞く。
  • 陳勝の傘下に属した旧楚の公族系の景駒(けいく)が甯君と秦嘉に代わりの王に擁立される。
  • 楚軍: 范増(はんぞう)の献言で旧楚の懐王の孫で羊飼いに身を落としていた羋心(びしん)を見つける。

第23話 2つの出会い

劉邦(りゅうほう)が兵を率いて沛県に戻ると、雍歯(ようし)が城壁に立っていた。しかし、兵士の家族を人質に取られた劉邦は彼を攻撃できない。楚国では項梁(こうりょう)が“懐王”を立て、自身は“武信君”と称して楚軍を率いることになる。項羽は一刻も早く秦を討とうと考えていたが、楚国では連日、国号や旗印に関する協議ばかりが行なわれていた。そのころ、劉邦は景駒(けいく)から兵を借りて雍歯を討伐しようとしていたが、景駒は既に項軍に殺されていた…。
  • 項梁は羋心(びしん)を楚王に擁立。懐王とした。
  • 劉邦は雍歯(ようし)を討つため景駒(けいく)から兵を借りに行く途中張良(ちょうりょう)と出会い同行する。景駒は殺された後だったため、龍且の手引で項羽に面通りする。

第24話 項梁軍に合流す

劉邦(りゅうほう)は項羽(こうう)に会い、裏切り者の雍歯(ようし)を倒すために兵を5000人貸してくれと頼む。項羽は一度は断ったものの、「戦が終わったら8000人返す」という条件で要望に応える。これは戦の後に劉邦が項羽の配下になるという意味だったが、劉邦は受け入れる。さらに項羽は、貸す兵の数を800人にまで減らすが…。そのころ晨曦(しんぎ)は、戦の結果にかかわらず章邯(しょうかん)が無事に咸陽に帰れないと知り、侍医・張林(ちょうりん)に相談を持ちかける。
  • 張良は英傑な劉邦を気に入り配下の兵を劉邦に預ける。
  • 借りる兵が800のでも帰ったら傘下に入ると言った劉邦に、項羽は鍾離昧(しょうりばつ)率いる5000の兵を貸し出す。

第25話 偽りの敗戦

項(こう)軍の食料を奪おうとして見つかってしまった紀信(きしん)。劉邦(りゅうほう)とは無関係を装ったが、曹参(そうしん)に引き取られて陣営に戻る。劉邦は盗みについて、民から奪ったのでなければいいと告げて不問に付す。一方、張良(ちょうりょう)は項梁(こうりょう)が自分を配下にしたがっていることを感じて、韓王の皇子・成を探して国を復興させたいと話し、陣営から去る。その後、劉邦は項羽から襄城(じょうじょう)攻めを命じられる。項羽には劉邦らを項軍に取り込むという目的があったが…。
  • 張良、韓王・韓成を擁立。

第26話 襄城での虐殺

趙高は晨曦(しんぎ)の侍女に、晨曦を厳しく監視するよう命じる。蕭何(しょうか)は范増(はんぞう)が襄城(じょうじょう)攻撃に反対しなかったことを不審がるが、劉邦(りゅうほう)は気にせず襄城を攻める。だが攻撃中に突然、1万人もの秦兵が現われた。蕭何は范増がこれを予想していたと直感して、劉邦に撤退を勧めるが、劉邦は命懸けで戦って勝利を収める。彼は秦軍の捕虜5000人を項羽に引き渡すが、捕虜の命を救うために彼らを少しでも引き取りたいと考えていて…。
  • 紀元前209年、項羽、襄城の捕虜5,000人虐殺。天の道を失う。

第27話 閉じ込められた姫君

遅冕(ちべん)から、崇信(すうしん)に会わせるという連絡を受けた晨曦(しんぎ)は、言われた通りにひとりきりで出かける。だが遅冕は彼女を趙高(ちょうこう)に差し出そうともくろんで、宮中の小屋に閉じ込めてしまう。そのころ、章邯(しょうかん)は軍営で項梁(こうりょう)を討ち取る計略を立てていた。こう着状態が続く戦場では、項梁に謹慎を命じられていた項羽が旗印を掲げて姿を現わす。項軍の一兵卒になった韓信(かんしん)は、章邯の計略に気付いて項梁に訴えるが、項梁は耳を貸さず…。

第28話 項梁逝く

劉邦は定陶(ていとう)が危険だと聞いて現地に急ごうとするが、反対する樊噲(はんかい)に気絶させられる。そのころ、定陶は廃墟と化して項梁は戦死していた。叔父を探しにきた項羽は、項梁の死体を見て涙を流す。民家で目覚めた劉邦は、一時は仲間のとりなしで樊噲の行動を許すものの、そこに項羽が来ると知って樊噲を鞭打つよう命じる。項羽は劉邦が項梁のもとに向かおうとしたことに感動し、義兄弟の契りを結びたいと申し出る…。
  • 項梁、定陶で章邯率いる秦軍に攻められて敗死。
  • 劉邦、戚夫人と出会う。

第29話 揺れる女たち

劉邦(りゅうほう)らが軍営代わりにしていた民家には、ひとりの女性がいた。彼女は、夫は矢に当たって死んだというが、実はその矢は劉(りゅう)軍のものだった。一方、劉邦の実家では兵の徴集から逃れるため、劉邦の兄が1日中納屋に隠れて過ごしていた。逃亡兵が作物を食べてしまい食料もなく、呂雉(りょち)は義姉に辛く当たられる。項羽(こうう)は毒蛇に噛まれて意識不明になった虞姫(ぐき)を毎日見舞うが、このことを虞姫に内緒にするよう緑衣に言いつけて…。

第30話 武安侯となる

呂雉(りょち)は義姉のいじめに耐え切れず、家を出ると義父に告げるが止められる。そのころ、劉邦は懐王(かいおう)から武安侯(ぶあんこう)に封じられ、仲間に祝福されていた。魏王(ぎおう)に封じられた魏豹が秦を攻めるために兵を必要としていることを知った蕭何(しょうか)は、劉邦に対し、魏に協力することを提案する。一方、項羽は懐王が自分を長安侯に封じて抑え込もうとすることに不満を抱いていた。虞姫(ぐき)は項羽の陣営で、戦から戻った項狄(こうてき)が父の仇だと気付き…。
  • 劉邦は武安侯、項羽は長安公となる。
  • 魏王・魏豹(ぎほう)は懐王より数千の兵を借りる。
  • 趙の李良(きりょう)将軍が謀反を起こし(詳細)、趙王・武臣殺害。秦の章邯(しょうかん)の元へ逃亡する。

第31話−第40話

第31話 虞子期との再会

章邯(しょうかん)軍に合流した王離(おうり)のもとに、邯鄲(かんたん)を攻撃せよとの軍令が章邯から届く。王離は軍令に従えば章邯に統率されると分かっていたが、秦国への忠誠心からそれに従う。項羽(こうう)は祖父・項燕(こうえん)を死に追い込んだ王翦(おうせん)の孫・王離を討ち、祖父の仇を討とうとするが…。そんな中、緑衣は虞姫(ぐき)に項狄への恨みを忘れるよう勧めるものの、虞姫は拒否。2人の話を聞いた項狄(こうせき)は項軍の陣営を去る。一方、項狄は行方不明だった虞子期と再会する。

