スコットランド独立戦争を描いた映画 - ブレイブハート エドワード1世
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ブレイブハート - スコットランド独立戦争

映画


ブレイブハート
13世紀末、イングランド・プランタジネット朝第5代王・エドワード1世の過酷なスコットランド支配に対して、スコットランド民衆とフリーダムを訴えて抵抗運動を行った、ウィリアム・ウォレスの生涯を描いた、メル・ギブソン主演・監督の歴史映画。

スコットランド独立戦争を描いた映画 – ブレイブハート

プロローグ

スコットランド王は世継ぎを残さずに他界。非道で鳴る英国王”長脛のエドワード”(エドワード1世)がスコットランドの王位を奪った。

スコットランド王アレグザンダー3世は1286年まで存命であり、しかも国家は即座に乗っ取られたわけではなかった(アレグザンダー3世の孫娘マーガレットが半ば形式的ではあるが1290年の死まで女王として在位している)

スコットランドの貴族は英国王と戦い、国は乱れた。エドワードはついに休戦会談を提唱。出席者は従者1人で丸腰。
マルコム・ウォレスは農夫でジョンとウィリアムという2人の息子があった。

あらすじ

主人公ウィリアム・ウォレスの父と兄は休戦会談の結果を聞きに行くと、子供を含むスコットランドの貴族や盾持ち全員が納屋の中で吊るされ処刑されていた。
ウォレスの村の農夫たち男は戦うことを決意し出かける。幼いウィリアムを残し、戦いに挑んだ父と兄は戦死する。
ウィリアムは伯父のアーガイルに引き取られる。
ブリテン諸島の地図
ブリテン諸島の地図 ©世界の歴史まっぷ

一方ロンドンでは、エドワード1世(イングランド王)は、王位を継ぐ王太子エドワード2世の妃に、勢力を競い合っていたフィリップ4世(フランス王)の娘イザベラを選び結婚させる。
エドワード1世は、イングランドの貴族に北の土地を与え、スコットランドの貴族にはイングランドの土地を与えることにより、欲が反逆心を抑えると提案し、戦争による重税に加えて 土地税が増えるためイングランドの貴族の不満を抑えるため、貴族に初夜権(領地内の娘が結婚するときに領主は結婚の初夜に花嫁と床を共にする権利)を復活させた。

史実にエドワード1世が初夜権をこの戦争中に行使していたとする記録は一切ない。

スコットランドの貴族たちはエジンバラで会議を開いた。中でもロバート・ブルース(後のスコットランド王ロバート1世)は、次のスコットランド王と評判が高かった。

主人公ウィリアム・ウォレスが立派な成人となり、故郷に戻ってくる。

ウィリアムは幼馴染のミューロン(架空の人物)と恋に落ち、花嫁を初夜権から守るために、密かに結婚する。

美しいミューロンに目をつけていたイングランド人兵士が襲いかかり、ウィリアムが助ける。イングランド人領主は、ウィリアムを誘き出すためにミューロンを処刑した。
ひとり復讐に挑むウィリアムにスコットランド人の村人が加勢し、イングランド兵士と戦い、領主を処刑する。

1297年5月、ラナークのハイ・シェリフを務めるイングランド人ウィリアム・ヘッセルリグ(William Heselrig)を殺害した事件が記録にある。この殺害について、ウォレスの愛人マリオン・ブレイドフュートがヘッセルリグの息子を振って殺され、その復讐という伝承もあるが、実際にはイングランド式の統治を推し進めていたヘッセルリグのアサイズ(巡回裁判)に反発したスコットランド人の一団がヘッセルリグの殺害を計画・実行し、この一団にウィリアムが関わっていたものと見られている。

ウォレスはイングランドの過酷な統治に反発するスコットランドの民衆の支持を集めた。スコットランドのイングランド駐屯地を焼き払い、イングランド支配下のスコットランドにおいて独立を願い大反乱が勃発した。

