67.中国革命の進展
- 1. 文学革命と五・四運動
- 2. 国共合作と分裂
- 3. 国共内戦と日本の侵略
- 4. 20世紀前半の中国
67.中国革命の進展
1. 文学革命と五・四運動
中国では、1917年から文学・思想界で、科学と民主主義を重視する文学革命とよばれる近代化運動が始まった。陳独秀 の創刊した「新青年」を中心に、白話文学を提唱した胡適 や、「阿Q正伝」「狂人日記」の著者魯迅 などが活躍した。中国では、大戦中に日本がつきつけた二十一カ条の要求 に反対して排日運動が高まったが、1919年のパリ講和会議 で旧ドイツ権益返還の提訴が無視されると、5月4日北京大学の学生がヴェルサイユ条約 反対の抗議デモを展開した。それは労働者・商人も含めた全国的な反帝国主義・反封建主義の大運動に発展した。これが五・四運動 である。日本統治下の朝鮮では、ロシア革命や民族自決の潮流の影響で独立への要求が高まり、1919年、三・一独立運動 となって朝鮮全土に広がった。
2. 国共合作と分裂
五・四運動 の高揚のなかで、孫文 はこれを機に1919年、中国国民党を再建した。一方陳独秀 らは、ロシア革命の影響とコミンテルン の支援によって、1921年に中国共産党を組織した。1924年の中国国民党大会は、「連ソ・容共・扶助工農」の三大方針を採択し、中国国民党を改組し、共産党員が個人の資格で中国国民党に入党することを認めた(第1次国共合作)。1925年に孫文 は病死したが、同年5月の上海における日本人経営の紡績工場での労働争議をきっかけに広がった五・三〇運動 を機に、中国の反帝国主義運動は再び大きく盛り上がった。翌26年、国民革命軍は蒋介石を総司令官として軍閥打倒の北伐を開始し、1927年には上海・南京を占領した。北伐の進展とともに労働者や農民の運動が発展し、共産党の勢力も増大した。
これに対して浙江財閥や外国勢力の支持を受けた蒋介石は、1927年4月上海クーデタを行って共産党や左派を弾圧し、南京に国民政府を樹立した。翌28年には北伐を再開し、奉天軍閥の巨頭張作霖を北京から追い、国民党による中国統一をほぼ完成した。一方、共産党は紅軍を組織して各地にソヴィエト地区を建設し、土地改革を進めた。そして1931年、江西省の瑞金に毛沢東を主席とする中華ソヴィエト共和国臨時政府を樹立した。
3. 国共内戦と日本の侵略
1932年の満州国建国に続く日本の中国侵略に対し、中国では抗日の気運が盛り上がった。しかし、蒋介石は抗日より共産党討伐に全力を注ぎ、激しい内戦が続いた。解放区を維持できなくなった共産党は、1934年、長征を行い陝西省の延安に根拠地を移した。共産党は1935年8月、抗日のための民族統一戦線の結成を呼びかける八・一宣言を発したが、蒋介石はこれを無視して内戦を続けた。しかし1936年12月西安で国共内戦に反対する張学良によって蒋介石が軟禁される西安事件がおきた。日本の軍部が1937年7月、盧溝橋事件をきっかけに、軍事行動を拡大すると、同年9月第2次国共合作が成立し、日中両国は全面的な交戦状態に入った(日中戦争)。抗日民族統一戦線を結成した中国側は、日本軍に対し強い抵抗を続け、米・英・ソも中国を援助したので、戦争は長期化した。
4. 20世紀前半の中国
- 1927年の国民政府の置かれた都市
- 南京
- 満州事変のきっかけとなった場所
- 柳条湖
- 中華ソヴィエト共和国臨時政府が樹立された場所
- 瑞金
- 蒋介石軟禁事件がおこった場所
- 西安
- 日中戦争の発端となった場所
- 盧溝橋