第32話 懐王との約束

項羽(こうう)らの前に現われた項狄(こうせき)は、項羽将軍のために生きられて悔いはないと自害した。そのころ、秦軍に包囲され、鉅鹿(きょろく)城に籠城している趙王と張耳(ちょうじ)が諸国に救援を求める。項羽の勢力拡大を心配する懐王(かいおう)に、趙国の危機を利用して項羽の権力を封じようと提案する宋義(そうぎ)。だが懐王は趙国に出兵する軍隊の上将軍を宋義にし、次将軍を項羽、末将軍を范増(はんぞう)にする。さらに懐王は別部隊に咸陽(かんよう)を攻めさせ、秦軍を分散させようとするが…。
  • 秦軍・章邯は邯鄲の住民を強制的に移住させ、城郭を破壊。
  • 趙王・趙歇(ちょうけつ)と張耳(ちょうじ)は鉅鹿(きょろく)城に逃げ込み、秦軍・王離(おうり)が包囲。
  • 趙軍・陳余の援軍来るが秦の大軍に
  • 楚軍: 趙の援軍としてー上将軍・宋義(そうぎ)、次将軍・項羽、末将軍・范増(はんぞう)
  • 楚軍: 咸陽(かんよう)へ(先に漢中に入った者を王とする)ー劉邦

第33話 宋義の罪

関中(かんちゅう)に向けて彭城(ほうじょう)を発った劉邦(りゅうほう)だったが、ある日、兵士200人が行方不明になり、その後殺されていたことが判明する。咸陽(かんよう)では、夜中に崇信(すうしん)が晨曦(しんぎ)のもとを訪れる。崇信は章邯(しょうかん)への手紙を届けたと告げるが…。一方、軟禁状態の胡亥(こがい)は、自分が病気ではないことを文武百官に知らせてくれるよう女官に頼む。楚国では懐王(かいおう)が宋義(そうぎ)を卿子冠軍に封じ、鉅鹿(きょろく)へと派遣する。だが宋義は安陽(あんよう)に兵を駐屯させたまま動こうとせず…。
  • 楚軍: 項羽、卿子冠軍・宋義、宋義の子・宋襄を、斉と組んで謀反を企てたことを理由に誅殺(ちゅうさつ)。

第34話 高陽の儒学者

懐王(かいおう)は項羽が国を売った宋義(そうぎ)を殺したという報告を受けて、項羽を上将軍に命じ、全軍の指揮を任せた。心を病んだふりをする胡亥(こがい)の姿を見た趙高(ちょうこう)は、半信半疑ながらとりあえず彼を生かしておくことにする。そのころ、劉邦(りゅうほう)を突然訪ねてきた儒学者・酈食其(れきいき)は、戦わずに陳留(ちんりゅう)を手に入れてみせると約束するが…。崇信(すうしん)は章邯(しょうかん)を呼び戻して宴席を設け、そこで趙高を暗殺しようと提案。その晩、崇信は趙高から呼び出しを受ける。
  • 酈食其(れきいき)は劉邦に対して陳留の率いる秦軍の投降を説いて成功させ、広野君に封じられる。

第35話 趙高暗殺計画

胡亥(こがい)に頼まれて子嬰(しえい)を探していた女官は、ようやく子嬰を見つけて咸陽に連れ帰る。張良(ちょうりょう)と再会した劉邦は韓の復興に協力し、韓の領土を奪い返す。さらに劉邦は韓王に、陽翟(ようてき)の奪還を約束。その交換条件に張良を借り受ける。一方、咸陽(かんよう)では崇信(すうしん)が趙高(ちょうこう)の屋敷の池を完成させる。約束通り望みをかなえるという趙高に、章邯(しょうかん)と晨曦(しんぎ)の婚礼の儀を執り行なうよう願い出る崇信。ついに趙高暗殺に向けて事態が動き出すが…。
開封 白馬 南陽

第36話 破釜沈船

いよいよ晨曦(しんぎ)と章邯(しょうかん)の婚礼の儀が執り行なわれる。崇信(すうしん)は宴の席で趙高(ちょうこう)を殺そうとするが、趙高の手下に殺される。晨曦も趙高を殺そうとして失敗し、自刃する。趙高は章邯の処分に悩むが、処罰せず前線に戻す。章邯は兵を鉅鹿(きょろく)に集め、甬道(ようどう)を使って補給をしていた。それに気付いた項羽は、英布(えいふ)に甬道を攻撃させて秦軍の動揺を誘う。やがて趙王の耳に、わずか数万人の項羽の兵が漳水(しょうすい)を渡ってくるという報告が入り…。
  • 破釜沈船(はふちんせん): 決死の覚悟で出陣すること。生きて帰らない決意を示すこと。項羽が出陣のとき、飯を炊く釜かまを打ち壊し、船を沈めて退路を断ったことから四字熟語となった。▽「釜かまを破やぶり船ふねを沈しずむ」と訓読する。

第37話 鉅鹿の戦い

項羽(こうう)は全軍が川を渡りきるのを待たず、秦軍に奇襲をかける。秦の将軍・蘇角(そかく)は楚の後続部隊を断つよう指示し、両軍は激戦を繰り広げる。趙王は諸侯に出陣を求めようとするが、鉅鹿(きょろく)から各国陣営に通じる道は秦軍によって封鎖されていた。陳余(ちんよ)や魏豹(ぎほう)は項羽軍が壊滅するだろうと考えて、軍を動かすのを止めるが…。そのころ劉邦は南陽を攻めて勝利を収める。だが南陽郡守は宛城(えんじょう)まで退却し、そこに立てこもってしまう。
  • 紀元前207年、鉅鹿の戦い(きょろくのたたかい): 項羽の楚軍と章邯の秦軍との間で鉅鹿(現在の河北省邢台市巨鹿県)で行われた戦い。
  • 項羽の楚軍が勝利し、秦軍は王離(おうり)が捕虜となり、蘇角(そかく)が戦死し、渉間(しょうかん)が自害して、章邯も退却を余儀なくされた。
  • 項羽は鉅鹿城を手にする。

第38話 胡亥、夭逝(ようせい)す

章邯(しょうかん)は項羽が楚軍の総帥になったと知り、司馬欣(しばきん)を咸陽(かんよう)に送って増兵を依頼する。だが司馬欣は胡亥(こがい)と趙高(ちょうこう)に会えず、さらに趙高が自分を殺そうとしていると知って逃げ出す。そのころ、秦に見切りをつけた趙高は、楚軍に胡亥の首を差し出して関中の王の座をもらおうと劉邦に密使を送る。一方、胡亥は自分の後を子嬰(しえい)に譲ろうと考えていた。胡亥は趙高が戦況を偽っていたことに気付き、今後は自ら朝政を司ると宣言するが…。
  • 紀元前207年、望夷宮の変(ぼういきゅうのへん): 丞相であった趙高や、その娘婿である閻楽らが、共謀して二世皇帝胡亥を望夷宮において殺害した事件。

第39話 降将 章邯

英布(えいふ)が范増(はんぞう)のもとに、食糧の不足を報告に来る。秦兵十数万人を捕虜にしたためで、この問題は項羽の悩みの種だった。また、彼は章邯(しょうかん)と小競り合いを繰り返していたため関中に向かうことができず、劉邦軍の動向を聞いては不安に思い始めていた。そんなとき、陳余(ちんよ)が章邯の陣営に出向き、彼に項羽軍への投降を勧めるが…。一方、咸陽では趙高が、秦を王国に戻し、子嬰(しえい)を新しい王に立てることなどを王族や大臣に告げていた。
  • 章邯、殷墟で将兵と共に項羽に降伏。
  • 項羽は章邯を雍王に封じる。

