50.19世紀のイギリス・フランス
- 1. 19世紀のイギリス
- 2. 19世紀のイギリスの民族・宗教
- 3. 19世紀のフランス
50.19世紀のイギリス・フランス
1. 19世紀のイギリス
イギリスでは1828年に審査法が廃止され、翌年にはオコンネルらの努力によってカトリック教徒解放法が成立し、アイルランドのカトリック教徒への宗教的差別が廃止された。また選挙法改正問題がおこり1832年に第1回選挙法改正が実現され、産業資本家の政治的発言権が増大した。1834年には東インド会社の中国貿易独占権が廃止され、さらに1846年には穀物法が、1849年には航海法が廃止された。また選挙権を与えられなかった労働者は、男性普通選挙の実施など6カ条からなる人民憲章を議会に請願したが、議会がそれを拒否したため、これ以後10年にわたってチャーティスト運動が展開された。
イギリスは19世紀半ばヴィクトリア女王のもとでパクス=ブリタニカといわれる繁栄の絶頂期を迎え、1851年にはロンドン万国博覧会が開催された。またイギリスでは保守党のディズレーリと自由党のグラッドストンの二大政治家に代表される両党が、交互に政権を担当し、着実に民主化の実績をあげた。1867年・84年の第2・3回選挙法改正によって都市・農業労働者に選挙権が広げられ、1870年には教育法が、翌71年には労働組合法が議会を通過した。対外的には一時軽視されていた植民地がまた重視され、1870年代、新たな植民地の獲得へ乗り出すことになる。
他方、以前からイギリスの圧迫を受け、1801年に併合されて「連合王国」に組み込まれたアイルランドではイギリスに対する不満が大きく、アイルランド土地法により小作人の権利は保障されたが、自治法案は2度にわたるイギリス議会の否決により、未解決のまま20世紀にもちこされた。
2. 19世紀のイギリスの民族・宗教
イングランドとアイルランドの民族と宗教
- アイルランド:ケルト系・カトリック
- イングランド:アングロ=サクソン系・イギリス国教会
- ウェールズ:ケルト系
- スコットランド:ケルト系
- アルスター(北アイルランド):イングランド・スコットランドよりプロテスタント系住民が入植
3. 19世紀のフランス
フランスでは1830年7月、パリで革命がおきた。これが七月革命である。七月王政は少数の大ブルジョワの利益と密着したため、中小のブルジョワは選挙法の改正を要求し、労働者もこれに同調した。1848年2月、この動きを政府が弾圧したことからパリで革命がおこり、共和派のラマルティーヌを中心に臨時政府が成立し、共和政を宣言した。これが二月革命である。臨時政府にはブルジョワ共和派と並んで、ルイ=ブランなどの社会主義者も加わった。
しかし4月の選挙で共和派が勝って政府が保守化すると、パリの労働者の不満が爆発し、六月暴動がおこったが鎮圧された。共和派の分裂に乗じて王党派が復活してくるなかで、新憲法による大統領選挙が行われると、ルイ=ナポレオンが当選した。彼は軍部と世論の支持を受けて1851年にクーデタを決行し、王党派・共和派を議会から追放し、さらに翌年、国民投票によって皇帝となり、ナポレオン3世と称した(第二帝政)。
ナポレオン3世は国民の支持を対外政策の成功によってつなぎとめようとし、クリミア戦争(1853〜56)・アロー戦争(1856〜60)・インドシナ出兵(1858〜67)・イタリア統一戦争(1859)を行なった。しかしメキシコ遠征(1861〜67)の失敗で威信を失い、プロイセン=フランス戦争に敗れてやむなく退位した。ここに第二帝政は崩壊した。1871年にティエールを首班とする臨時政府ができ、ドイツと屈辱的な講和を結んだ。この講和に反対するパリ民衆は蜂起してパリ=コミューンを宣言した。これは労働者などの民衆が中心となってつくった世界史上初の革命的自治政府であったが、政府軍に鎮圧された。1875年になって共和国憲法が制定され、第三共和政の基礎がかたまった。