分散的だったスコットランド人の抵抗運動はウォレスの指導下にナショナルなゲリラ的抵抗の形をもって統一されていった。
一方スコットランド大貴族は皆、イングランドの恩恵を受けてイングランドの称号と領土を受け取っていたため、ウォレスを身分の低い者と軽蔑し、積極的な協力はしなかった。
エドワード1世はフランスとの戦いのためフランスへ発ち、王太子エドワード2世に反乱を鎮めるよう命じる。

イングランドの大軍がスラーリングに上陸し、イングランド軍対スコットランド反乱軍が戦う。

1297年9月11日 スターリング・ブリッジの戦い - イングランド指揮官はスコットランド総督サリー伯ジョン・ド・ワーレン戦略などはオリジナル。史実では川の橋上で行われた戦闘が、映画では原野となっている。

イングランド軍は3倍の数で武器や防具も揃っていたが、農夫の彼らは武器を持っていないため、森の木で槍を作って戦い、勝利する。

映画の中でウォレスらは顔を青く塗っているが、これはスコットランドの風習ではなく、古代ケルト人の風習である。ただし、メイキングの中でそれは認めており、絵的に映えるという理由で行ったとしている。

この勝利によりウィリアム・ウォレスの名声は高まり、まもなくナイトに叙任され、「スコットランド王国の守護者及び王国軍指揮官」に側近たちは武官に任じられる。

ウォレス軍は勢いに乗ってイングランド北部に進攻した。イングランドに味方していたスコットランド貴族の多くが反乱側につき、イングランドは支配地の多くを失った。

エドワード1世がフランスとの戦いを中止してイングランドに戻ると、ヨークがウォレスの手に落ちたと連絡が届く。

イングランドに味方していたスコットランド貴族の多くが反乱側につき、イングランドは支配地の多くを失った。エドワード1世はフランスとのフランドルの戦いを中止して対応しなければならなくなった。

フォルカークで、エドワード1世自ら率いるイングランド軍に、ウォレスはゲリラ戦で抵抗し優勢だったが、貴族率いる騎兵隊が一戦も交えずにウォレスを見捨てて撤退してしまう。裏でエドワード1世から土地を分け与えられていたからだった。

1298年7月22日 フォルカークの戦い。

ウォレスは数で大きく勝るイングランド軍と騎兵無しで戦い、エドワード1世は破壊的な報復を行った。この戦いで多くの兵を失い、ウォレスも傷を負い、敗退する。
ウォレスと一緒に戦おうと誓ったロバート・ブルース(後のスコットランド王ロバート1世)も、エドワードに寝返っていた。ロバートの父の、スコットランド王になるための説得によるためだったが、ウォレスとロバートの心の中を表現する迫真の演技は見どころだ。

さらなる裏切りがあり、ウォレスはイングランドに捕らわれる。
「人は皆死ぬが、本当に生きるものは少ない。」名言だ。

ウォレス亡き後の1314年、スコットランドの愛国の勇士はイングランド軍に襲いかかった。彼らは祖国に恥じぬ勇猛果敢な戦いの末、フリーダムを勝ち取った。

登場人物と歴史的背景

ウィリアム・ウォレス

ブレイブハート
メル・ギブソン演じるブレイブハート スコットランド独立戦争で活躍したウィリアム・ウォレス ©世界の歴史まっぷ

本作でウィリアム・ウォレスの幼少期は貧しい農村で暮らしているが実際は記録が残っているわけではなく不明だ。
当時スコットランドに国民や国家のような概念がほとんどない中で、スコットランド人を愛国精神で立ち上がらせることに成功した人物であった。

ウォレスがイングランドへ連行され、ウェストミンスター・ホールで裁判にかけられた。
1305年、8月23日に首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑という残虐刑で処刑された。遺体の首はロンドン橋に串刺しとなり、4つに引き裂かれた胴体はイングランドとスコットランドの4つの城で晒し物とされた。
エドワード1世はウォレスに残虐刑を課すことでスコットランドの抵抗運動を恐怖で抑えつけようという意図であったが、逆にスコットランド国民感情を鼓舞する結果となり、幾月もたたぬうちにエドワード1世のスコットランド支配は崩れ去ることになった。