第40話 趙高誅殺

無人の武関(ぶかん)に戸惑う劉邦だったが、趙高が兵を撤退させたと知ると、引き続き嶢関(ぎょうかん)に向かう。子嬰(しえい)は女官から2人の人物に引き合わされる。ひとりは行方知れずになっていた娘で、もうひとりは韓談(かんたん)だった。子嬰は韓談から趙高の思惑について聞かされ、一計を案じる。そのころ、難攻不落の嶢関を前にした張良(ちょうりょう)は、秦軍を投降させるために盧綰(ろわん)を使者として送っていた。だが秦の将軍はなかなか和議に応じようとせず…。
  • 子嬰と韓談らによって趙高は誅殺(ちゅうさつ)される。

第41話-第50話

第41話 法三章

嶢関(ぎょうかん)陥落の報告を受け、子嬰(しえい)は大臣たちの意見を聞く。彼らは「命を懸けて戦う」と言うが、そのとき劉邦から降伏勧告が届く。一方、項羽軍は降伏した秦兵たちを抱えたため、行軍の速度が落ちていた。そんな中、楚兵との食事の差に不満を抱いていた秦兵たちの間に、いずれ楚や諸侯の兵に組み込まれるという噂が広まる。司馬欣(しばきん)はその噂の出所を探り始めるが…。同じころ、秦兵が楚の陣営から食料を盗む事件が発生する。
  • 秦王・子嬰、降伏。劉邦軍、咸陽に入城。
  • 法三章: 漢の劉邦が秦を滅ぼした後、秦の始皇帝の定めた厳しい法律を廃し、殺人・傷害・窃盗だけを罰するとした3か条の法律。転じて、法律を簡略でゆるやかなものとし、法治万能主義を排すること。-「史記」高祖本紀

第42話 秦兵の反乱

魏兵だと名乗る男性が突然劉邦(りゅうほう)の実家を訪れ、劉家の状態を知ると無理やり住み着こうとする。呂雉(りょち)は義兄夫婦と相談して彼を追い出そうとするが、思わず殺してしまう。項羽の軍営では、秦軍の一部が食料を強奪しようとしていた。それを知った司馬欣(しばきん)は章邯(しょうかん)に知らせるが、踏み込んできた季布(きふ)に捕らえられ、項羽のもとに連行される。章邯は項羽に「少数の秦兵の反乱だ」と話すが、実際は2000人規模の反乱だと判明し…。
  • 項羽は20万以上の秦兵を捕虜として得たが、暴動の気配が見えたので新安でこれを全て坑した。

第43話 咸陽からの撤退

司馬欣(しばきん)が章邯(しょうかん)の陣営を訪れると、章邯は殺された秦兵たちを供養し自分の無能さを責めていた。韓信(かんしん)は、武器を持たない大量の捕虜を殺したことに失望し、楚軍を去る決心をしたと鍾離昧(しょうりばつ)に告げる。だが、項羽もまた自責の念にかられていて…。一方、咸陽は劉邦軍の兵によって荒らされ、治安が乱れていた。そこへ、嶢関(ぎょうかん)で項羽軍と衝突したと知らせが入る。嶢関を固守するよう命じた劉邦にあきれた張良(ちょうりょう)は、宮殿を後にする。
  • 劉邦は、樊噲と張良に諫められ、財宝の持ち出しを禁じて軍を覇上へ引き上げる。
  • 蕭何(しょうか)は、秦の歴史書や法律、各国の人口記録など、項羽による破壊の前に全て持ち帰ることに成功した。これが漢王朝の基礎作りに役立ったと言われている。
  • 劉邦が、関中の東の関門である函谷関に兵を置き、項羽軍の入城を攻撃したことなどに激怒した項羽は40万の軍で攻めて劉邦を滅ぼすことを決意する。
  • 謀略により刑罰を受けた劉邦軍の曹無傷(そうむしょう)は項羽に寝返る。
  • かつて張良に恩を受けた項羽の叔父・項伯(こうはく)が張良を救おうと劉邦軍の陣中に来る。

第44話 鴻門の会

項伯(こうはく)は張良だけをひそかに連れ出そうとするが、張良は項伯を劉邦に会わせる。同席した蕭何(しょうか)は「義兄弟を討つとは何事だ」と激しくなじり、劉邦も「項羽将軍のために咸陽を守ったつもりがなぜ攻撃されるのか」と不満を漏らす。彼らに丸め込まれ、項羽に攻撃をやめるよう取り成す項伯。だが、諸侯たちが「劉邦を殺せ」という意見でまとまったため、項羽たちは劉邦に宴の案内を送り、彼を殺すための手はずを整える。
  • 紀元前206年、鴻門の会(こうもんのかい): 楚の項羽と漢の劉邦が、秦の都咸陽郊外(今の西安市臨潼区)で会見した故事。楚漢の攻防の端緒となった。

第45話 咸陽炎上

身の危険を感じた劉邦は、そのまま酒宴の席に戻らずに逃亡。その知らせが項羽のもとに届くと、范増(はんぞう)はすぐに英布(えいふ)に追いかけるよう命じる。張良(ちょうりょう)はそんな彼らに劉邦からの贈り物を差し出し、劉邦が逃げたのは諸侯が彼の命を狙っているからだと説明する。一方、逃走する劉邦を乗せた馬が途中で力尽きて倒れてしまい、彼らのすぐそばに英布が迫る。諸侯とともに咸陽に入った項羽は、秦国の処理に関する主導権を握るが…。
  • 項羽は、秦の王族全員と劉邦に降伏していた秦の最後の王である子嬰一族を殺し、咸陽を焼き払い、諸侯は財宝を略奪した。

第46話 巴蜀の王

劉邦は咸陽(かんよう)が燃える様子を見て項羽の凶暴さを思い知り、彼との衝突を避けてきたことを後悔する。虞姫(ぐき)は飢えた子どもたちのために、倉庫の食料を放出しようとする。だが倉庫には何もなく、若い女性が倒れているだけだった。連れ帰ったその女性、若姜(じゃくきょう)は自らの生い立ちを虞姫に話し、2人は心を通い合わせる。そんな中、項羽は関中を章邯(しょうかん)、司馬欣(しばきん)、董翳(とうえい)に分割して与える一方で、劉邦には僻地(へきち)の巴蜀(はしょく)を与えようとして…。
  • 巴蜀: 現在の四川省。紀元前316年に秦によって巴蜀が滅ぼされ(秦滅巴蜀の戦い)、秦の版図に編入され、その険しい山岳地帯である地理的条件から流刑の地とされた。紀元前206年に秦が滅亡し、劉邦が項羽から漢中と巴蜀が与えられる。
  • 楚王・懐王を「義帝」に改称。
  • 秦を3分割し、章邯を雍王、司馬欣を塞王、董翳を翟王とした。これを三秦という。
  • 項羽は「西楚の覇王」と名乗る。

第47話 さらば項軍

新たな領土に向かった諸侯たち。陳余(ちんよ)は待遇に不満を抱き、張耳(ちょうじ)に不公平さを訴えるが張耳は相手にしない。魏豹(ぎほう)も領地の狭さに不満をこぼす。一方、章邯(しょうかん)は范増(はんぞう)と項羽からそれぞれ、“劉邦の動きの監視”“関中の守護”という2つの指令を受けて…。項軍を辞めた韓信(かんしん)は女房を買いに行く友人に付き合い、売れ残った酈鳶(れきえん)という娘を、金を払って引き取る。その後、韓信は漢軍に入るが、漢軍では兵の逃亡が相次いでいた。
秦滅亡後の項羽の封建
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楚漢戦争 秦滅亡後の項羽の封建

