4.ポリス社会の成立と発展
- 1. エーゲ文明
- 2. ポリスの成立とポリス社会の発展
- 3. 民主政への歩み
4.ポリス社会の成立と発展
1. エーゲ文明
地中海最古の青銅器文明は、イギリス人アーサー・エヴァンズにより発見されたクレタ文明と、ドイツ人ハインリヒ・シュリーマンにより発見されたミケーネ文明からなり、エーゲ文明と総称される。
紀元前2000年頃に始まるクレタ文明では、宗教的に大きな力をもった王が海上交易を支配し、中心地クノッソスには大宮殿が建てられた。この文明をになった人々の民族系統は不明であるが、彼らの宮殿は城壁をもたず、海洋民族らしい開放的で明るく平和な文明を築いた。
一方、ギリシア本土では、なんかしてきたギリシア人が、紀元前16世紀からミケーネ文明を築きはじめた。戦闘的であった彼らは、ミケーネ・ティリンスなどに石づくりの城塞を中心とした小王国を建て、その勢力はクレタ島や小アジアのトロイアにまでおよんだ。イギリスのマイケル・ヴェントリスらの線文字Bの解読により、これらの小王国では、王が強大な権力をもって支配下の村落に役人を派遣して、農民に貢納を行わせていたことが明らかにされた。このしくみを貢納王政という。しかし、ミケーネ文明の諸王国は紀元前1200年頃、突然破壊され滅亡した。この原因には、気候変動、外敵の侵入など複数の要因が重なったと思われる。そして、混乱の中で多くのギリシア人が本土からエーゲ海一帯に移住していった。
2. ポリスの成立とポリス社会の発展
ギリシアは、ミケーネ文明滅亡後の約400年間は暗黒時代とよばれ、鉄器時代に移行していくこの間に階級分化が進行した。
紀元前8世紀にはいると、貴族の指導のもとで集住が行われ、ポリスとよばれる都市国家が形成された。ポリスは城壁でかこまれた市域と集会が開かれるアクロポリス(広場)があった。各ポリスは独立した国家で、古代のギリシアでは統一国家をつくることはついになかった。しかし、ギリシア人は共通の言語と神話、4年に1度ひらかれたオリンピアの祭典などをつうじ、同一民族としての意識をもちつづけた。ポリスの住民は自由人である市民とこれに隷属する奴隷からなり、市民は原則は平等であるが、貴族と平民との区別があった。初期のポリスでは、血統を誇る富裕者で、高価な武具と騎馬で国防の主力をになった貴族が、政治・軍事を支配した。
紀元前8世紀半ばから、多くのポリスは人口増加・土地不足から、地中海や黒海沿岸に大規模な植民活動を展開した。奴隷制度がもっとも発達したアテネでは、奴隷は総人口の3分の1にものぼり、家内奴隷・農業奴隷として用いられたほか、手工業や銀山の採掘などにも従事させられた。アテネと並ぶ強国スパルタでは、少数の市民が、ヘイロタイ(隷属農民)や商工業に従事するペリオイコイ(周辺民)を支配した。彼らの反乱をおそれたスパルタ市民団は、幼少時からきびしい軍国主義的規律に従って生活し、強力な陸軍をつくりあげた。
3. 民主政への歩み
植民活動はポリス間の貿易を拡大させ、商工業の発達を促し、平民の富裕化を進展させた。平民は、富裕化と安くなった武具の購入により重装歩兵部隊として国防の主力となり、こうした力を背景に貴族に対し参政権を要求した。ここから民主政への歩みが始まった。民主政が典型的な形で現れたのはアテネであった。
紀元前7世紀のドラコンの成文法に始まり、ついで紀元前6世紀初頭、ソロンが調停者として財産政治を行った。やがてペイシストラトスが、紀元前561年に平民の支持により非合法に政権を奪取して、僭主となり、中小農民を保護するなど平民層の力を充実させた。ついで、紀元前508年政権をとったクレイステネスは、血縁による4部族制を地縁共同体である区(デーモス)を基礎とする10部族に改める大改革で貴族の基盤をくずし、民主政の基礎を築いた。さらに僭主の出現を防止するため陶片追放の制度をつくった。
ミレトスを中心としたイオニア地方のギリシア人植民市の反乱がおき、ペルシア(アケメネス朝)はギリシアに3回に及ぶ大軍を送った。これがペルシア戦争である。アテネを主力とするギリシア軍は、紀元前490年のマラトンの戦い、紀元前480年のサラミスの海戦などでペルシア軍を撃破した。この戦争後、軍艦の漕ぎ手として活躍した無産市民は、政治的発言権を増大させ、これを背景にペリクレスのときアテネ民主政は完成した。国政の最高機関は民会となり、官職も将軍職などを除き抽選となった。また、アテネはペルシアの再来に備えてほかのポリスとデロス同盟を結び、強大な海軍力を背景に同盟諸ポリスに対する支配を強めた。