44.産業革命
- 1. 産業革命の背景
- 2. 技術革新と交通網の発達
- 3. 資本主義体制の確立と社会問題
- 4. 「世界の工場」イギリス
44.産業革命
1. 産業革命の背景
イギリスで産業革命がおこった理由は、七年戦争などで広大な海外市場を得たこと、さらに、この間にマニュファクチュア(工場制手工業)の発展や、三角貿易の隆盛により、資本が蓄積されたためである。また食料需要が増大するなか、第2次囲い込み運動が展開され、資本家が土地を借りて大規模な穀物生産を行うようになった(農業革命)。その結果として、豊富で安価な労働力が生み出されることになった。さらにイギリスは、石炭・鉄などの資源に恵まれ、また17世紀以来、自然科学と技術の進歩もめざましかった。また17世紀のイギリス革命の結果、封建的制約が除去され、市民の自由が保障されていた。
2. 技術革新と交通網の発達
西インド諸島(のちにアメリカ大陸)・西アフリカ・イギリスを結ぶ三角貿易が盛んになると、インド産綿布(キャラコ)はその輸出品として需要が増大した。そこでイギリスの起業家がインドに対抗して綿布の生産に乗り出した。その生産コストを引き下げるためには、労働を節約する機会の発明と、原綿コストの節約をはかる奴隷制生産の強化と拡大が必要になった。木綿工業の技術革新は、織布(機織り)と紡績(糸紡ぎ)の作業機械の発明からなり、ジョン=ケイの飛び杼の発明に始まった。これにより織布生産の効率が倍加して綿糸不足が生じ、そこから紡績機の発明が促進され、ハーグリーヴズの多軸(ジェニー)紡績機、アークライトの水力紡績機、クロンプトンのミュール紡績機などがつぎつぎに発明され、良質の綿糸が大量に生産されるようになった。このことは再び織布機の改良を促し、1785年、エドモンド・カートライトが現代の綿布機の原型となる力織機を発明した(技術革新)。
18世紀初め、ニューコメンが蒸気力によるポンプを発明していた。1769年、これをジェームズ・ワットが改良し、やがて優秀な蒸気機関をつくりだすと、これが水力にかわって紡績機や力織機の動力に利用され、生産の効率をさらに高めた(動力改革)。機械による大規模な産業が発達すると、大量の原料・製品・鉄鉱石・石炭などをできるだけはやく安く輸送するため、交通機関をも改良する必要が生じた。1804年にはトレヴィシックが最初の蒸気機関車を発明し、その後ジョージ・スチーブンソンが改良し、1825年には実用化された。また1807年、アメリカ人のロバート・フルトンが蒸気船を試作した(交通革命)。
欧米における近代社会の成長年表
年 | 関連事項 |
---|---|
1700 | 北方戦争(〜1721) |
1701 | スペイン継承戦争(〜1713) |
1707 | グレートブリテン王国成立 |
1714 | 英、ハノーヴァー朝(〜1917) |
1740 | 普、フリードリヒ2世(プロイセン王)即位 |
オーストリア継承戦争(1748) | |
1756 | 七年戦争(〜1763) |
1763 | パリ条約 |
このころイギリスで産業革命始まる | |
1769 | 英、ジェームズ・ワット、蒸気機関改良 |
1772 | 第一回ポーランド分割 |
1773 | ボストン茶会事件 |
1775 | アメリカ独立戦争(〜1783) |
1776 | アメリカ独立宣言発表 |
1783 | パリ条約 |
1789 | フランス革命勃発、ワシントン、初代大統領就任 |
1792 | 仏、第一共和制 |
1794 | テルミドール9日のクーデタ |
1795 | 第三回ポーランド分割 |
1799 | ブリュメール18日のクーデタ |
1802 | アミアンの和約 |
1804 | ナポレオン、皇帝即位(第一帝政) |
1812 | ナポレオンのロシア遠征 |
1814 | ナポレオン退位、ウィーン会議 |
3. 資本主義体制の確立と社会問題
産業革命を達成したイギリスは自由貿易をとなえ、「世界の工場」とよばれる地位を獲得して豊富で安い工業製品を世界に輸出した。後発の資本主義国は国民経済の保護育成をとなえてこれに対抗し、さらに東欧・アジア・アフリカ・中南米地域は従属経済にあまんじるという三層構造が形成された。またイギリスでは工業の発展により人口が都市に集中し、マンチェスター、バーミンガムやリヴァプールのような新興の大工業都市が出現した。しかし人口の急増した都市は治安や衛生状態が悪く、また工場は労働条件が非常に悪かったため、新しい社会問題となった。一方、社会主義思想など、その解決をめざす思想も誕生した。