3 「平城京の時代」まとめ2/2 - 藤原氏の進出と政界の動揺・民衆と土地政策
奈良時代の政治の推移・土地制作の推移©世界の歴史まっぷ

3 「平城京の時代」まとめ2/2 - 藤原氏の進出と政界の動揺・民衆と土地政策

日本史 > 第I部 原始・古代 > 第2章 律令国家の形成


平城京の時代

このページの使い方

  • この「日本史まとめ」カテゴリのページは、単語を伏字を利用しています。●●●部分(伏字)をクリックすると単語が表示されます。再度クリックすると伏字に戻ります。
  • その他重要な単語は赤字で表示しています。

平城京の時代

藤原氏の進出と政界の動揺

3 「平城京の時代」まとめ2/2 - 藤原氏の進出と政界の動揺・民衆と土地政策
奈良時代の政治の推移・土地制作の推移©世界の歴史まっぷ

1 藤原不比等の台頭

  • 藤原不比等
    • 文武天皇に娘(宮子)を嫁がす のちの聖武天皇が誕生
    • 皇太子(のちの聖武天皇)にも娘(光明子)を嫁がす

2 奈良時代の政治の変遷

天皇政権中枢主な出来事
◆元明天皇●●●平城京遷都(710)、●●●(711)、古事記(712)、●●●制定(718)、『日本書紀』(720)
◆元正天皇●●●口分田不足で百万町歩開墾計画(722)、三世一身法を施行し、開墾を促す(723)
●●●藤原四家(南・北・式・京家)●●●の変後、光明子が皇后に
藤原四子(南=武智麻呂・北=房前・式=宇合・京=麻呂)が天然痘であいつぎ病死
橘諸兄
(政治顧問:吉備真備玄昉
玄昉らの排斥を求め式家の●●●の乱(740)
●●●の詔(741)[背景に飢饉・疫病など]
●●●の詔(743)[鎮護国思想の影響]
●●●で開墾地の永久私有を認める(743)
*聖武天皇 … ●●●の乱をきっかけに遷都を繰り返す
●●●橘諸兄大仏開眼(752『日本書紀』の仏教公伝200年の節目)
橘諸兄辞任(756)聖武太上天皇死去(756)
●●●養老律令施行、橘諸兄の子●●●の変(757)
藤原仲麻呂、●●●の名を賜る(758)
光明皇太后の死後、●●●の乱(764)→ 失敗
淳仁天皇
◆称徳天皇
(孝謙重祚)
●●●寺院除き加墾禁止令(765)
道鏡、太政大臣禅師(765)→ 法王(766)→ やがて皇位を望む → 宇佐八幡神託事件(769)… ●●●らが阻止
光仁天皇藤原●●●称徳天皇死去、藤原百川ら道鏡を下野薬師寺へ追放、天智天皇系の光仁天皇擁立(770)
聖武天皇時の遷都(740〜745年)

平城京 山背の●●● 摂津の難波宮 近江の紫香楽しがらき 745年平城京
*大仏造立の詔は紫香楽宮で発布

史料チェック:国分寺建立の詔

天平十三年<741>) みことのりしてのたまわく、「 宜しく天下諸国をして、各つつしみて七重塔一区を造り、并せて金光明最勝王経こんこうみょうさいしょうおうきょう・妙法蓮華経、各一部を写さしむべし。 其の寺の名を(a)金光明四天王護国之寺こんこうみょうしてんのうごこくのてらと為し、尼寺には一十尼ありて、其の寺の名を法華滅罪之寺ほっけめつざいのてらと為し 」と。(史料名:『●●●』)

問 (a)金光明四天王護国之寺とは何寺のことか。

答え ●●●

史料チェック:大仏建立の詔

天平十五年)冬十月 詔して曰く。「 天平十五年 菩薩の大願を発して、廬舎那仏るしゃなぶつの金銅像一躰を造り奉る。 それ天下の富をたもつ者は(a)なり。天下の勢を有つ者も朕なり。この富勢を以て、この尊像を造る。事や成り易き、心や至り難き。・・・・もし更に、人情に一枝の草、一把の土を持ちて像を助け造らむと願ふ者有らば、ほしいままゆるせ。・・・・」と。

問1 (a)朕とは誰のことか

答え ●●●

問2 この詔が最初に出された時の都はどこか

答え ●●●

広告