スコットランドでは現在に至るまで英雄として崇拝されている。

エドワード1世

王位継承問題も重なり100年戦争突入したのは1337年エドワード3世の時代だが、そもそも1154年にプランタジネット朝を開いたヘンリー2世は、母マティルダがイングランドノルマン朝第3代王ヘンリー1世であったが、父がフランスのアンジュー伯出会ったため、ノルマンディー公、アンジュー伯領を受け継ぎ、さらにフランスカペー朝第6代王ルイ7世の妃だったアリエノール・ダキテーヌと結婚し、彼女の相続地アキテーヌ公領の共同統治者だった(アンジュー帝国)ため、フランス内に広大な領地を持つイングランド王とフランス王は常に争いが絶えなかった。

プリンス・オブ・ウェールズ

1282年、イングランド王エドワード1世はウェールズを占領し、支配下に置いた。
ウェールズはイングランドの一地方となり、エドワード1世は王妃に長男エドワード(エドワード2世)をウェールズで産ませ、プリンス・オブ・ウェールズの称号を与えてウェールズの君主としてウェールズを統治させた。

アンジュー帝国の拡大地図
アンジュー帝国の拡大地図

以降、イングランド王太子は代々プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)の称号を引き継いでいる。
エリナー・オブ・カスティルと結婚してエドワード2世をもうけるが、2度目の結婚相手は、エドワード2世と結婚したイザベラの叔母にあたるマーガレットだ。

崩御

本作では、エドワード1世は、ウォレスの最後の「フリーダム」を聞いたと同時に死んだように描かれているが、史実ではウォレスがウェストミンスターで処刑されたのは1305年で、エドワード1世は1307年、ロバート・ブルースがスコットランドで独立のための戦いを始めた最中に赤痢で死去したとされている。

エドワード2世

エドワード2世は実際は4男だったが、いずれの兄も幼くして薨去している。
本作での表現に象徴されるように、イングランド史上最低の王呼ばれる。
エドワード2世は優柔不断で、政治に関心をあまり持た図、両性愛者と噂され、同世代の同性の恋人を寵愛し爵位や権限、領土を与えたりしたので諸侯の反感を大きく招き、最終的には王妃イザベラがクーデターを起こして幽閉され、議会から廃位され、惨殺された。
本作で、王妃イザベラがエドワード1世の病床で告げた言葉通りになったわけである。
本作で、特に同性の恋人としては登場するキャストはいないが、エドワード1世に窓から放り投げられたフィリップが近い存在だろう。

王妃イザベラ

フランスカペー朝第11代王・フィリップ4世と王妃でナバラ女王のジャンヌ・ド・ナヴァールの間に生まれ、イングランドプランタジネット朝第6代王エドワード2世と結婚した生粋の皇族である。兄3人は、カペー朝第12代王ルイ10世、14代王フィリップ5世、15代王シャルル4世であり、叔母はエドワード1世の2度目の王妃だ。

史実では、エドワード2世と結婚したイザベラは、夫の寵臣コーンウォール伯ピアーズ・ギャヴィストン(同性恋人?)と対立し、エドワード2世は寵臣と共に彼女に数々の嫌がらせを行うようになったため、王妃は反ギャヴェストンの旗印になっていった。
反ギャヴェストン派の貴族達により議会はギャヴェストンを追放したが、エドワード2世によって追放を取り消されることを2度繰り返し、イザベラはロンドン塔(当時は王宮として使用)に軟禁された。
ロンドン塔の獄舎には、ウェールズで宮廷派に抵抗して敗れた、ウェールズ辺境諸侯の1人ロジャー・モーティマーが収監されており、イザベラは彼と親しくなった。彼女は王に懇願して彼の断頭刑を終身刑に減刑させ、なおかつ脱獄させた。
その後イザベラはロジャー・モーティマーと組んでエドワード2世を廃位し、幼い息子をエドワード3世として即位させて、ロジャー・モーティマーと共に政権を握っていく。
本作では、イザベラのお腹の中にお腹の中にウィリアム・ウォレスの子がいるような描画があったが、実際にはウィリアムが活躍した頃イザベラはまだ4歳であり、2人が会ったことは無いと思われる。

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