56.東アジアの激動
56.東アジアの激動流れ図 ©世界の歴史まっぷ

56.東アジアの激動

  1. 清朝の動揺とヨーロッパの進出
  2. 欧米諸国との不平等条約
  3. 清国内の動乱と近代化の始動
  4. 日本の近代化と対外進出

56.東アジアの激動

1. 清朝の動揺とヨーロッパの進出

清朝の動揺とヨーロッパの進出
清朝の動揺とヨーロッパの進出

イギリスは、茶の需要増加などによる輸入超過に対し、貿易改善のためマカートニーアマーストを清に派遣した。しかし、清がこれに応じなかったため、イギリスはインド産のアヘンを中国に密輸する三角貿易を始めた。アヘン密貿易の拡大はアヘン吸飲の悪弊の広がりのみでなく、中国からの銀の流出による銀価格の高騰という事態をひきおこした。このため清は林則徐りんそくじょを広州に派遣し、アヘンの没収・廃棄やイギリスとの一般貿易を禁止する強硬策にでた。これに対し、イギリスは武力で自由貿易を実現させることを決意し、1840年アヘン戦争をおこした。

2. 欧米諸国との不平等条約

欧米諸国との不平等条約
欧米諸国との不平等条約

清はアヘン戦争に敗れ、1842年に南京条約を結んだ。この条約で清は香港ホンコンの割譲、上海など長江以南の5港の開港、公行こうこうの廃止を認め、さらに翌43年、領事裁判権(治外法権)や関税自主権の喪失、最恵国待遇などを認める不平等条約を結んだ。また、清は1844年にアメリカとフランスにイギリスと同様の権利を認めた。ここに欧米列強による中国の植民地化が始まった。しかし、南京条約によってもヨーロッパ諸国の期待したほど輸出はのびなかった。市場拡大の好機をうかがっていたイギリスは1856年のアロー号事件を口実に、フランスをさそいアロー戦争をおこした。1858年には天津条約を結んだが、清が批准を拒否したため、1860年、北京を占領し北京条約を結んだ。清は外国公使の北京駐在、キリスト教布教の自由、天津など11港の開港を認めた。また、ロシアはこのような中国の苦境に乗じて、1858年アイグン条約を結び黒龍江以北を占領し、1860年には沿海州を獲得してウラジヴォストーク港をひらき、太平洋進出の根拠地とした。

3. 清国内の動乱と近代化の始動

アヘン戦争による戦費は、銀価の高騰をまねき民衆の生活を苦しめた。こうした民衆の不満は、1851年に太平天国の乱となって爆発した。指導者洪秀全こうしゅうぜんは「滅満興漢めつまんこうかん」をスローガンに掲げ、キリスト教と中国固有の思想を調和させ、男女の平等や天朝田畝制度てんちょうでんぽせいどという土地の均分をとなえて民衆の支持を得た。太平軍を撃破したのは、郷勇きょうゆうとよばれる漢人が組織した義勇軍で、曾国藩そうこくはん湘軍しょうぐん李鴻章りこうしょう淮軍わいぐんがその中心であった。彼らはゴードンが率いる常勝軍と協力して、1864年に南京を占領し、太平天国は滅亡した。

清はこの時期、ヨーロッパ文化の摂取に努め、軍事技術などを導入し富国強兵をはかった。この運動を洋務運動という。この運動は一定の成果をあげ、列強と和親策をはかり、内政・外交面において小康状態を保った。この安定状態は同治の中興といわれる。清はそれまで外国との交渉を扱う役所が存在しなかったが、ヨーロッパ諸国の進出に対応するため、1861年、外交を行う総理各国事務衙門を新設した。そかし、洋務運動の本質は「中体西用ちゅうたいせいよう」といわれ、旧来の制度や伝統を守りつつ西洋の科学・技術のみ採用するという、従来の支配体制の延命策にすぎなかった。1894年におきた日清戦争での敗北は、この運動の限界を露呈するものとなった。

4. 日本の近代化と対外進出

日本はアメリカの海軍軍人ペリーの来航をきっかけに、1854年に日米和親条約、1858年に日米修好通商条約を結び、開国した。その後、開国以降の国内の混乱をおさめて、1868年には明治政府が成立した(明治維新)。明治政府は富国強兵策をつぎつぎに展開し、大日本帝国憲法の発布(1889)や議会開設(1890)など、近代化を進めた。

日本は国内改革と並行して対外進出をはかり、ロシアと樺太・千島交換条約を結んで北方の国境を定めるとともに、台湾出兵や琉球領有のほか、朝鮮にも勢力をのばした。日本は朝鮮に対して、1875年に江華島事件をおこし、翌年に領事裁判権などを含む不平等な日朝修好条規(江華条約)を結んで、釜山など3港を開港させた。その後、朝鮮内部では、日本に接近して改革をはかろうとする金玉均きんぎょくきんらの党派と、清との関係を維持しようとする閔氏びんし一族などの党派が対立し、日本と清の対立も激化した。1894年、朝鮮での全琫準ぜんほうじゅんらによる甲午農民戦争こうごのうみんせんそう(東学の乱)をきっかけに日清戦争がはじまった。戦いに敗れた清は、1895年の下関条約で、朝鮮の独立、遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲、賠償金の支払い、開港場での企業の設立などを認めた。

東アジアの激動流れ図

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