産業化の基盤整備
1880年代後半、政府と特権的に結ぶ三井・三菱などの政商は、政府が巨額の費用を投じて建設した官営事業を安い値段で払下げを受け、商業資本から産業資本へ転化、日本資本主義の中心的な担い手に成長、財閥としての足場を築いた。
産業化の基盤整備
明治初期以来、おおむね輸入超過が続いていた貿易収支は、生糸と鉱産物の輸出増大や、松方正義のもとでの財政緊縮と不況の影響による輸入の減少によって、1882(明治15)年より輸出超過に転じた。こうした貿易の発展による刺激や、貨幣・金融制度の整備などによって、1880年代後半には産業界は不況を脱して活況を呈し、1886(明治19)〜89(明冶22)年には鉄道と紡績部門を中心に株式会社設立のブームがおこった。これが日本最初の企業勃興といえる。1890(明治23)年にはその反動として金融が逼迫し、恐慌がおこったが、それを契機に日本銀行が民間の普通銀行を通じて積極的に資金を供給するようになり、その後、民間の近代産業は順調に発展をみた。
また、1880年代後半には鉱山や造船所などの官営事業の民間への払下げが本格的に進められ、民間産業の発展に大きな役割を果たした。払下げを受けたのは、多くが政府と特権的に結びついていた三井・三菱などのいわゆる政商であった。彼らは政府が巨額の費用を投じて建設した官営事業を比較的安い値段で払下げを受け、商業資本から産業資本へ転化し、日本資本主義の中心的な担い手に成長して、財閥としての足場を築くにいたったのである。
官営事業の払下げ
払下年 | 事業所 | 官業時 投下資本 | 払下げ価格 | 払下げ先 | のちの所属 | |
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1874 | 高島炭鉱 | 39万3848 | 55万0000 | 後藤象二郎 (のち三菱) | 三菱鉱業 | 大隈財政 |
1882 | 広島紡績所 | 5万4205 | 1万2570 | 広島錦糸紡績会社 | 1881 松方財政 1892 |
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1884 (明治17年) | 深川セメント製造所 | 10万1559 | 6万1741 | 浅野総一郎 | 日本セメント | |
小坂銀山 | 54万7476 | 27万3659 | 久原庄三郎 | 同和鉱業 | ||
院内銀山 | 70万3093 | 10万8977 | 古河市兵衛 | 古河鉱業 | ||
1885 (明治18年) | 阿仁銅山 | 167万3211 | 33万7766 | 古河市兵衛 | 古河鉱業 | |
品川硝子 | 29万4168 | 7万9950 | 西村勝三 磯部栄一 | 1892年廃止 | ||
1887 (明治20年) | 新町紡績所 | 13万8984 | 14万1000 | 三井 | 鐘淵紡績 | |
長崎造船所 | 113万0949 | 45万9000 | 三菱 | 三菱重工業 | ||
兵庫造船所 | 81万6139 | 18万8029 | 川崎正蔵 | 川崎重工業 | ||
釜石鉄山 | 237万6625 | 1万2600 | 田中長兵衛 | 新日本製鉄 | ||
1888 | 三池炭鉱 | 75万7060 | 459万0439 | 佐々木八郎 | 三井鉱山 | |
1889 | 幌内炭鉱・鉄道 | 229万1500 | 35万2318 | 北海道炭礦鉄道 | 北海道炭礦汽船 | |
1893 | 富岡製糸場 | 31万0000 | 12万1460 | 三井 | 片倉工業 | |
1896 (明治29) | 佐渡金山 | 141万9244 | 173万0000 | 三菱 | 三菱金属工業 | |
生野銀山 | 176万0866 |