爵位備考
西楚項羽西楚の覇王
羋心義帝懐王の孫。辺境の郴へ流した上で殺害。
漢中劉邦漢王
関中章邯雍王
司馬欣塞王
董翳翟王
張耳常山王項羽に付いて関中にまで従軍した元趙の宰相。
趙歇代王元趙王。
陳余は項羽とともに従軍しなかったため、南皮を与えられたに過ぎなかった。
九江 英布九江王
衝山呉芮衝山王英布の舅
臨江共傲臨江王英布の部下
遼東 韓広元燕王。
臧荼燕王項羽に協力した元燕の将軍
膠東田市膠東王元斉王。
田都斉王項羽に協力した元斉の将軍が斉王となる。紀元前206年、3分割された斉を田栄が統一して王になり、田都を楚に追放する。紀元前205年、田栄敗死後項羽が田仮を擁立するが田横に楚へ追放され、田広、田横と入れ替わる。
済北田安項羽と親しい斉の王族。斉の実質的な支配者であった田栄は項羽に協力しなかったため何も与えられなかった。
西魏魏豹西魏王元張耳の将で元の魏王の弟
河南申陽河南王元趙の将軍。
司馬卭殷王元趙の将軍。
鄭昌韓王韓王・成が劉邦と親密だったことから、項羽は彼を抑留し、自分の部下の鄭昌を立てて韓王とした。
秦滅亡後、項羽は根拠地である彭城に戻り、自ら西楚の覇王を名乗った。圧倒的な軍事力を背景に政治上の主導権を握り、紀元前207年、諸侯を対象に大規模な封建を行う。

第48話 酒蔵の密談

韓王から呼び戻されて帰る張良が通り過ぎた後、関中につながる桟道が炎上する。一方、若姜(じゃくきょう)の顔に青あざがついていることに気付いた項羽は、彼女の夫・英布(えいふ)に理由を聞こうとする。英布は妻が秦国の姫君ではないかと告げるが…。韓信(かんしん)は蕭何(しょうか)の幕舎で図面の整理をする間、糧秣(りょうまつ)の図にひそかに戦の図を書き入れて蕭何に厳しく注意される。そのころ、懐王は張耳と陳余を酒蔵に呼び出し、反乱の相談を持ちかけていた。

第49話 韓信大将軍

食料の到着が遅れ、量も不足している理由を蕭何(しょうか)が韓信に問おうとしたとき、連絡が入る。劉邦が突然、予定の進路を変更して南鄭(なんてい)に向けて移動を開始したため、そこに糧秣(りょうまつ)を輸送しろというのだ。蕭何(しょうか)はうろたえるが、韓信は大丈夫だと太鼓判を押して…。後日、蕭何は韓信が逃亡したと聞いてあわてて後を追いかける。韓信が「大将軍になれないなら戻らない」と告げたため、蕭何は彼を大将軍として劉邦に推挙する。
  • 史記・淮陰侯列伝では蕭何は韓信を韓信は国士無双であり、他の雑多な将軍とは違う。(劉邦が)この漢中にずっと留まるつもりならば韓信は必要ないが、漢中を出て天下を争おうと考えるのなら韓信は不可欠であると言って推挙した。 「国士」はその国の中で最も優れている人物、「無双」は並ぶ者のない意味を指す。麻雀の役の名となった。

第50話 再び関中へ

韓信(かんしん)は燃えた桟道を修復する作業にかかっていた。しかしこの作業は実は陽動作戦で、章邯(しょうかん)が修復に気を取られている間に、韓信は別の道からひそかに陳倉(ちんそう)方面に部隊を送り込んで奇襲をかける。陳倉を失った章邯は廃丘に立てこもり、抵抗を続けることに。韓信は膠着状態を打破すべく、南陽を守る王陵(おうりょう)を味方にしようと考えるが…。一方、韓王だった韓成(かんせい)は項羽から領地を与えられなかったため、韓の地に戻れずにいて…。
  • 劉邦を警戒している范増と、張良が劉邦に接近していることを不快に思う項羽は、彭城で監禁され、韓に戻ることはなかった。
  • 暗渡陳倉: 兵法三十六計の第八計。大々的に「蜀の桟道」を修理しながら、その裏で密かに軍に陳倉を経由させて関中の章邯(しょうかん)を奇襲した韓信の故事にちなみ、偽装工作と奇襲をあわせる戦術を言う。

第51話-第60話

第51話 家族の絆

韓成(かんせい)の死を知った范増(はんぞう)は、張良(ちょうりょう)を劉邦(りゅうほう)のもとに行かせまいと張良の暗殺を企てるが失敗。そのころ、盧綰(ろわん)らの態度に傷ついて酒を飲み過ぎた韓信(かんしん)のもとをひそかに劉邦(りゅうほう)が訪れ、彼を励ます。中陽里で義父らと暮らす呂雉(りょち)のもとに、劉邦から手紙が届く。内容は劉邦のもとに家族を呼び寄せるものだったが、呂雉らが乗った馬車は途中、何者かに襲われる。一方、項羽は王陵(おうりょう)の母を人質にして王陵を味方に引き入れようとするが…。

第52話 章邯、散る

蕭何(しょうか)は劉邦に、項羽との戦いの前に章邯(しょうかん)を叩き潰すべきだと言うが、劉邦は司馬欣(しばきん)に章邯を説得させる道を選ぶ。そのころ項羽は、斉の田栄(でんえい)が謀反を企てていることを知る。激怒した項羽は范増(はんぞう)が止めるのも聞かず斉の討伐を命じていた。夜間、項羽の幕営の近くをうろついていた若姜(じゃくきょう)は見つかって尋問されるが、虞姫(ぐき)が彼女をかばい…。そんな中、廃丘(はいきゅう)を何カ月も守り続ける章邯に対し、韓信は水攻めの奇計を決行する。
  • 紀元前205年、章邯は、韓信率いる魏軍により廃丘(はいきゅう)で敗死する。
  • 劉邦は漢へ移動。都を咸陽(かんよう)でなく櫟陽(やくよう)を選ぶ。

第53話 戚夫人の出産

蕭何(しょうか)が食糧などを蜀(しょく)から輸送することに決めたおかげで、関中の民は食糧を上納する必要がなくなった。劉邦はさらに、漢軍の兵になれば家族全員の税を免除することにする。そんな中、戚(せき)夫人は叔母の満からもらった薬を飲んで流産しかける。心配して駆けつけた劉邦に、満は呂雉(りょち)のせいで戚夫人の具合が悪くなったかのように吹き込み…。一方、韓信(かんしん)はある老人から「自分が軍師になって力を貸す」と話を持ちかけられる。

第54話 義帝暗殺

義帝(ぎてい)が項羽の命を受けた鍾離昧(しょうりばつ)に暗殺される。劉邦は義帝を弔い、楚討伐を天下に宣言する。魏豹(ぎほう)は劉邦につくか項羽につくかで悩んでいたが、薄姫(はくき)に「どちらと戦っても負けるのなら、距離が近い項羽につくように」と勧められる。一方、楚軍に仕えていた陳平もまた、どちらにつくか選択を迫られていたが…。項羽は斉を攻撃して、王である田栄の命を奪う。だが生き残った宰相の田横らはあきらめず、楚軍を攻撃し続ける。
  • 項羽の命により義帝は暗殺される。義帝の死により、反秦勢力の実質上の盟主もしくは秦滅亡後の中国の実質上の元首としての項羽の政治上の正統性が失われた。これによって楚漢戦争で劉邦は大逆を犯した項羽を天に代わって討ち果たすという大義 (倫理的な正当性)を得ることとなり、項羽の滅亡ひいては漢王朝の成立へとつながっていく。

