ローマの発展
共和制ローマは強力な重装歩兵軍で、紀元前3世紀前半イタリア半島全域を支配し、分割統治した。3度にわたるポエニ戦争でフェニキア人の植民市カルタゴを滅ぼし、ギリシア都市同盟を破ってコリントスを破壊するなど、侵略的姿勢が強まっていった。
ローマの発展
共和政ローマの指導者たちは常に支配の拡大を目指し、戦争を続けた。土地の獲得や商業上の利益も目的であったが、将軍として勝利することが彼らの最も求める名誉であった。平民たちも土地や戦利品をめざして協力し、ローマは強力な重装歩兵軍でエトルリア人やラテン人、山地のサムニテス人、北方から侵入してくるガリア人、さらに南方のギリシア都市と戦い、結局紀元前3世紀前半にはほとんどを破り、イタリア半島全域を支配するに至った。
ローマは軍事技術に優れ、軍道や植民市の建設にも熱心であった。またギリシアのポリスには見られなかった強力な支配を行った。降伏した敵の土地を奪ってローマの領域とし、市民を送り込んだのはその一例である。敵の共同体の存在を許した場合にも、ある都市には投票権のみを欠くローマ市民権を与え、他にはラテン市民権を、あるいは同盟者の地位を与えるなど、待遇に差別を設けて、彼らにより良い地位を望ませて協力させた(分割統治)。
植民市も軍事的拠点に次々に設けていったが、ギリシアの場合と異なり、いずれもが独立した都市ではなくローマの直接の支配下に置かれた。
ローマは有力な国家となって、ついにシチリアを支配していたフェニキア人の植民市カルタゴと衝突することになり、初めて海外に進出して3度に渡るポエニ戦争(紀元前264年〜紀元前146年)を引き起こした。
第1次戦争でシチリアなどの海外領土を得たローマは、そこに総督を送って統治させ、住民からは税を徴収した。これを属州という。
カルタゴのハンニバルが反撃した第2次ポエニ戦争(紀元前218〜紀元前202)で、ローマはイタリアにカルタゴ軍の侵入を受け苦戦したが、大スキピオがスペインを制圧してカルタゴ本国を攻め、帰国して戦ったハンニバルをザマの戦いで破ってローマの勝利を導いた。
ローマは紀元前2世紀にはギリシア方面にも進出し、ギリシア都市の要請に応じてマケドニアと戦った。初めはマケドニアからギリシア都市を解放して自由を与えて撤去するなど、ローマは侵略的ではなかったが、紀元前2世紀半ばからは無力なカルタゴを第3次ポエニ戦争に引き込んで滅ぼし(紀元前146年)、同じ年ギリシア都市同盟を破ってコリントスをも破壊するなど、侵略的姿勢が強まっていった。マケドニアや小アジアの一部をも属州として総督やローマの商人は属州民を激しく搾取した。このようなローマの地中海への進出はしばしば「ローマの帝国主義」といわれている。