10.東南アジアの諸文明
- 1. 国家形成期
- 2. 東南アジア社会の発展
- 3. 13世紀の変動とその後のイスラーム化
- 4. 東南アジアの諸文明流れ図
10.東南アジアの諸文明
1. 国家形成期
4世紀末から5世紀になると、インドとの交易を背景に広い地域で「インド化」とよばれる変化が生じ、各地にインドの影響が強くみられるようになった。大陸部では、6世紀にメコン川中流域にクメール人によってヒンドゥー教の影響の強いカンボジア(真臘)がおこり、扶南を滅ぼした。
2. 東南アジア社会の発展
カンボジアは、9世紀になるとジャヤヴァルマン2世が再統一し、アンコールの地を都とした。最盛期の12世紀半ばから13世紀初めにはインド文化の影響を受けながらもクメール独自の様式をもつアンコール=ワットの建設や、王都アンコール=トムの増築が行われた。これは、東南アジアがインド化されながらも、独自の文化を生み出して、新しい発展の時代を迎えたことを示している。
イラワディ川下流域では、9世紀までビルマ(ミャンマー)系のピュー人の国があった。チャオプラヤ川下流では、7世紀から11世紀頃にかけてモン人のパガン朝がおこり、ピュー人やモン人を駆逐・吸収し、ビルマ最初の統一国家をたてた。パガン朝はモン人から上座部仏教を継承し、さらにスリランカとの交流で上座部仏教は広まった。さらに上座部仏教は、13世紀半ばにおこったタイ族最古の王朝であるスコータイ朝に広がり、熱心に信仰された。
諸島部でも「インド化」が進展した。7世紀半ばにスマトラ島におこったシュリーヴィジャヤ王国は、海上交易に積極的にたずさわり、中国にも朝貢使節を派遣した。唐の僧義浄も来訪し、大乗仏教が盛んな様子を記している。ジャワ島では、8世紀にシャイレンドラ朝やマタラム朝が生まれた。シャイレンドラ朝は仏教寺院のボロブドゥールを建造したが、マタラム朝のヒンドゥー教寺院プランバナン建設にみられるように、諸島部ではヒンドゥー教が拡大していった。
ベトナムは、前漢の武帝(漢)によって北部が支配されて以降、中国の影響が強く及んだ。しかし10世紀後半、唐末五代の混乱に乗じて独立し、11世紀初めには李朝(大越国)が成立した。李朝は海上交易の利益をめぐって、隣国のチャンパーと激しく争った。チャンパーは長期にわたり、海上交易活動にたずさわりインドの影響を強く受けた。
3. 13世紀の変動とその後のイスラーム化
東南アジアに大きな衝撃を与えたのは、13世紀の元(王朝)の侵入であった。多くの地では新しい勢力が台頭した。ジャワのマジャパヒト王国やタイのスコータイ朝である。スコータイ朝では、第3代ラーマ=カムヘン王のとき、最盛期をむかえた。その後、インドがイスラーム化されると、貿易をとおしてインドと密接な関係を保っていた東南アジアにも、イスラーム教を奉ずる国家が成立するようになった。14世紀末頃マレー半島に建国されたマラッカ王国はその例で、このイスラーム化の波はインドネシア・フィリピンなどの諸島部にも広がった。
4. 東南アジアの諸文明流れ図
世界遺産
- アンコール=ワット
- アンコール=トム
- ボロブドゥール