第55話 彭城占拠

陳余(ちんよ)の奇襲に遭い、敗走した張耳(ちょうじ)が劉邦を頼ってやって来る。そんな中、彭越(ほうえつ)が自軍の兵3万を連れて、劉邦に協力したいと言ってくる。張良は、彭越の軍は御しがたく、山賊に過ぎないと言って難色を示す。だが魏豹の台頭を警戒していた劉邦は、けん制のために彭越を魏の宰相として送り込むことに決める。また、劉邦は趙の陳余と手を組もうと使いを送るが、陳余から張耳の首を差し出すよう条件を出されてしまい…。
  • 趙: 陳余 秦滅亡後、項羽は趙を分割し趙歇を代王にし張耳を常山王、陳余は王より階級が下の侯に封じられたため、陳余は恨みをもち、同じく項羽の論功行賞に恨みをもっている田栄を説き、兵を借りて張耳とその一族を襲った。陳余は、代王趙歇を再び趙王に即位させ、自身は趙の宰相及び代王となった。
  • 趙: 張耳 陳余に敗れた張耳は劉邦のもとへ逃亡した。
  • 紀元前205年、劉邦は味方する諸侯との56万と号する連合軍で、項羽が斉と戦って留守の項羽の本拠地・彭城(ほうじょう)へ侵攻し勝利した。が、劉邦は勝利に油断する。
  • 魏の宰相・彭越(ほうえつ)は勝手に軍を連れて逃亡。

第56話 東からの奇襲

虞子期(ぐしき)は項羽に、まず斉を平定した後、全軍で彭城に戻って漢と戦うべきだと訴える。だが項羽は、少数の兵で劉邦を倒してみせると彭城(ほうじょう)に戻ることを決める。一方、劉邦は張良からも項羽の攻撃に備えるべきだと言われるが、聞く耳を持たない。そんな中、劉邦に呼ばれた張耳と陳余は鉢合わせしてしまい、取っ組み合いのけんかを始めるが…。その後、彭城の近くに項軍が現われたと知った劉邦は、韓信に将兵を預ける。
  • 彭城(ほうじょう)の戦い – 項羽は3万の精鋭部隊で反撃し、漢軍20万人余りを殺し大勝した。劉邦の連合軍は散り散りになって逃走する。

第57話 竜の腕輪

項羽の奇襲を受けて逃げ出した劉邦たちは、項軍の兵たちに遭遇。劉邦は丁公に追い詰められるものの、彼に恩があった丁公は劉邦を見逃す。魏豹は項軍の兵に変装して彭城を脱出し、陳余は項羽に寝返って張耳の後を追う。一方、子どもたちと彭城を訪ねようとしていた呂雉は、敗走する兵の波にもまれて子どもたちとはぐれてしまう。後に王陵が子どものそばにいたことを知って安心した呂雉は、舅らと豊(ほう)に戻るが…。
  • 司馬欣・董翳は楚に降る。
  • 陳余も楚に降る。
  • 魏豹(ぎほう)も逃亡。
  • 呂雉(りょち)と舅(劉邦の父)、曹氏と劉肥(りゅうひ)らは楚の人質になる。
楚漢戦争 滎陽・彭城・九江地域要図
楚漢戦争 滎陽・彭城・九江地域要図
楚漢戦争 滎陽・彭城・九江地域要図 ©世界の歴史まっぷ
参考資料

第58話 故郷への逃走

劉邦は樊噲(はんかい)や盧綰(ろわん)と再会し、沛県に身を隠すことに。だが沛県は既に楚軍に荒らされており、劉邦らはあらためて故郷の豊(ほう)を目指す。しかし彼はこの戦ですっかり自信を失っていた。一方、項羽に捕らえられた呂雉(りょち)らは牢に入れられていた。様子を探りに来た范増(はんぞう)は、劉邦の息子だと言い張っている肥が、呂雉の息子ではないと気付く。先のない毎日に曹氏(そうし)は生きる意欲を失っていたが、呂雉はそんな彼女を叱り励まして…。
  • 劉邦は呂雉との子・劉楽(りゅうらく)と劉盈(りゅうえい)と一緒に逃げるが、楚軍に追われ馬車から蹴り落とす。
  • 日本語吹き替えでは豊邑(ほうゆう)と言っているが、豊邑は咸陽(現・長安)なので、劉邦の故郷である沛県沛県郡豊県中陽里(現・江蘇省徐州市豊県)の間違いであると思われる。

第59話 蕭何、劉邦を叱る

劉邦に勝利を収めた項羽だったが、怒りは収まらない。劉邦を探し出して恨みを晴らそうとするものの、なかなか見つからず、范増(はんぞう)に「劉邦探しよりも、兵糧を彭城(ほうじょう)に分け与えて民心をつかむべきだ」と助言される。一方、自信を喪失した劉邦は沛県(はいけん)で漫然とした日々を送っていた。ある日、そんな彼の前に蕭何(しょうか)が現われ、激しく叱咤(しった)する。張良らの説得でもう一度やり直そうと決心した劉邦は、全軍を引き連れて滎陽(けいよう)に向かう。

第60話 戻らぬ韓信

戚(せき)夫人と如意に出会った陳平は、如意(にょい)に帝王の相があると言い出す。その夜、戚夫人は劉邦に如意を太子に立てる話をして、彼の怒りを買う。彼女は陳平を呼び寄せ、如意のために力を貸してほしいと頼み込むが…。そんな中、独自で兵を集めている韓信に対して劉邦は滎陽(けいよう)に戻るよう催促するが、韓信は無視する。引き上げれば項羽らから攻撃されると危惧しての行動だったが、それを知らない盧綰らは韓信に腹を立てて…。

第61話-第70話

第61話 魏国陥落

滎陽(けいよう)に姿を現わした韓信(かんしん)は、劉邦のもとに向かう途中で盧綰(ろわん)に遮(さえぎ)られて罵(ののし)りを受ける。一方、項羽は劉邦が自ら王を宣言しようとしていることを知って一笑に付し、范増(はんぞう)に滎陽(けいよう)攻撃を告げる。だが、そのとき斉で鍾離昧(しょうりまつ)が危機に陥ったとの知らせが入り、彼は急いで斉に向かう。そのころ、劉邦は韓信を交えて天下を取るための手段を話し合っていた。劉邦は、まず中立の諸侯たちを敵と見なして消そうとしていたが…。
  • 劉邦は韓信に左丞相の位を授けてまず漢の討伐に送り出す。
  • 魏軍は渡河地点を重点的に防御していたため、韓信はその対岸に囮(おとり)の船を並べてそちらに敵を引き付け、その間に上流に回り込んで木の桶で作った筏(いかだ)で兵を渡らせて魏の首都・安邑を攻撃し、魏軍が慌てて引き返したところを討って魏豹(ぎほう)を虜(いけどり)にし、魏を滅ぼした。魏豹は命は助けられたが、庶民に落とされた。

