5「平安王朝の形成」まとめ1/2 - 平安遷都と蝦夷との戦い・平安時代初期の政治改革・地方と貴族社会の変貌
8世紀ころの東北地方の城柵地図 ©世界の歴史まっぷ

5「平安王朝の形成」まとめ1/2 - 平安遷都と蝦夷との戦い・平安時代初期の政治改革・地方と貴族社会の変貌

日本史 > 第2章 律令国家の形成


平安王朝の形成

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平安王朝の形成

平安遷都と蝦夷との戦い

1 光仁天皇(天智天皇の孫・白壁王)の政治

内容:行財政の簡素化、公民の負担軽減 律令政治の再建

2 桓武天皇(母は渡来系の高野新笠たかののにいがさ)の遷都

  1. 山背国●●●京へ遷都(784)
    • ①目的:仏教政治の弊害から脱却し、天皇権力を強化するため
    • ②頓挫:京造営の主導者●●●の暗殺や、非業の死を遂げた皇太子(早良親王)の怨霊への恐れなど
  2. 長岡京から平安京に再遷都(794) 山背国を山城国に改名、以後約400年間を平安時代という

3 蝦夷の反乱と鎮定

  1. 桓武天皇以前
    1. ①大化改新ごろ:日本海側に、渟足ぬたり磐舟いわふねを設置
    2. ②斉明朝:●●●を派遣し、日本海側の蝦夷鎮定が進む
    3. 奈良時代:太平洋側に●●●を設けて鎮守府並びに陸奥国府とし、日本海側には出羽国設置
      さらに北方鎮定の拠点として秋田城を設置
    4. ④光仁朝:蝦夷の豪族●●●の乱で多賀城が一時消失
  2. 桓武朝の時代
    • ①征東大使紀古佐美きのこさみの軍が族長阿弖流為あてるいに大敗
    • ②征夷大将軍●●●が阿弖流為を帰順させ、鎮守府を多賀城から胆沢城に移す さらに北方に前進基地の●●●城を設置
  3. 嵯峨朝の時代
    • 将軍●●●を派遣、徳丹城を築き、ほぼ鎮定
  4. 東北経営:城柵を設け、関東から農民(=柵戸)を移住させて開拓。帰順した蝦夷(=俘囚)を関東以西に移住させて融和
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