チェック問題
チェック
1. 次の史料を読み、問いに答えよ。
鹿子木の事(注1)
- 一、当寺(注2)の相承(注3)は、開発領主沙弥寿妙嫡々相伝の次第なり。
- 一、寿妙の末流高方の時、権威を借らんがために、実政卿(注5)をもって【ア】と号し、年貢四百石をもって割き分ち、高方は庄家領掌進退(注6)の預所職となる。
- 一、実政の末流願西微力の間、国衙の乱妨を防がず、このゆえに願西、【ア】の得分二百石をもって、高陽院内親王(注7)に寄進す。件の宮薨去ののち、御菩提のために勝功徳院を立てられ、かの二百石を寄せらる。その後、美福門院の御計として、御室(注8)に進付せらる。これすなわち【イ】の始めなり。
(『東寺百合文書』)
- (注1) 備後国(熊本県)にあった荘園。
- (注2) 東寺のこと。
- (注3) 「相承」とは受けつぐこと。
- (注4) 「嫡々相伝」とは、正当に継承してきたことをいう。
- (注5) 藤原実政(1019〜93)。大宰大弍をつとめた。
- (注6) 領掌進退とは、任免権をもっているということ。
- (注7) 鳥羽天皇(1103〜56)の皇女。
- (注8) 任和寺。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを、ひとつ選べ。
① ア 領家 イ 本家 ② ア 目代 イ 郷司 ③ ア 郷司 イ 領家 ④ ア 本家 イ 目代
答え ●●●
問2 この史料に関して述べた文として誤っているものをひとつ選べ。
- ① 鹿子木荘では、開発領主の末流(子孫)が預所になっている。
- ② 高方が実政の権威にすがったときには、まだ荘園整理令が出されたことがなかった。
- ③ 願西が高陽院親王の権威にすがったときには、院政が展開していた。
- ④ 鹿子木荘は、寄進地系荘園のひとつである。
答え ●●●