第62話 九江王への使者

命乞いをした魏豹(ぎほう)は、一度は助かったものの、酷(ひど)い待遇に次第に耐えられなくなる。そのころ、韓信(かんしん)は劉邦に3万の兵を送るよう頼んでいたが、一向に兵が来ないことにいら立っていた。蒯通(かいつう)はそんな彼に、「劉邦は韓信に一目置くと同時に警戒している」と話す。やがて、関中で集められた新兵3万人とともに、監視役の常山王・張耳(ちょうじ)が送られてくるが…。そんな中、劉邦は九江王・英布(えいふ)を味方にするために、随何(ずいか)を使者に送る。
  • 関中平定、彭城の体勢立て直し、魏の平定と、功績を積む韓信を警戒する劉邦は、娘劉楽(りゅうらく)を張耳(ちょうじ)の息子・張敖(ちょうごう)に降嫁して姻戚となり、張耳を韓信の監視役に送る。
  • 九江(きゅうこう)王・英布が劉邦の傘下に入る。

第63話 燃やされた旗

随何(ずいか)と英布(えいふ)が滎陽(けいよう)にやって来た。だが、劉邦は彼となかなか会おうとせず、会っても素っ気ない態度をとる。英布は漢の味方になったことを後悔し、滎陽を去ろうとする。一方、項羽は斉国で鍾離昧(しょうりまつ)の危機を救ったが、彼が彭城(ほうじょう)に戻ると斉の田横(でんおう)は再び反乱を起こす。項羽は再度斉の平定に向かい、その間、范増(はんぞう)は項羽の旗を掲げて漢の食料貯蔵地などを攻めるが…。そんな中、呂雉(りょち)らは彭城から脱出すべく計画を練り始める。
  • 項羽は、寝返った英布に報復し九江(きゅうこう)を侵攻、英布の一族を皆殺しにした。
  • 英布は、項羽と義兄弟となり、九江奪還に向けて出発する。
  • 劉邦は、滎陽の周囲に甬道(ようどう)を築いて食料を運び込ませ、篭城の用意を整えるが、楚軍は激しく甬道を狙い攻撃する。

第64話 背水の陣

呂雉(りょち)は血で書いた文を劉邦に送る。盧綰(ろわん)らはすぐに彼女らを助けようと訴えるが、劉邦は時機を待つことにする。呂雉らは機を見て逃げ出したものの、劉邦の家族は殺すべきだと考える鍾離昧(しょうりまつ)と龍且(りゅうしょ)に見つかってしまう。そのころ、魏を攻め落とした韓信(かんしん)は、次の目標である趙国に向かう。趙国の将軍、李左車は韓信を警戒していた。彼は漢軍を一箇所で食い止め、彼らが糧秣(りょうまつ)を使い果たして撤退するときに倒そうと提案するが…。
  • 井陘(せいけい)の戦い – 漢軍と趙軍とが井陘(現河北省井陘県)にて激突した戦い。韓信率いる漢軍が背水の陣という独創的な戦術を使って趙軍を打ち破った。

第65話 黄金四万斤

韓信(かんしん)に敗れた陳余(ちんよ)は、自分が逃げるために部下をむち打った。それに怒った趙国の兵たちは、陳余を殺害。趙王の趙歇(ちょうけつ)も生け捕りにされ、趙国は滅亡した。韓信はかねてより尊敬していた李左車(りさしゃ)に、自陣に留まってくれるよう頼む。そのころ、劉邦は敖倉(ごうそう)に貯蓄してある食料を頼りに、滎陽(けいよう)に立てこもっていた。そこで項羽は、敖倉と滎陽を結ぶ甬道(ようどう)を破壊して漢軍を攻める作戦に出る。楚軍と漢軍のこう着状態が続くが…。
  • 紀元前204年10月、井陘の戦い(せいけいのたたかい)で滅亡した趙の陳余と趙歇は捕らえられて処刑され、張耳は趙王に即位した。
  • 陳平は劉邦から黄金四万斤をあずかり、離間の計を企てる。

第66話 虞姫の誤解

楚の項伯(こうはく)と項荘(こうそう)は漢と話し合うが、交渉はまとまらない。そのとき、陳平(ちんぺい)に司馬欣(しばきん)からの文が届いたと知らせる者が入ってきて、項伯は不審に思う。帰り道、2人は漢から司馬欣への密書を手に入れて項羽に渡すが…。そんな中、彭越(ほうえつ)が項軍の補給路を断ったため、項羽は彭越を討つために一度戻ることに。その間、成皋(せいこう)を守っていた曹咎(そうきゅう)は周勃が率いる漢軍に包囲され、挑発を受ける。怒った彼は軍を率いて出ていくが…。
  • 彭越(ほうえつ)は梁の都市をいくつも落とし、ゲリラ戦術で項羽の楚軍の兵糧を焼いて回った。
  • 劉邦は楚の曹咎が守っていた成皋(せいこう)を落とす。

第67話 項羽の疑心

司馬欣(しばきん)のもとを訪れた項荘(こうそう)は、項羽は裏切りを告白することを望んでいると言い、彼の生き方を非難した。絶望した司馬欣は自殺する。その後、楚軍にいる数百人の秦の降将が司馬欣の共謀者と疑われ、取り調べを受ける。無理やり自白させられた者は殺され、共謀者の名を明かさない者は拷問されて死んでいった。陳平(ちんぺい)は楚軍に間者を潜り込ませ、秦の降将を自殺に見せかけて殺すことでさらに楚軍を混乱させる作戦に出て…。

第68話 范増との別れ

病をおして軍議に現われた范増(はんぞう)だったが、項羽に冷たくあしらわれ、席を立って出て行く。虞子期(ぐしき)は虞姫(ぐき)に、項羽と范増の仲を取り持つよう頼もうとするが、項羽は范増と仲が悪いわけではないと否定する。一方、2人の不和を知った陳平(ちんぺい)はさらに次の手を打つよう急がせ、丁公(ていこう)は項羽に范増殺害を進言する。翌日、范増は楚軍を出ていき、ひとり寂しくこの世を去った。後悔した項羽は、彼の策だった滎陽(けいよう)攻めを決意して…。
  • 紀元前204年、項羽は滎陽の包囲戦(滎陽の戦い)の際に劉邦配下の陳平が仕掛けた離間の計にかかり、范増らの忠誠を疑い、范増は帰郷する途中死亡した。

第69話 漢王の身代わり

劉邦とよく似た紀信(きしん)を連れてくるよう頼んだ陳平(ちんぺい)のもとに、紀信ではなく周苛(しゅうか)が連れてこられる。周苛は、もし命の恩人である紀信が罪に問われたら、自分が身代わりになろうと以前から考えていたという。陳平は彼の義侠心に感心すると同時に、本物の紀信に改めて重大なことを頼む。ある晩、劉邦のもとを訪れた陳平は、滎陽(けいよう)の包囲を突破するための策を話す。それは、劉邦の偽者を楚軍のおとりにするというものだった。
  • 滎陽(けいよう)を項羽の大軍に包囲され陥落寸前となった時、陳平の献策・金蝉脱殻(きんせんだっこく)の計により紀信(きしん)が劉邦に化けて楚軍を引き寄せ、その隙に劉邦らが包囲網を突破した。
  • 滎陽を落とした項羽は、周苛を捕らえ、楚軍に入れば上将軍に任じ封邑三万戸を与えようと誘ったが、周苛は断り、煮殺された。
  • 夏侯嬰(かこうえい)のみを供として敗走していた劉邦は、韓信(かんしん)軍が駐屯していた修武(しゅうぶ)県へ行って、韓信が陣中で寝ているところに入り込み、韓信の軍隊を取り上げた。
  • 劉邦は、張耳を趙王に、韓信を趙の丞相にすると言い残す。

