ネップとソ連の成立
1921年3月、第10回共産党大会は新経済政策(ネップ:戦時共産主義の放棄(・穀物徴発の廃止 → 食料(現物)税導入、・小農経営、小規模私企業の容認)、生産力回復)を採択した。
ネップとソ連の成立
戦争と戦時共産主義は農業や工業の生産の混乱や低下をもたらし、1921年には深刻な飢饉も生じた。とりわけ、中央ロシアの穀倉地帯の農民は穀物の強制徴発に不満を抱いて大反乱をおこすなど、20年春には農民反乱は全土に拡大した。1921年初頭の大寒波のなかで大都市は深刻な燃料不足と食糧難に陥り、3月にはクロンシュタット要塞 Kronshtadt で水兵反乱がおきた(クロンシュタットの水兵反乱)。また、中央から地方に垂直的に指令が下されるシステムにも不満がつのっていった。このためレーニンは、国内の反革命政権はほぼ制圧され、干渉軍も撤退して戦争終結にめどがたった1921年春 ❶ に政策の転換をはかった。
21年3月、第10回共産党大会は新経済政策(ネップ NEP)を採択した。この政策は、穀物徴発をやめて、農民に現物税納入後の余剰穀物の自由販売を認めた。また、中小企業の私的営業を許し、国家管理のもとにおかれた重要企業・国有企業には独立採算制を導入した。これは、一定の範囲で資本主義的な営業や市場経済を活性化させて生産活動を促した。国民経済は回復にむかい、まもなく生産は戦前の水準に達した。この間、ロシアのほかに旧ロシア帝国内に3カ国のソヴィエト共和国が樹立され、1922年末ロシア・ウクライナ・ベラルーシ(白ロシア)・ザカフカースの4ソヴィエト共和国は連合してソヴィエト社会主義共和国連邦を結成し、24年1月には新憲法が公布された。
ソ連の経済政策
戦時共産主義:レーニン | |
1918〜 | 内戦・干渉戦争への総動員体制 ・中小工場の国有化 ・穀物の強制徴発、食料配給制 ・労働義務制、賃金の現物給与 生産意欲減退 → 食料不足 |
ネップ(新経済政策):レーニン | |
1921〜 | 戦時共産主義の放棄 ・穀物徴発の廃止 → 食料(現物)税導入 ・小農経営、小規模私企業の容認 生産力回復 |
五カ年計画:スターリン | |
1928〜 | 経済全体の社会主義的改造 ・第1次(1928〜)、第2次(1933〜) ・農業の集団化、機械化の推進 → コルホーズ・ソフホーズの成立 ・重工業優先政策の推進 ソ連の工業国化、農業の荒廃 スターリン独裁体制の確立 |