第70話 釜茹でにされた儒学者

食料不足に陥った劉邦は、糧秣(りょうまつ)を送るよう蕭何(しょうか)に文を出す。糧秣を運ぶ兵がいない蕭何はそれに答えることもできずに困っていたが…。酈食其(れきいき)は劉邦に、斉国と手を組み一緒に項羽を討つべきだと進言。劉邦は韓信に斉国への出兵を命じてあるのに、酈食其を斉国に送って説得に当たらせる。それを知った蒯通(かいつう)は韓信に斉への出兵をけしかけ、ためらう韓信に「斉を攻める命令はまだ撤回されていない」と畳みかけるが…。
  • 劉邦の疑惑を恐れ蕭何は戦争に参加出来る身内を全員送りだし、謀反の気が全く無いことを示した。
  • 劉邦は、韓信を斉へ攻撃の命を下したあとで、儒者の酈食其の和議の進言をきき、酈食其を派遣して斉と和議を結んだが、攻撃命令を撤回されていない韓信は守備を解いた斉を奇襲攻撃し、城を次々に破り、怒った斉王・田広と宰相・田横は酈食其を煮殺した。
  • 田広と田横は高密へ逃亡。韓信は斉の首府・営丘(臨淄(りんし))を占領する。

第71話-第80話

第71話 楚と斉の同盟

宿敵の楚軍と手を組むため、斉の宰相である田横(でんおう)が彭城(ほうじょう)を訪ねてくる。項羽の臣下たちは田横を殺してしまえと怒るが、項羽はかつての范増(はんぞう)の言葉に従い、劉邦こそが敵と見定めることに。彼は龍且(りゅうしょ)に、10万の精鋭を率いて斉に行くよう命じる。一方、斉を占領した韓信(かんしん)も劉邦に兵の派遣を要請するが、劉邦は5000人の兵を曹参(そうしん)とともに送っただけだった。さらにその兵も楚軍の奇襲で数が減り、糧秣(りょうまつ)まで奪われてしまい…。
  • 斉の援軍に派遣された楚の龍且(りゅうしょ)は、大軍にもかかわらず韓信の水攻めにより大敗し、敗死した。

第72話 仮の斉王

韓信(かんしん)から“仮の斉王”の座を求められた劉邦は、怒りのあまり使者を怒鳴りつける。だが横にいた張良(ちょうりょう)に足を踏まれて我に返り、“本物の斉王”に封じると使者に伝える。項羽の臣下たちは韓信を攻めるべきだと項羽に訴えるが、彼は劉邦を倒すために韓信とは同盟を結ぶと答える。韓信と同郷の武渉(ぶしょう)が使者として遣わされるが…。一方、項羽と劉邦のにらみ合いが続く広武山(こうぶさん)では、士気の低下を恐れた虞子期(ぐきし)がある提案をする。
  • 斉王・韓信は一つの独立勢力としての立場を築くことになり、項羽は武渉を派遣して韓信と手を組もうとした。
  • 蒯通から「天下の要衝である斉の王となった今、漢、楚と天下を三分し、両者が争いに疲れた頃に貴方が出てこれをまとめれば、天下はついてくる」と進言した。韓信は劉邦への恩義を選び、これを退けた。絶望した蒯通は後難を恐れ、狂人の振りをして出奔(しゅっぽん)した。
  • 龍且(りゅうしょ)の敗退で田横は処分を恐れて、楚軍の糧秣(りょうまつ)を大量に奪い、梁の彭越(ほうえつ)の元へ落ち延びた。
  • 滎陽の北の広武山に陣している劉邦の向かい側の山に項羽はに対陣した。

第73話 劉邦、射られる

劉邦は煮えた釜の横に引きずり出された父親を目にして、項羽を挑発。結局、項羽は釜ゆでを諦める。その後、項羽は劉邦に文をよこし「一騎打ちで決着をつけよう」と提案する。だが劉邦は「力では戦わず智で戦う」と返事をする。2人は鴻溝(こうこう)の深い谷を挟んで向かい合う。劉邦が遠矢で送った侮辱的な文を読んだ項羽は、遥か遠く離れた劉邦めがけて矢を放つ。その矢が見事命中した劉邦は、昏睡状態に陥ってしまい…。

第74話 迫られる決断

楚軍では、鍾離昧(しょうりまつ)の敗戦のために項羽は今後出陣することを禁じる。張良(ちょうりょう)の狙い通り、漢軍は劉邦が目覚めるまでの時間稼ぎに成功した。一方、劉邦から矢を抜くか、櫟陽(やくよう)で治療するかという話は一向にまとまらず、劉邦の病状は次第に悪化。ついに薄姫(はくき)が矢を抜くという決断を下す。そんな中、劉邦を心配するふりをしながら自己保身の言動が目立つ戚(せき)夫人に腹を立てた盧綰(ろわん)は「王様が死んだらお前を殺す」と脅しをかけるが…。

第75話 楚への寝返り

曹参(そうしん)らに「なぜ出兵して漢王を助けないのか」と聞かれた漢信は「見込みのない戦はしない」と答える。劉邦は彭越(ほうえつ)に、春になったら虞(ぐ)県を攻めるよう文を出すが、彭越はこれを無視する。今後の方針について臣下の足並みがそろわない中、劉邦は韓信(かんしん)と彭越が戦に加わるなら出陣すると決断。一方、盧綰(ろわん)は戚(せき)夫人を脅したことで死罪を言い渡されたものの命は助けられていた。そんな彼が、項羽のもとに走ったと知らせが入り…。

第76話 破られた盟約

鴻溝(こうこう)を境に東西に分けるという楚漢の和議が成立し、呂雉(りょち)をはじめ捕らわれていた家族も劉邦のもとに帰れることになる。劉邦は戻ってきた呂雉の足を洗い、これまでの苦労をねぎらう。呂雉の妹の呂須(りょしゅう)は姉に戚(せき)夫人への不満を吐露するが、呂雉は彼女をたしなめる。そんな中、戚夫人の息子・如意(にょい)が突然行方不明になり…。一方、劉邦は兵に3日間の休暇を与えたものの、腹心たちには密かに戦の準備をするよう言い渡す。

第77話 韓信、出陣す

項羽軍は陽夏(ようか)に立てこもった漢軍を包囲するが、劉邦は20日経っても軍を動かさない。このため項羽軍では食料が尽き、餓死する者が相次いだ。一方、項伯(こうはく)はひそかに病で療養中の張良(ちょうりょう)のもとを訪れ、友情を確かめ合う。張良は項伯に「勝つためには韓信(かんしん)と彭越(ほうえつ)を抱き込み、劉邦より広い領土を与えることだ」と策を授ける。だが、彼は項羽がこの策を受け入れないことも分かっていた。そんな中、彭越と韓信の軍が動き始めて…。

第78話 垓下の戦い

韓信(かんしん)が総指揮をとる漢軍は、垓下に陣を築いた項羽に襲いかかった。項羽は勇猛果敢(ゆうもうかかん)に兵を率いて漢軍に切り込むが、死傷者が山のように出てしまい、食料も失う。漢軍に取り囲まれた陣営の中で、項羽は虞姫(ぐき)とともに過ぎ去った日々を振り返る。虞子期(ぐしき)を呼び出した項羽は、虞姫を連れて北東の方向に逃げるよう命じる。虞子期は項羽に気絶させられた虞姫を連れて漢軍の包囲網を突破するが、そこで虞姫が目覚めてしまい…。
  • 紀元前203年 垓下の戦い

第79話 覇王別姫

漢軍に完全に包囲され、食料も尽きた楚軍。項羽は兵に向けて、自らが囮(おとり)となって敵を引きつける間に、女・子どもを連れて北から脱出し江東(こうとう)に戻るよう命じる。項羽は虞姫(ぐき)にも江東で待つよう告げるが、虞姫は彼がここで死ぬ気なのを見抜く。彼女は項羽に1曲舞うよう頼まれて…。その後、残された兵を引き連れ、項羽は烏江(うこう)まで落ち延びる。兵を舟で江東(こうとう)に返し、愛馬も解き放った項羽は、ひとりで漢軍の前に現われる。
力拔山兮 氣蓋世 時不利兮 騅不逝 騅不逝兮 可奈何 虞兮虞兮 奈若何 力は山を抜き 気は世を蓋う 時利あらず 騅逝かず 騅逝かざるを 奈何すべき 虞や虞や 汝を奈何せん

第80話 漢の礎

魯国は領主だった項羽のために、漢に降ることを拒否する。劉邦から魯を攻めるよう命じられた韓信は、項羽の亡骸を引っ張り出し、魯の長老に「ともに項羽の霊を弔おう」と呼びかける。その結果、戦わずして魯も漢に降ることとなった。一方、英布との戦いで再度矢に当たった劉邦は衰弱してきていた。彼は故郷の中陽里を訪れ、懐かしい思い出の数々に浸る。そしてひとりで暮らしていた曹氏を訪ね、2人で昔話を始める…。
劉邦
  1. 漢王: 秦滅亡後に項羽の配下で漢王となる。
  2. 前漢初代皇帝(高祖): 紀元前202年、垓下の戦いで項羽を倒し皇帝に即位する。
  3. 崩御: 戦つづきで衰弱していたうえ、英布戦で受けた矢傷が元で紀元前195年に崩御する。
  4. 陵墓: 長陵
韓信
  1. 斉王: 楚漢戦争中、斉を平定し斉王となる。
  2. 楚王: 本来楚王となるべき義帝には御子が無く、韓信は楚出身であり、楚の風土・風習にも馴染んでいるとして楚の諸侯王となる。
  3. 淮陰(わいいん)侯: 出世に嫉妬した讒言などから謀反を疑われ降格。
  4. 誅殺: 鉅鹿太守・陳豨(ちんき)と謀反を企てるが事前に呂雉に発覚。紀元前196年享年35前後。
彭越
  1. 梁王: 前漢成立後、梁の諸侯王となる。
  2. 流罪: 讒言などから謀反を疑われ蜀へ流刑となる。
  3. 処刑: 紀元前196年、呂雉の進言で処刑され、遺体は呂雉によって防腐のため醢(かい)(塩漬け)にされ、諸侯に送られた。
英布
  1. 九江王: 秦滅亡後に項羽の配下で九江王となる。
  2. 淮南王: 前漢成立後、淮南の諸侯王となる。
  3. 戦死: 紀元前196年、劉邦より彭越の死体の肉の醢(かい)が送られてきたことで、自分も誅殺されるのを恐れ謀反を起こし、敗死する。
蕭何
  1. 漢・丞相: 秦滅亡後、劉邦が漢王となるとその下で丞相となる。
  2. 前漢・相国: 前漢成立後、戦功第一の酇侯に封じられ、引き続き丞相となる。
盧綰
  1. 燕王: 前漢成立後、燕王・臧荼が反乱を起こして敗死し、後任の燕王に封建された。
  2. 盧王: 謀反を疑われ、匈奴に亡命し冒頓単于(ぼくとつぜんう)から「東胡の盧王」に封建される。
大風の歌
大風起兮雲飛揚 威加海内兮歸故鄕 安得猛士兮守四方 大風起こりて雲飛揚す 威海内に加わりて故郷に帰る いずくむぞ猛士を得て四方を守らしめん

項羽と劉邦の戦いにまつわる故事成語

現代にも通じる教訓が数多くあり、項羽と劉邦の戦いの教訓がいかに後世の人々にとって影響を与えてきたかを物語っている。
国士無双
国に二人といない才能の持ち主を表す劉邦軍で特筆すべき活躍を見せた韓信のことを評した言葉。
背水の陣
逃げ場のない状態で物事に必死で取り組むことを表す。韓信軍が川を背にして必死に戦って相手を撃破したことに由来する。
敗軍の将は兵を語らず
背水の陣で敗れて捕虜になった人物が言った言葉。
烏合の衆
劉邦軍を揶揄(やゆ)する言葉として生まれた言葉。
先んずれば人を制す
先手必勝を意味する。殷通が項梁に言った言葉。
四面楚歌
周囲が敵だらけの状況を指す。劉邦との戦いで漢軍の陣営から故郷の楚の歌が聞こえてきたことで、楚の人間の多くが敵軍に投降したと思って項羽が嘆いたことに由来する。
焚書坑儒
秦王朝が統治していた時代に発生した思想弾圧事件。焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)とは、「書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)」の意味。
歯牙にも懸けない
歯牙(しば)の間(かん)に置く(問題にする)という言葉から出て、問題にしない、相手にしないという意味。始皇帝亡きあと、二世皇帝
乾坤一擲
天下をかけて一度サイコロを投げる意味から、運を天にまかせて、大勝負をすることを表す。「乾坤(けんこん)」は天と地「一擲(いってき)」はひとたび投げること。 800年頃、韓愈(かんゆ)が「鴻溝」を通過した時、項羽と劉邦の戦いを懐かしんで詠んだ詩・『鴻溝(こうこう)を過(す)ぐ』という五言絶句の詩から由来。 竜疲れ虎困じて川原に割ち、億万の蒼生、性命を存す。誰か君主に馬主を回らすを勧めて、真に一擲乾坤を賭するを成せる。 紀元前203年龍は疲れ、虎は困(くる)しむ状態に陥っていた劉邦と項羽は、「鴻溝」を境として、西を漢(劉邦)、東を楚(項羽)が治めるように取り決めた。天下を二分したことによって戦いはやみ、億万の民の生命は保たれるはずだった。戦闘態勢を解いて東へ帰って行った項羽を見送り、劉邦も西へと帰ろうとしたが、劉邦配下の張良(ちょうりょう)と陳平(ちんぺい)が「漢は天下の大半を保有し、諸侯はみな味方しております。今や楚の兵は疲れはて、食料は乏しくなってます。今討たなければ、虎を養って患(うれ)いを遺すというものです」と劉邦に詰め寄り、西へ帰ろうとしていた劉邦の馬首を東へ回(めぐら)せた。劉邦は、一擲(いってき)を成(な)し、乾坤(けんこん)を賭(と)すことになった。翌年(紀元前202年)垓下の戦いで項羽は破れ、劉邦の漢王朝成立となる。
捲土重来
一度戦いに敗れた者が再び勢いを盛り返して攻め寄せてくること。 840年頃、杜牧(とぼく)が垓下の戦いに敗れた項羽が、烏江まで逃れてきた時のことを詠った「題烏江亭」から由来。 垓下の戦いで漢の劉邦と天下を争った楚の項羽は、争いに敗れて悲劇的な最期をとげたが、もし項羽が故郷に帰って、再び兵を集めて劉邦との戦いを続けていたらどうなっていたかはわからなかったということを詩にして、項羽の死を惜しんでいる。 江東(こうとう) 師弟才俊(していさいしゅん)多し、捲土重来(けんどちょうらい)、未だ知るべからず

項羽と劉邦-kings-war

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参考サイト

前漢皇帝系図

前漢皇帝系図
前漢皇帝系図 ©世界の歴史まっぷ

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